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ホームギャラリーから、ふと目にしたこと、文化・芸術や歴史に関わることなど、日々の暮らしのスタイルなど発信します

きりごめ焼ノート

2016-10-30 20:47:14 | 地域の歴史・文化

私の切込焼(Kirigomeyaki)ノート  (1)

  私の住む町に「切込焼記念館」がある 

   以前のパンフレットより 近藤めぐみさん撮影

「東北の文化の日」に、サークル「大人の学校」のメンバーのうち6名で 切ごめ焼記念館で学芸員に説明を受けながら鑑賞しました。


初めて目にする方のためにちょっと紹介。パンフレットのタイトルより

   * 切込焼が彩る謎と美の世界

   * 杉木立ちにねむる古窯・・・

   * ここ切込で、土と炎のドラマがあった

   * 多くの謎に包まれた染付磁器 切込焼

          

 (写真はパンフレットより  詳しい内容は加美町公式サイトでご覧ください。)

 

常設展を学芸員から作品について歴史・由来・鑑賞のポイントや作品についてのこぼれ話などたっぷり1時間30分が勉強しました。

なんども足を運んだ方、常設展でも夏向き、秋向き展示の仕方が違うのを知っていますか。

      


その中でも時々 個人所蔵のものが展示してある時もあり、その期間しか見られません。

          

        個人所蔵(撮影許可済み)

 また、年に1〜2回は特別企画展示や講座もあります。(2016年の企画展より)

        

  大正切込焼 白磁製 キュウピー人形 (写っているのは所有者)

ミュウジアムめぐり好きで、この切込焼館は近いこともありUターンしこの土地に住んでから100回は足を運んでいるでしょうか。これからも「切込焼ノート」 アラカルト続けます。

        

  2016 Reiスケッチ(水彩画・切ごめ焼陶芸館)


山田屋旅館が消えた

2016-07-08 14:22:27 | 地域の歴史・文化


写真を追加しました。

山田屋旅館が消えた  

村の時代からの象徴的建物、100年建造物山田屋旅館が消えた。

地域の歴史文化が消えたととらえるべきか、

ここからが歴史を刻む新たな出発点ととらえるべきか。

当時の村のありかたや人々の営みなど、庶民の生活・

風俗文化を時代の流れとともにつぶさに眺めたで

あろう山田屋旅館。 

(100年前大正4年宮崎村の人口は620戸4097人)

それだけに、それぞれの思い出から残したい人、

反面消し去りたい思いの人もいるのは否めないし、

また経済面・管理面や言い難い事情もあったかもしれない。

建築的な面では安全性・耐久性・堅牢の度合い等

専門の立場での検知もあったろう。が、、。

とやかく言ってももう消えた。

   消 え た、、、

山田屋旅館はこんなところだった。 書きとどめておきたい。

ここを拠点として村の庶民生活・文化の特徴が垣間

見られると考えるなら単なる宿泊施設ではないもの

担ってきた意味では地域の「生活風俗文化歴史遺産」

とらえられるべき建造物であろう。

旅館としての建築物も当時の様式で、いまとなれば

建具等もそれぞれの職人の手による工芸品になるだろう。

宮崎駿のアニメ「千と千尋」に出てくる場面を彷彿

とさせるような、残り少ない建造物ではなかっただろうか。


 

   

 


※昭和23年の熊野神社の祭りの日の写真がある。

(山田屋旅館の裏庭で撮影 )

戦後 熊野神社の祭りには山田屋旅館があるはここに集

まり仮装行列の準備をしそのパレード前の集合写真である。

戦争から解放された人びとの想い想いの仮装である。

当時進駐軍といわれた米軍の服装への若者

の憧れや、まだセーラー服にもんぺの小学生、それだけでも
鼻筋におしろいを塗ると特別なお祝いの日だったのである。

当時の社会背景が垣間見られる。


※97歳の母の記憶や、当時を知る人たちのはなしの一例。
 ・村の公人の接待の場所であり、それをサービスする女性は

  身元のしっかりし、容姿も条件だったとか。
 ・繁栄した当時の湯の倉鉱山の管理的立場の人たちは飲食と

  ともに楽しみに興じた。(一般労働者は鉱山内の娯楽場所

  だつたらしい)当時の村のキャリアウーマン的身分の女性を

  伴侶にし村を去った人もいる。
  各地を周りあるく商人の宿泊は別の「北海楼」が常宿らしい。
 ・時代の流れとともに、公務員や職場の大きな行事あとの宴会   

  の場所になったり、役場の女子職員も旅館の仕事を手伝った。
 ・自宅で行っていた結婚式から、その会場にもつかわれだした。

  現代のような式場はなかったとおもう。

なぜ私はこだわるか
山田屋旅館に限らず、他の施設や建造物・樹齢何百年の

古木等 保存したり、引き継ぐ大切さの認識をみん

なが共有し、歴史・文化を守りつつ現代に活かす

ことが今後の地域の発展に結び付くのではないか

とおもう。

単に安全性や管理の簡素化・集客数・経済性のみで

処理はあまりにも無残であり、関係者の認識を問いたい。

思いつきや直感だけでなく、広い知見でソーシャル

メディアも活用しつつ「地方創生」あってで欲しい。

次は何を処理されるのだろうかとひとつ又ひとつと

消えていくのは寂しさだけでなく、地域の行く末が

案じられるのであきらめず声をあげたい。


個人的な趣味だが、国内外のミュウジアムなど歴史・

文化施設とその地域を旅するが、

人々が集まり繁栄している地域や施設は 自治体や

住民の意識・認識が高く、誇りと熱意と努力がある

のを、痛切に感じとれる。


   

上・下写真は栃木県岡田記念館(資料より)

 

そこにはおのずと豊かな心が文化を育みつないで

いくのだろう。


愛する故郷も努力を惜しまず現代に活かし繁栄する未来でありたい。