ホームギャラリーRei

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ホームギャラリー企画「うめ と わか」展

2019-09-20 10:26:26 | 作品展

2019・9月15日〜21日

ホームギャラリーRei 企画展 うめ と わか」展

          Reiの祖母うめ と母わかを紹介します。

  

うめ 1892年〜1970年 (明治25年〜昭和45年79歳没)

  若き日のうめは「明治」という新しい日本のうねりの中で、

  自立した女性の育成を理念に掲げた女子教育を受け、

  その能力を発揮しました。

 うめ15歳から17歳までの作品(水彩画)およそ120年前の作品

    

    15歳水彩画    17歳水彩画      16歳日本刺繍    15歳日本刺繍

       

 わか 1919〜2018  (大正8〜平成30 98歳没)

   うめ の二女として宮崎村生まれ(現在の加美町) 

   父、秀平は士族の末子に生まれ、若い頃から村の発展のため

   奔走して活動に夢中になる。当然のことながら家計は母うめの

   肩にかかり、わかの若い頃の生活は苦しくなるが、娘たちの教育は

   受けさせる。

  わかの尋常小学校(現在の小学校5・6年)鉛筆デッサン 

    母親のうめを描いたと思われる。裏に自分のコメントが記されていた。

   

 当時の図工の教科書 (専門書のようなレベルの高さに驚く)

       

 わか 高等小学校 1年の作品 (現在の中学1年)

                  

 

わか  86歳の水彩画 (ここから描くことを始める)

   

96歳 晩年の絵 (絶筆)

    

 

二人の作品からわかったこと

 明治と大正という時代の違いはあったもののなぜ

 この母娘が10代でこの絵が描けたのかを考えると

 単に能力だけでなくこれを開花させた時代背景の

 社会的な特徴が教育に影響しているのではないかと

 思われた。

母のうめの時代は明治という新しい日本の文明開化

 に女性の自立をうながす教育と女性解放運動の

さきがけの平塚雷鳥が活躍したのと同時代でもある。

娘のわかは大正デモクラシーの時代で、特に児童の

図画教育では山本鼎が提唱した「児童自由画運動」

大きく当時の教育者浸透したものと思われる。

そのピアな感受性の10代に受けた教育により能力

開花したのかもしれない。

その後の社会は軍事国家になり教育内容も変化が

あったので、期せずして二人はタイミングよく

良い時代に教育を受けている。

20代からのうめわかも 家庭生活はそれぞれの

時代の流れに翻弄され戦争を体験し、苦労は大きかった。

私の明治生まれの祖母うめと大正生まれのわか

二人を通し、教育と時代背景、その影響の大きさ

が認識でき感慨深いものがあります。