※初日を皮切りに何回か通いましたので、感想をまとめました。追記した部分は色を変えてあります(20130922)
2013年、国立劇場の9月文楽公演は「通し狂言 伊賀越道中双六」。

(「竹薮の段」より政右衛門 撮影:青木信二)

(「岡崎の段」より、赤ん坊を抱えたお谷さん 撮影:青木信二)
「伊賀越」といえば文楽でも歌舞伎でも「沼津」が有名ですが、今回はその前後の段を含めてストーリー全体を一気に見せようという公演です(もっとも今回の東京公演では、話の発端となる「鶴が岡の段」は割愛されています←11月の大阪公演では上演)。
今回は文楽きっての大曲のひとつといわれる「岡崎の段」もかかるということで大変楽しみに行って来ました。
「伊賀越道中双六」というのは、「忠臣蔵」や曾我兄弟ものと並び、日本の三大仇討ちといわれる「仇討ちもの」で(あらすじについては下記画像参照)、沢井股五郎に父を殺された和田志津馬という若者が、義兄で腕のたつ剣豪である唐木政右衛門の助太刀を得て、仇討ちを果たすという話です。

文楽でも歌舞伎でも人気がある「沼津」は、政右衛門も志津馬も登場せず、仇討ちの本筋とはちょっと離れ、呉服屋の十兵衛とその実父・平作を中心にしたストーリー。
幼いころに別れた親子が偶然再会できたにもかかわらず、実はそれぞれが仇討ちの敵味方にかかわっているために素直に親子と明かすことができず、結果的に父の死を招いてしまう悲劇。通してみると、仇討ちという全体のストーリーのなかでの悲劇性がより鮮明に浮かびあがり、無念さを痛感します。
正直いって「沼津」だけ見ていたときは(特に歌舞伎では何回も見たのですが……)、あまりよさがわからなかったのですが、今回の「沼津」ははじめて心にしみて、いい演目だな、と実感できました。
歌舞伎だと十兵衛がなんとなくちゃらちゃらしがちで、一方の平作がこれまたやたらとじじむさい感じで、特に最初の荷物を持つところがなんだかだらだらしてしまっていまひとつ好きになれなかったのですが、文楽ではそこらへんの演技過剰がなく、軽快な三味線にのって十兵衛が足取り軽く歩く感じもほほえましくて、同じ場面でもまったく印象が違います。
今回の「沼津」全編を通じて十兵衛と平作の人柄のよさが特に印象に残りました。それだけに、2人ともああいう最期を遂げてしまうのが哀しい……。
、
ここまで人を巻き添えにしてまでやる意味のある仇討ちなのか……と、つい思ってしまいます……。
そして「岡崎の段」。
文楽きってといわれる大曲で、前半はそれなりにくだけた場面もあって笑わせるのですが、離縁した夫、政右衛門を追って赤ん坊を抱えたお谷が登場するあたりになると、話ががぜん暗くなり、緊迫感が漂います。
このあたりの、雪の中、行き倒れになる母と子のイメージは、作者である近松半二が以前書いた「奥州安達原」とかぶります。なんだかこう、これでもか、これでもか、という感じの過酷なシーン。
仇討ちを成就させるために妻を離縁した政右衛門ですが、雪のなかで瀕死の妻と再会し、仇討ちが成就して迎えに行くまで(ということなんだと思います)「必ず死ぬるな」と抱き起こすシーンはさすがに感動もので、いろいろひどい仕打ちをしたけれど、やっぱり政右衛門はお谷さんのことを愛しているのか!、と嶋大夫さんの語りに胸をはっとつかれるような思いでした。
「岡崎の段」での政右衛門の心のゆれ、愛してはいても守れない、むしろ傷つけて追いつめなければならない女房に対する思い、やっと会えたわが子を殺す前の一瞬のためらい、ものすごく複雑で激しい感情がどちらかというとおさえ気味にじわじわと伝わってくるあたりが嶋大夫さん、千歳大夫さんの語りのすごいところという印象です。
(茶色字は追記:20130922)ちなみに、千歳大夫さんが語る政右衛門は胆力があって威勢もよく、とってもかっこいいです。「岡崎の段」のラスト近く、「まだ、お手の内は狂いませぬな」というあたり、玉女さんの動きとともにこれぞ!というかっこよさです。
これはものすごい段なので、もう一度夜の部だけじっくり聴かせていただくのが楽しみです。そのあと、もう一回昼夜通します。
(緑字は追記:20130916)
嶋大夫さんの語りはもちろんですが、富助さんの三味線もすばらしく、最初の「すでにその夜もしんしんと」と雪が降り積もる夜の静けさがなんだかすごく感じがでてるなぁと思っていたら、やはりこの場面は「雪の夜の更け行く静けさを十分に描写し、太夫の語り口と三味線の音色で雪の夜の身の引き締るような感じを与えねばなりません」と『国立劇場上演資料集 伊賀越道中双六』に収録されている豊竹山城少掾の芸談にもあります。
幸兵衛の妻の糸繰り唄の三味線も美しかったし、さきほど書いたお谷が生き絶え絶えの場面では、嶋大夫さんのお谷の苦しい息づかいと、富助さんの三味線の緊迫感がとても真に迫っていて、いてもたってもいられないような気持ちにさせられました。
やっと2回目でここまで聴き取れたので、あともう一回じっくり聴かせていただくのが楽しみです。
それにしても、恋女房のはずなのに、みんなの目の前で恥をかかせるような形で一方的に離縁したり、雪の中死ぬ思いで連れてきた赤ん坊を殺しちゃったり、仇討ちを成就させるためとはいえ、政右衛門がお谷さんにする仕打ちは、やっぱり相当ひどい……。
それでも政右衛門にこんなこと言われるとお谷さんとしては女房冥利につきるんでしょうねえ。こういう男にほれると、女はつらいなあ……、お谷さん。
ちなみに、「唐木政右衛門屋敷の段」で政右衛門がお谷の目の前で新しい花嫁を迎える場面のしつっこさは、「妹背山婦女庭訓」でお三輪が官女たちにえんえんといじめられるシーンのしつっこさに通じるものがあるという印象なのですが、さきほどの雪のシーンといい、「奥州安達原」といい、半二は女性をぎりぎりっ、じわじわっといじめるのが好きなんでしょうか……。
全体的な話の筋としてはちょっと荒っぽいといいますか、無理を感じるところもなくはないのですが、疑問に思った点はほぼ、『国立劇場上演資料集』に掲載されている内山美樹子先生の論考で解決しました。
話の筋がなかなか複雑で、見どころも多岐にわたっているようなので、今回はとくにこの上演資料集が役に立ちました。国立劇場受付脇の売店で1500円で販売していますので、筋書きと一緒にぜひお買い求めください。

