それでも私は生きている

常時30頭前後の動物と同居し、労災で障害4級になった私は猫や犬と伴に山間部の小さな村に移り住んだ、このぼろ屋が私のお城

理解して欲しい、個人ボランティア、何故多頭飼いに?

2013-02-25 17:07:00 | インポート
小学校5年の娘が、お母さんあの猫病院に連れて行って、又、もう駄目よ、動物禁止のアパートに姉妹揃って持ち帰る犬や猫「追い出されて引っ越したばかりなのに」「もういい自分で何とかする」急いで割り箸と包帯を手に持ち泣きながら出かけようとする「如何なってるの」「足がぶら下がって骨が見えててまだ小さい猫で草むらに蹲っているの」「お母さん見れないから、箱に入れて、貴方が抱いて車に乗りなさい」「連れて行ってくれる」「仕方が無いじゃない」子猫を診察した先生は野良猫でしょう、安楽死させましょうかと言った。診察室の前で嬉しそうに立っている娘の顔「助けてください、家で飼います」と言ってしまった。1週間の入院をさせることにして帰った。お母さん助かるの、助かるけど、大変よ入院費もいるし、近くのスーパーに寄た。娘は車から降りるとダッシュで家に帰った。買い物から帰ると、画用紙、クレヨン、箱の無いティッシュペーパー、切り刻んだ白のビニール紐、何をしたんだろう?又1匹増えた如何しよう、などと考えながら、片付けていると、電話が鳴った「娘さんに家に来るように言ってくださらない」スーパーの前で事故に有ったかわいそうな猫を皆の力で助けて上げてくださいって募金しているみたいよ」急いでスーパーに向かった。納得、首から提げた募金箱、大きな声で、事故に有った、子猫を皆の力で助けて上げてくださいと呼びかける姿を遠目に見ながら、影から見守ることに決めた。モノレール駅の有料掲示板、足は無いけど真っ黒の可愛い子猫です、誰か飼って下さい、連絡先、住所とTELが書いてあった。開いてる所に貼らせて暮れと何度も頼まれ、根負けしたと駅員さんが苦笑しておられた。学校から帰ると雨の日も風の日も募金に出かけ他。病院にいく日、長女がお母さん此れと数千円差し出した。お子使い、使ってないから、母子家庭で、忙しく動き回る私を2人の娘は気遣っている、有難う、次女の帰りを待ち、病院に向かった、受付で、コーヒーの瓶を嬉しそうに差出し、私一生懸命集めたの、此れで足りると少々誇らしげに聞いた。足りるよと先生、大腿部から足が外された、後ろ足のない子猫、娘は大事そうに抱えた。先に車に乗せた。あの子の気持ちに免じてと言う先生の脇から奥さんが請求書を差し出した。先生が掛かった費用だけといってくださった。このお金は持って帰ってとコーヒー瓶を渡された。此れをもって帰るわけには行きません。其れこそあの子が傷つきます。貰ってください、そんなやり取りも知らず、急いで帰ろう、黒のお家作ってあげる、貰ってくれる人が要るまで家で飼うでしょう。板張りを黒が歩くとこつんこつんと音がした。前足だけで器用に階段の上り下りも出来るようになった。その後、2人の娘の、帰りが遅いときは、必ず傷ついた猫や犬を連れて帰ってきた。ドアの外でお父さんもお母さんも居なくて一人ぼっちみたい、其れに病気みたいだし、今度は何、娘は、母の苦悩を尻目に、家って怪奇動物屋敷みたいと呼ぶ、避妊虚勢なし、病気で捨てられる子が後を絶たない、餌やりさんの苦悩も此処にある、病院代が高く、追いつけないのが現実、収入の全てを費やし、30匹に増えた、猫の相次ぐ病気、破産宣告を余儀なくされ、保護活動を中止、外出も控えるようになった。広範囲餌やりさん、何時も泣いて電話をくれる。その度に説明に走る、皆で協力して避妊去勢してもらえませんか、そうすれば確実に数は減るから、と説明に行くが、罵声を浴びせられることが多い、避妊去勢しないで捨てないで欲しい、愛護センターを終生育成、里親探し、避妊虚勢のシェルターに変えて欲しい、その願いから署名を始めた。どんな所にも持ち歩き、休みは駅に立ち、10000名集めた。餌やりさん、多頭飼いを攻めないで個人の収入で、頑張ってる、個人ボランティアさんの苦悩も解ってください。1匹でも救いたい、その思いが不幸な結果を招いている、私の願いは、行政の仕組みを変えて欲しい只それだけ




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