母の平穏死 Part 3
母が好んだサンルーム。寝込むまでよく座っていた。
寝込んでからたった3ヶ月後の事でした。暑いとか寒
いとかという感覚や感情の表現も要求もなく静かに
じっと寝るだけでしたが食事は私の手から食べました。
絵を描くのも96歳までで最後の絵はいつもと違い
抽象画のようでしたが、それなりに続けさせようと
私は薦めましたがもう限界といいただベットに入る事
だけが最高に心地よいとその時間が多くなりました。
ゼットに古ぼけたいくつもの菓子箱が見つかり、
その中に90年前の尋常小学校の作文や自分の生き方
を象徴するような原稿や、戦死した父との戦地への
書簡や写真などがでてきました。
(押入れから出てきた遺品の一部を展示)
これも逝った後に絵の展覧会の準備中に見つけま
した。生前に話もせず、所在も写真も知りません
でした。後日展覧会の折、それを見た毎日新聞の
記者がその中から「妻に宛て『暗号』電報」と
いう見出しで取り上げ、日本近現代史の研究者の
貴重な史料というコメントまでいただきました。
つづく