(くろごちゃんの左手が『上演資料集』、後ろが今回の筋書き。手前が会場にていただける「竹本義太夫墓石修復資金勧進事業報告書」→簡単な報告はコチラ)
そのほかの聴きどころ、見どころについてざっと。
仇討ちものにふさわしく、立ち回りが多いこの演目。記憶しているかぎりでも、3~4回は敵味方入り乱れて戦うシーンがあります。
特に、政右衛門の立ち回りは玉女さんの動きがダイナミックで非常にかっこいいので、見ごたえがあります(なかでも、「誉田家大広間の段」)。
戦うシーンでは、適宜、御簾内で三味線のメリヤスも流れ、そちらも切れ味のよいてきぱきとした演奏ですので、耳を傾けてみてください。
(茶色字は追記:20130922)
個人的には、「円覚寺の段」での文字久大夫さんと藤蔵さんがとてもよかったと思います。
文字久大夫さんの声よし、声量よし、緊迫感にあふれる語りと藤蔵さんの力強い三味線の息があっていて、又五郎の母なるみと、丹右衛門が相討ちする場面には思わずひきこまれました。
また、夜の部の最初、「藤川新関の段」の三輪大夫さんの語りもなかなか楽しいです。
奴の助平(すけへい)という三枚目が登場するチャリ場なのですが、遠眼鏡を見ながら縁ある女性の浮気を発見して大騒ぎする助平のこっけいさを三輪大夫さんのおもしろおかしい語りと勘十郎さん(東京公演では、紋壽さんの代役)の人形のこっけいな動きが盛り上げてくれ、大うけでした。
「伏見北国屋の段」では、志津馬とその一行が仮病をつかって又五郎のおじ、林左衛門をだまし、又五郎の居場所をつきとめる場面ですが、按摩のふりをしたり、眼医者のふりをしたり、あの手この手を使って林左衛門をだまそうとする一連のストーリーがおもしろく、英大夫さん、清介さんの床もテンポよく進み、人形の動きもおもしろく、だれないので飽きません。
最後の「伊賀上野敵討の段」は10分前後で終わってしまいますが、最初から最後までほぼ戦闘シーンなので、ふだんは物静かな印象の團吾さんがめずらしく(?)バシバシたたきまくって新鮮!
というわけで、「沼津」「岡崎」以外にも見どころ、聴きどころはたくさんありますので(このほかにもいろいろ書きたいことはありますが、きりがないのでとりあえず……)、これからの方はぜひ体調を万全に整え、一度は昼と夜とを通してご覧になることをおすすめします。
ちなみに、「通し狂言 伊賀越道中双六」は通してみると約10時間ですが、国立劇場では昼の部と夜の部を両方みた方には懐中稽古本(復刻版)のプレゼントがあります。
1日のうちに通してみなくても、昼の部と夜の部のチケットがあればいただけますので、どちらかしかみない方でも、チケットは2枚もってこられることをおすすめします。

