練馬区立美術館で開催されている「牧野邦夫」展。
牧野邦夫(1925年~1986年)という名前を聞いたことのない方も多いかもしれません。
それもそのはず、美術団体に属さず、生前は数年間隔で個展を開くだけだったため、その作品が多くの人の目にふれる機会はあまりなかった画家だといいます。
その作品120点を集めた記念すべき回顧展というわけで、ぜひ行かねばと勇んでいきました。
折りしも、先週の「美の巨人」でとりあげられたばかり。
そのせいか、ゴールデンウイークまっさい中とはいえ、平日の昼間なのにかなりのひとで。
少年の頃からレンブラントに憧れ、油彩の技術を磨いてきたというのがうなずける、北方ルネサンス的(デューラーも連想させる)なリアリズムの表現。
しかし、なんといってもどぎもを抜かれるのは、どの作品にも描かれる、魑魅魍魎の幻想世界。
人物や静物などパーツ、パーツはリアリズムなのですが、作品全体は恐るべき幻想の世界なのです。
しかも、実は人のようで人ではなかったり(「屋上の邪保」1966年)、
自画像のえりの先が生き物のようにうごめいていたり(「武装した自画像」1968年)、
衣服のひだにところ狭しときわめてリアルに顔が描きこまれていたり(「黒い布つけた自画像」1975年)、
リアルに描かれた建物が途中からゆがんで、建物に染み付いた想念のように壁に人の顔が浮かび上がっていたり(「近衛師団司令部跡」1970年)、
古びたアパートの平凡な押入れを開けると、そこから異形の空間が広がっていたり……(「複製のある部屋」1962年)
どこからどこまでが写実で、どこからが想像なのか、境界があいまいで、自分自身が作品のなかのねじれた空間にほうりこまれたような、奇妙な錯覚にとらわれます。
もう、「こんな世界、みたことない」というイメージが次から次へ、これでもか、これでもか、と繰り広げられ、文字通り圧倒されるしかありません。
これはもう、言葉でいくら説明しても足りないので、ぜひ、ご自分の目で確かめていただきたいです。
どの作品をとっても、実はどこかに、見えないほどかすかであっても、あやかしの顔や姿が書き込まれていたり、異形の姿が見えかくれしているのです。まるで、空間に漂う想念のように。
展示は1階と2階にわかれており、2階の奥の展示室「III」は、真っ黒な壁面に、泉鏡花の『天守物語』の場面を描いた作品などがひしめきあっているのですが、背景が黒いせいか空間全体が牧野ワールドに入ってしまったようで、なんだかもう……、展示室にいるのがこわかったです。
宮澤賢治の『セロ弾きのゴーシュ』に想を得た作品(「セロ弾きゴーシェ」1982年)も、あのゴーシュの世界がこんな風に表現されるのか、と文字通り度肝を抜かれました。
それが賢治の意図した世界観なのかどうかは別として、あの作品からあのようにイメージをふくらませるのか、と牧野という人の想像力や感受性の幅広さにあらためて驚愕。
圧巻は、「海と戦さ(平家物語より)」(1975年)と「インパール(高木俊朗作品より)」(1980年)。
この2作品については、何も言いますまい。
実際にごらんになって、文字通り「ちっぽけな常識がなぎ倒される」経験を噛みしめてください。
作風からいって、かなり好き嫌いがわかれる画家だとは思います。
でも、好き嫌いは別にして、見ておいてもよい画家ではないか、とも思います。
作品のテイストは寺山修司や横尾忠則のグロテスクさやシュールさにどこかつながっている(時代に共通した感性!?)ように思いますので、今ご年配の方でもあの時代に若かった方は、違和感なくなじむかもしれません。
逆に、現代の若者は、あの時代の日本人の粘っこく激しい、スタミナを感じさせる異端パワーに憧れを感じるかもしれません。
展覧会図録(『牧野邦夫画集-写実の精髄-』、一般書籍としても販売)に寄せられた山下祐二先生の解説もものすごく力が入っています。必読です。
練馬区立美術館、がんばってます。
********以下、美術館HPの開催概要より*******
牧野邦夫(1925~86年)は、大正末に東京に生まれ、1948年に東京美術学校油画科を卒業しますが、戦後の激動期に次々に起こった美術界の新たな潮流に流されることなく、まして団体に属して名利を求めることなどからは遠く身を置いて、ひたすら自己の信ずる絵画世界を追求し続けた画家です。
