今回もマニアックな選曲でした。
◆俺はどこか狂ってるかもしれない(詩:松井五郎 曲:玉置浩二 1991年)
1992年安全地帯活動休止前に行われた伝説のアコースティックライブ
「 安全地帯アンプラグド・ライヴ」ではこの歌を歌う時、
ギター2本ぶっ壊し、缶ドリンクを頭からかぶったのでした。
★その時のライブはYouTubeで見ることが出来ます。素晴らしいです。
https://youtu.be/JkQ-mva-51E
◆No Problem(詩:松井五郎 曲:玉置浩二 1988年)
◆闇をロマンスにして(詩・曲:玉置浩二 1997年)
秦 基博 さんと。
◆幸せのランプ(詩:玉置浩二/須藤 晃 曲:玉置浩二)
◆泣き笑いのエピソード(詩・曲:秦 基博)
◆ひまわりの約束(詩・曲:秦 基博)
「ぜ~~んぶ♪」のところ、玉置さんのマイクの遠さよ。
魅力的な歌声の秦さんを引き立てるよう声量控えてコーラスに徹していました。
ところでどうして左手をお腹にしまってるのかな?
「Bar Koji 」が玉置家の別荘という設定に変わりました。
青葉市子さんと小林武史さん
とても不思議な魅力のある青葉市子さんでした。
1986年、安全地帯が井上陽水さんと神宮球場で共演した際、
小林武史さんもバックで演奏していたことが判明。
玉置浩二×小林武史×青葉市子
◆Swallowtail Beautiful~あいのうた~(詩:SHINJI WAI/CHARA/小林武史 曲:小林武史)
玉置浩二×青葉市子×小林武史
◆嘲笑(詩:北野たけし 曲:玉置浩二)
スタッフの「この半年間どうしていましたか?」の問いに
「一」度「止」まって振り返ると「正」しいという字になる。
じっくり自分を見つめなおしたら
もう悔いはない 音楽をやめようかな・・ということろまでいった。
いったい何がやりたんだろう・・・と。
たどりついたのが いろんなアーティストに提供した曲を
シンプルなアレンジで自分のオリジナルアルバムとして歌おう。
歌うと泣けてくるし声もうまくいかないし、珍しくかなり挫折した。
歌と音楽は愛。 音楽をリスタートしてみんなと愛を感じあいたい。
折り返しはとっくに超えてるけど、こっからしか歌えない歌もあるだろうし。
また歌う気になってくれてよかった。
以前、音楽やめたらすべてがうまくいかなくなったって言ってたじゃない。
80歳になって歌っている自分が見えたって言ってたじゃない。
◆ホームレス 2015年 研ナオコさんへの提供曲
◆忘れない 1984年 髙橋真梨子さんへの提供曲
◆Hong Kong(詩:松井五郎 曲:玉置浩二 1987年)
Keiko Leeさんと
◆Imagine(詩・曲:John Lennon)
しっとりと聴かせる大人のイマジンでした。
能楽堂での無観客公演収録(11月25日)の前日の朝に親父が死んだんですよ。
心の中では親父はおふくろのところに行ったなと。
二人で仲良くいるだろうと思いつつできれば早く親父に会いたいなと思ってる
「父さん母さん」という歌詞が唯一出てくる「家族」という曲を歌ってみようかなと。
父さん母さんがいたかもしれない。見守ってくれていたような気がする。
◆家族(詩:須藤晃/玉置浩二 曲・玉置浩二 1993年)
喪服を着てたのかな?