明治時代、素人さんが浄瑠璃を語ることを楽しんだ時代には、こういうポケットサイズの床本を懐に忍ばせて、いつでもどこでもちょっと時間があるときにうなったり語ったりしたようです。雰囲気でてますね。

(茶色字は追記:20130922)
さて、11月はいよいよ本拠地、大阪での公演。こちらは大序「鶴が岡の段」からなので、より本格的な「通し」になるようです(それでも、東京、大阪ともに「郡山宮居の段」は割愛)。
1か月のブランクがあるとはいえ、東京公演を経たあとですからより充実した公演になること必至ですし、やる気まんまんでしょうから、関西の方は楽しみですね。
それにしても、いま若手とかイケメンとかでもてはやされている技芸員たちの誰が、「岡崎」の切をまかされる器に成長するのでしょうか。
いやほんとに数十年後、「伊賀越」の通しを生で聴けたなんて夢みたい、ということにならないように、頑張ってもらわないといけないし、優れた演者はファンが育てる要素もある以上、我々も気を引きしめなければ、と自戒をこめてしみじみ思いました。
2013年、国立劇場の9月文楽公演は「通し狂言 伊賀越道中双六」。

(「竹薮の段」より政右衛門 撮影:青木信二)

(「岡崎の段」より、赤ん坊を抱えたお谷さん 撮影:青木信二)
「伊賀越」といえば文楽でも歌舞伎でも「沼津」が有名ですが、今回はその前後の段を含めてストーリー全体を一気に見せようという公演です(もっとも今回の東京公演では、話の発端となる「鶴が岡の段」は割愛されています←11月の大阪公演では上演)。
今回は文楽きっての大曲のひとつといわれる「岡崎の段」もかかるということで大変楽しみに行って来ました。
「伊賀越道中双六」というのは、「忠臣蔵」や曾我兄弟ものと並び、日本の三大仇討ちといわれる「仇討ちもの」で(あらすじについては下記画像参照)、沢井股五郎に父を殺された和田志津馬という若者が、義兄で腕のたつ剣豪である唐木政右衛門の助太刀を得て、仇討ちを果たすという話です。