高度な油彩の技術で、胸中に沸き起こる先鋭で濃密なイメージを描き続けた牧野の生涯は、描くという行為の根底に時代を超えて横たわる写実の問題と格闘する日々でした。レンブラントへの憧れを生涯持ち続けた牧野の視野には、一方で伊藤若冲や葛飾北斎、河鍋暁斎といった画人たちの系譜に連なるような、描くことへの強い執着が感じられます。また、北方ルネサンス的なリアリズムと日本の土俗性との葛藤という点では、岸田劉生の後継とも見られるでしょう。
生前に数年間隔で個展を開くだけだった牧野の知名度は決して高いものではありませんでしたが、それは牧野が名声を求めることよりも、自分が納得できる作品を遺すことに全力を傾注した結果でしょう。
本展は、1986年61歳で逝去した牧野の30余年にわたる画業から生み出された珠玉の作品約120点を紹介するものです。
【会期】平成25年4月14日(日曜)から6月2日(日曜)
【休館日】月曜日(ただし4月29日(月曜・祝)、5月6日(月曜・祝)は開館、翌日休館)
【開館時間】午前10時から午後6時(入館は午後5時30分まで)
【観覧料】一般500円、高・大学生および65~74歳300円、中学生以下および75歳以上無料(その他各種割引制度あり)
【主催】練馬区立美術館/日本経済新聞社/テレビ東京
【協賛】ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2013
【会場】練馬区立美術館 練馬区貫井1-36-16
■牧野邦夫(まきの・くにお/1925-1986)略歴
1925年、現在の渋谷区幡ヶ谷の生まれ。幼少期を小田原で過ごす。幻想小説家の牧野信一は従兄にあたる。父母を早く亡くし、ゴッホやレンブラントに魅かれて画家を志す。東京美術学校油画科に学ぶが、1945年学徒出陣し九州宮崎で終戦。戦後の1948年、東京美術学校を卒業。写実的な人物画で知られるようになり、1962年と65年の安井賞候補新人展に入選。1966年、オランダを中心に滞欧。美術団体に属さず、数年毎の個展にのみ細密写実による作品を発表し続けた。
牧野邦夫(1925年~1986年)という名前を聞いたことのない方も多いかもしれません。
それもそのはず、美術団体に属さず、生前は数年間隔で個展を開くだけだったため、その作品が多くの人の目にふれる機会はあまりなかった画家だといいます。
その作品120点を集めた記念すべき回顧展というわけで、ぜひ行かねばと勇んでいきました。
折りしも、先週の「美の巨人」でとりあげられたばかり。
そのせいか、ゴールデンウイークまっさい中とはいえ、平日の昼間なのにかなりのひとで。
少年の頃からレンブラントに憧れ、油彩の技術を磨いてきたというのがうなずける、北方ルネサンス的(デューラーも連想させる)なリアリズムの表現。
しかし、なんといってもどぎもを抜かれるのは、どの作品にも描かれる、魑魅魍魎の幻想世界。
人物や静物などパーツ、パーツはリアリズムなのですが、作品全体は恐るべき幻想の世界なのです。
しかも、実は人のようで人ではなかったり(「屋上の邪保」1966年)、
自画像のえりの先が生き物のようにうごめいていたり(「武装した自画像」1968年)、
衣服のひだにところ狭しときわめてリアルに顔が描きこまれていたり(「黒い布つけた自画像」1975年)、
リアルに描かれた建物が途中からゆがんで、建物に染み付いた想念のように壁に人の顔が浮かび上がっていたり(「近衛師団司令部跡」1970年)、
古びたアパートの平凡な押入れを開けると、そこから異形の空間が広がっていたり……(「複製のある部屋」1962年)
どこからどこまでが写実で、どこからが想像なのか、境界があいまいで、自分自身が作品のなかのねじれた空間にほうりこまれたような、奇妙な錯覚にとらわれます。
もう、「こんな世界、みたことない」というイメージが次から次へ、これでもか、これでもか、と繰り広げられ、文字通り圧倒されるしかありません。
これはもう、言葉でいくら説明しても足りないので、ぜひ、ご自分の目で確かめていただきたいです。
どの作品をとっても、実はどこかに、見えないほどかすかであっても、あやかしの顔や姿が書き込まれていたり、異形の姿が見えかくれしているのです。まるで、空間に漂う想念のように。