よく泣かずに歌えたなぁって思った。
この曲は玉置さんが心を病んで入院した際、病院を3日で逃げ出して
旭川の実家に帰って家族や幼馴染みの愛に支えられ数か月療養した頃に作った曲を収めた
1993年のアルバム「カリント工場の煙突の上に」の中の一曲。
「家族」の音源はご両親がコーラスをしています。
このアルバムに収められている10曲全てが切ない。
締めくくりで玉置さんが言ったように
想いが強い「玉置浩二ショー」でした。
◆俺はどこか狂ってるかもしれない(詩:松井五郎 曲:玉置浩二 1991年)
1992年安全地帯活動休止前に行われた伝説のアコースティックライブ
「 安全地帯アンプラグド・ライヴ」ではこの歌を歌う時、
ギター2本ぶっ壊し、缶ドリンクを頭からかぶったのでした。
★その時のライブはYouTubeで見ることが出来ます。素晴らしいです。
https://youtu.be/JkQ-mva-51E
◆No Problem(詩:松井五郎 曲:玉置浩二 1988年)
◆闇をロマンスにして(詩・曲:玉置浩二 1997年)
秦 基博 さんと。
◆幸せのランプ(詩:玉置浩二/須藤 晃 曲:玉置浩二)
◆泣き笑いのエピソード(詩・曲:秦 基博)
◆ひまわりの約束(詩・曲:秦 基博)
「ぜ~~んぶ♪」のところ、玉置さんのマイクの遠さよ。
魅力的な歌声の秦さんを引き立てるよう声量控えてコーラスに徹していました。
ところでどうして左手をお腹にしまってるのかな?
「Bar Koji 」が玉置家の別荘という設定に変わりました。
青葉市子さんと小林武史さん
とても不思議な魅力のある青葉市子さんでした。
1986年、安全地帯が井上陽水さんと神宮球場で共演した際、
小林武史さんもバックで演奏していたことが判明。
玉置浩二×小林武史×青葉市子
◆Swallowtail Beautiful~あいのうた~(詩:SHINJI WAI/CHARA/小林武史 曲:小林武史)
玉置浩二×青葉市子×小林武史
◆嘲笑(詩:北野たけし 曲:玉置浩二)
スタッフの「この半年間どうしていましたか?」の問いに
「一」度「止」まって振り返ると「正」しいという字になる。
じっくり自分を見つめなおしたら
もう悔いはない 音楽をやめようかな・・ということろまでいった。
いったい何がやりたんだろう・・・と。
たどりついたのが いろんなアーティストに提供した曲を
シンプルなアレンジで自分のオリジナルアルバムとして歌おう。
歌うと泣けてくるし声もうまくいかないし、珍しくかなり挫折した。
歌と音楽は愛。 音楽をリスタートしてみんなと愛を感じあいたい。
折り返しはとっくに超えてるけど、こっからしか歌えない歌もあるだろうし。
また歌う気になってくれてよかった。
以前、音楽やめたらすべてがうまくいかなくなったって言ってたじゃない。
80歳になって歌っている自分が見えたって言ってたじゃない。
◆ホームレス 2015年 研ナオコさんへの提供曲
◆忘れない 1984年 髙橋真梨子さんへの提供曲
◆Hong Kong(詩:松井五郎 曲:玉置浩二 1987年)
Keiko Leeさんと
◆Imagine(詩・曲:John Lennon)
しっとりと聴かせる大人のイマジンでした。
能楽堂での無観客公演収録(11月25日)の前日の朝に親父が死んだんですよ。
心の中では親父はおふくろのところに行ったなと。
二人で仲良くいるだろうと思いつつできれば早く親父に会いたいなと思ってる
「父さん母さん」という歌詞が唯一出てくる「家族」という曲を歌ってみようかなと。
父さん母さんがいたかもしれない。見守ってくれていたような気がする。
◆家族(詩:須藤晃/玉置浩二 曲・玉置浩二 1993年)
喪服を着てたのかな?
よく泣かずに歌えたなぁって思った。
この曲は玉置さんが心を病んで入院した際、病院を3日で逃げ出して
旭川の実家に帰って家族や幼馴染みの愛に支えられ数か月療養した頃に作った曲を収めた
1993年のアルバム「カリント工場の煙突の上に」の中の一曲。
「家族」の音源はご両親がコーラスをしています。
このアルバムに収められている10曲全てが切ない。
締めくくりで玉置さんが言ったように
想いが強い「玉置浩二ショー」でした。
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