文楽でも歌舞伎でも人気がある「沼津」は、政右衛門も志津馬も登場せず、仇討ちの本筋とはちょっと離れ、呉服屋の十兵衛とその実父・平作を中心にしたストーリー。
幼いころに別れた親子が偶然再会できたにもかかわらず、実はそれぞれが仇討ちの敵味方にかかわっているために素直に親子と明かすことができず、結果的に父の死を招いてしまう悲劇。通してみると、仇討ちという全体のストーリーのなかでの悲劇性がより鮮明に浮かびあがり、無念さを痛感します。
正直いって「沼津」だけ見ていたときは(特に歌舞伎では何回も見たのですが……)、あまりよさがわからなかったのですが、今回の「沼津」ははじめて心にしみて、いい演目だな、と実感できました。
歌舞伎だと十兵衛がなんとなくちゃらちゃらしがちで、一方の平作がこれまたやたらとじじむさい感じで、特に最初の荷物を持つところがなんだかだらだらしてしまっていまひとつ好きになれなかったのですが、文楽ではそこらへんの演技過剰がなく、軽快な三味線にのって十兵衛が足取り軽く歩く感じもほほえましくて、同じ場面でもまったく印象が違います。
今回の「沼津」全編を通じて十兵衛と平作の人柄のよさが特に印象に残りました。それだけに、2人ともああいう最期を遂げてしまうのが哀しい……。
、
ここまで人を巻き添えにしてまでやる意味のある仇討ちなのか……と、つい思ってしまいます……。
そして「岡崎の段」。
文楽きってといわれる大曲で、前半はそれなりにくだけた場面もあって笑わせるのですが、離縁した夫、政右衛門を追って赤ん坊を抱えたお谷が登場するあたりになると、話ががぜん暗くなり、緊迫感が漂います。
このあたりの、雪の中、行き倒れになる母と子のイメージは、作者である近松半二が以前書いた「奥州安達原」とかぶります。なんだかこう、これでもか、これでもか、という感じの過酷なシーン。
仇討ちを成就させるために妻を離縁した政右衛門ですが、雪のなかで瀕死の妻と再会し、仇討ちが成就して迎えに行くまで(ということなんだと思います)「必ず死ぬるな」と抱き起こすシーンはさすがに感動もので、いろいろひどい仕打ちをしたけれど、やっぱり政右衛門はお谷さんのことを愛しているのか!、と嶋大夫さんの語りに胸をはっとつかれるような思いでした。
「岡崎の段」での政右衛門の心のゆれ、愛してはいても守れない、むしろ傷つけて追いつめなければならない女房に対する思い、やっと会えたわが子を殺す前の一瞬のためらい、ものすごく複雑で激しい感情がどちらかというとおさえ気味にじわじわと伝わってくるあたりが嶋大夫さん、千歳大夫さんの語りのすごいところという印象です。
(茶色字は追記:20130922)ちなみに、千歳大夫さんが語る政右衛門は胆力があって威勢もよく、とってもかっこいいです。「岡崎の段」のラスト近く、「まだ、お手の内は狂いませぬな」というあたり、玉女さんの動きとともにこれぞ!というかっこよさです。
これはものすごい段なので、もう一度夜の部だけじっくり聴かせていただくのが楽しみです。そのあと、もう一回昼夜通します。
(緑字は追記:20130916)
嶋大夫さんの語りはもちろんですが、富助さんの三味線もすばらしく、最初の「すでにその夜もしんしんと」と雪が降り積もる夜の静けさがなんだかすごく感じがでてるなぁと思っていたら、やはりこの場面は「雪の夜の更け行く静けさを十分に描写し、太夫の語り口と三味線の音色で雪の夜の身の引き締るような感じを与えねばなりません」と『国立劇場上演資料集 伊賀越道中双六』に収録されている豊竹山城少掾の芸談にもあります。
幸兵衛の妻の糸繰り唄の三味線も美しかったし、さきほど書いたお谷が生き絶え絶えの場面では、嶋大夫さんのお谷の苦しい息づかいと、富助さんの三味線の緊迫感がとても真に迫っていて、いてもたってもいられないような気持ちにさせられました。
やっと2回目でここまで聴き取れたので、あともう一回じっくり聴かせていただくのが楽しみです。
それにしても、恋女房のはずなのに、みんなの目の前で恥をかかせるような形で一方的に離縁したり、雪の中死ぬ思いで連れてきた赤ん坊を殺しちゃったり、仇討ちを成就させるためとはいえ、政右衛門がお谷さんにする仕打ちは、やっぱり相当ひどい……。
それでも政右衛門にこんなこと言われるとお谷さんとしては女房冥利につきるんでしょうねえ。こういう男にほれると、女はつらいなあ……、お谷さん。
ちなみに、「唐木政右衛門屋敷の段」で政右衛門がお谷の目の前で新しい花嫁を迎える場面のしつっこさは、「妹背山婦女庭訓」でお三輪が官女たちにえんえんといじめられるシーンのしつっこさに通じるものがあるという印象なのですが、さきほどの雪のシーンといい、「奥州安達原」といい、半二は女性をぎりぎりっ、じわじわっといじめるのが好きなんでしょうか……。
全体的な話の筋としてはちょっと荒っぽいといいますか、無理を感じるところもなくはないのですが、疑問に思った点はほぼ、『国立劇場上演資料集』に掲載されている内山美樹子先生の論考で解決しました。
話の筋がなかなか複雑で、見どころも多岐にわたっているようなので、今回はとくにこの上演資料集が役に立ちました。国立劇場受付脇の売店で1500円で販売していますので、筋書きと一緒にぜひお買い求めください。