展示は1階と2階にわかれており、2階の奥の展示室「III」は、真っ黒な壁面に、泉鏡花の『天守物語』の場面を描いた作品などがひしめきあっているのですが、背景が黒いせいか空間全体が牧野ワールドに入ってしまったようで、なんだかもう……、展示室にいるのがこわかったです。
宮澤賢治の『セロ弾きのゴーシュ』に想を得た作品(「セロ弾きゴーシェ」1982年)も、あのゴーシュの世界がこんな風に表現されるのか、と文字通り度肝を抜かれました。
それが賢治の意図した世界観なのかどうかは別として、あの作品からあのようにイメージをふくらませるのか、と牧野という人の想像力や感受性の幅広さにあらためて驚愕。
圧巻は、「海と戦さ(平家物語より)」(1975年)と「インパール(高木俊朗作品より)」(1980年)。
この2作品については、何も言いますまい。
実際にごらんになって、文字通り「ちっぽけな常識がなぎ倒される」経験を噛みしめてください。
作風からいって、かなり好き嫌いがわかれる画家だとは思います。
でも、好き嫌いは別にして、見ておいてもよい画家ではないか、とも思います。
作品のテイストは寺山修司や横尾忠則のグロテスクさやシュールさにどこかつながっている(時代に共通した感性!?)ように思いますので、今ご年配の方でもあの時代に若かった方は、違和感なくなじむかもしれません。
逆に、現代の若者は、あの時代の日本人の粘っこく激しい、スタミナを感じさせる異端パワーに憧れを感じるかもしれません。
展覧会図録(『牧野邦夫画集-写実の精髄-』、一般書籍としても販売)に寄せられた山下祐二先生の解説もものすごく力が入っています。必読です。
練馬区立美術館、がんばってます。
********以下、美術館HPの開催概要より*******
牧野邦夫(1925~86年)は、大正末に東京に生まれ、1948年に東京美術学校油画科を卒業しますが、戦後の激動期に次々に起こった美術界の新たな潮流に流されることなく、まして団体に属して名利を求めることなどからは遠く身を置いて、ひたすら自己の信ずる絵画世界を追求し続けた画家です。
高度な油彩の技術で、胸中に沸き起こる先鋭で濃密なイメージを描き続けた牧野の生涯は、描くという行為の根底に時代を超えて横たわる写実の問題と格闘する日々でした。レンブラントへの憧れを生涯持ち続けた牧野の視野には、一方で伊藤若冲や葛飾北斎、河鍋暁斎といった画人たちの系譜に連なるような、描くことへの強い執着が感じられます。また、北方ルネサンス的なリアリズムと日本の土俗性との葛藤という点では、岸田劉生の後継とも見られるでしょう。
生前に数年間隔で個展を開くだけだった牧野の知名度は決して高いものではありませんでしたが、それは牧野が名声を求めることよりも、自分が納得できる作品を遺すことに全力を傾注した結果でしょう。
本展は、1986年61歳で逝去した牧野の30余年にわたる画業から生み出された珠玉の作品約120点を紹介するものです。
【会期】平成25年4月14日(日曜)から6月2日(日曜)
【休館日】月曜日(ただし4月29日(月曜・祝)、5月6日(月曜・祝)は開館、翌日休館)
【開館時間】午前10時から午後6時(入館は午後5時30分まで)
【観覧料】一般500円、高・大学生および65~74歳300円、中学生以下および75歳以上無料(その他各種割引制度あり)
【主催】練馬区立美術館/日本経済新聞社/テレビ東京
【協賛】ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2013
【会場】練馬区立美術館 練馬区貫井1-36-16
■牧野邦夫(まきの・くにお/1925-1986)略歴
1925年、現在の渋谷区幡ヶ谷の生まれ。幼少期を小田原で過ごす。幻想小説家の牧野信一は従兄にあたる。父母を早く亡くし、ゴッホやレンブラントに魅かれて画家を志す。東京美術学校油画科に学ぶが、1945年学徒出陣し九州宮崎で終戦。戦後の1948年、東京美術学校を卒業。写実的な人物画で知られるようになり、1962年と65年の安井賞候補新人展に入選。1966年、オランダを中心に滞欧。美術団体に属さず、数年毎の個展にのみ細密写実による作品を発表し続けた。
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