ホームギャラリーRei

ホームギャラリーから、ふと目にしたこと、文化・芸術や歴史に関わることなど、日々の暮らしのスタイルなど発信します

母の平穏死

2019-01-06 17:23:19 | 母の平穏死

  母の平穏死   Part 3

母が好んだサンルーム。寝込むまでよく座っていた。

寝込んでからたった3ヶ月後の事でした。暑いとか寒

いとかという感覚や感情の表現も要求もなく静かに

じっと寝るだけでしたが食事は私の手から食べました。

絵を描くのも96歳までで最後の絵はいつもと違い

抽象画のようでしたが、それなりに続けさせようと

私は薦めましたがもう限界といいただベットに入る事

だけが最高に心地よいとその時間が多くなりました。

 その母がいつの間に運んだのかクロー

ゼットに古ぼけたいくつもの菓子箱が見つかり、

その中に90年前の尋常小学校の作文や自分の生き方

を象徴するような原稿や、戦死した父との戦地への

書簡や写真などがでてきました。

 (押入れから出てきた遺品の一部を展示)

これも逝った後に絵の展覧会の準備中に見つけま

した。生前に話もせず、所在も写真も知りません

でした。後日展覧会の折、それを見た毎日新聞の

記者がその中から「妻に宛て『暗号』電報」と

いう見出しで取り上げ、日本近現代史の研究者の

貴重な史料というコメントまでいただきました。

                 つづく


 

 

 



白寿の祝い・水彩画展  part 2

2018-11-22 21:48:05 | 母の平穏死

① お礼状

 86歳から描き始めた水彩画「白寿の祝い・水彩画展」をご覧いただき

  ありがとうございました。 

 

母 わか 98歳(8月10日永眠)

あと1ヶ月で白寿を迎えようとしていましたが、人生最期を自宅で穏やかに迎えた平穏死でした。

本人が望んでいた無宗教の家族葬も自宅で見送りました。 

家族にとっても平穏死で見送れて安堵しています。


高齢になっても病院にかからず、常用する薬もなく、心身ともに自律心

強かったのは、戦争をくぐり抜けた人生観があったからでしょうか。

遺品を整理すると、思いがけなく戦死した父と母の手紙や

当時の社会状況が推定されるような貴重な資料も出てきて

展覧会の機会にご覧いただくことが出来ました。 

これらはいずれ公の機関にお願いする予定です。

      

 庭でスケッチ


   

     グループ展で展示(自分の作品を見る)

     

    自宅のギャラリーの展示会で私設学芸員(?)

       


 

     展覧会風景(ホームギャラリー)

  毎年9月下旬、萩の花が咲く季節にホームギャラリーRei

で展覧会をしますので、絵のある空間で庭の萩を眺めながら

ゆったりされるのをお待ちします。

       









 人生の最期を穏やかに迎えた、母の平穏死 (Part1)

2018-11-16 15:41:34 | 母の平穏死

          

        86歳から始めた水彩画

86歳の作品 

   

91〜92歳の作品

  

 


94歳

 

 

95〜96歳 晩年の作品                                 

       

      r

 

     展覧会の様子

  

 

 

 

   

 

白寿を祝う

 

                                                       続きは(Part2)をご覧ください。