(くろごちゃんの左手が『上演資料集』、後ろが今回の筋書き。手前が会場にていただける「竹本義太夫墓石修復資金勧進事業報告書」→簡単な報告はコチラ)
そのほかの聴きどころ、見どころについてざっと。
仇討ちものにふさわしく、立ち回りが多いこの演目。記憶しているかぎりでも、3~4回は敵味方入り乱れて戦うシーンがあります。
特に、政右衛門の立ち回りは玉女さんの動きがダイナミックで非常にかっこいいので、見ごたえがあります(なかでも、「誉田家大広間の段」)。
戦うシーンでは、適宜、御簾内で三味線のメリヤスも流れ、そちらも切れ味のよいてきぱきとした演奏ですので、耳を傾けてみてください。
(茶色字は追記:20130922)
個人的には、「円覚寺の段」での文字久大夫さんと藤蔵さんがとてもよかったと思います。
文字久大夫さんの声よし、声量よし、緊迫感にあふれる語りと藤蔵さんの力強い三味線の息があっていて、又五郎の母なるみと、丹右衛門が相討ちする場面には思わずひきこまれました。
また、夜の部の最初、「藤川新関の段」の三輪大夫さんの語りもなかなか楽しいです。
奴の助平(すけへい)という三枚目が登場するチャリ場なのですが、遠眼鏡を見ながら縁ある女性の浮気を発見して大騒ぎする助平のこっけいさを三輪大夫さんのおもしろおかしい語りと勘十郎さん(東京公演では、紋壽さんの代役)の人形のこっけいな動きが盛り上げてくれ、大うけでした。
「伏見北国屋の段」では、志津馬とその一行が仮病をつかって又五郎のおじ、林左衛門をだまし、又五郎の居場所をつきとめる場面ですが、按摩のふりをしたり、眼医者のふりをしたり、あの手この手を使って林左衛門をだまそうとする一連のストーリーがおもしろく、英大夫さん、清介さんの床もテンポよく進み、人形の動きもおもしろく、だれないので飽きません。
最後の「伊賀上野敵討の段」は10分前後で終わってしまいますが、最初から最後までほぼ戦闘シーンなので、ふだんは物静かな印象の團吾さんがめずらしく(?)バシバシたたきまくって新鮮!
というわけで、「沼津」「岡崎」以外にも見どころ、聴きどころはたくさんありますので(このほかにもいろいろ書きたいことはありますが、きりがないのでとりあえず……)、これからの方はぜひ体調を万全に整え、一度は昼と夜とを通してご覧になることをおすすめします。
ちなみに、「通し狂言 伊賀越道中双六」は通してみると約10時間ですが、国立劇場では昼の部と夜の部を両方みた方には懐中稽古本(復刻版)のプレゼントがあります。
1日のうちに通してみなくても、昼の部と夜の部のチケットがあればいただけますので、どちらかしかみない方でも、チケットは2枚もってこられることをおすすめします。

明治時代、素人さんが浄瑠璃を語ることを楽しんだ時代には、こういうポケットサイズの床本を懐に忍ばせて、いつでもどこでもちょっと時間があるときにうなったり語ったりしたようです。雰囲気でてますね。

(茶色字は追記:20130922)
さて、11月はいよいよ本拠地、大阪での公演。こちらは大序「鶴が岡の段」からなので、より本格的な「通し」になるようです(それでも、東京、大阪ともに「郡山宮居の段」は割愛)。
1か月のブランクがあるとはいえ、東京公演を経たあとですからより充実した公演になること必至ですし、やる気まんまんでしょうから、関西の方は楽しみですね。
それにしても、いま若手とかイケメンとかでもてはやされている技芸員たちの誰が、「岡崎」の切をまかされる器に成長するのでしょうか。
いやほんとに数十年後、「伊賀越」の通しを生で聴けたなんて夢みたい、ということにならないように、頑張ってもらわないといけないし、優れた演者はファンが育てる要素もある以上、我々も気を引きしめなければ、と自戒をこめてしみじみ思いました。
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