「霊能者としての生活」 から続きを書いています
2009年4月より通常生活に戻ったものの
まだまだ霊現象や不思議な体験は続いていました
自分の体ですが常に誰かを感じ、私の亡くなっている祖父の言葉を聞き
相変わらず私のことを忌み嫌っている人たちの話を聞かされていました
ですが私には仕事もあり家事も少しづつできるようになり、自分では今までと変わらないと思っていました
その頃、私の前世を聞かされ、親や兄弟や友達と前世でつながっていてことも知らされました
ですがそんな話はだれにもしませんでした
2010年以前より脳こうそくで要介護だった母が人工透析のため入院しました
50キロ以上離れている入院先の母の声で父の呼ぶ声が聞こえた夜、母は本当に病院から父に夜中来て欲しいと看護師さんに頼んでいました
そして、その数日後、母が危篤状態の時「お母さんはもう逝くね」と声が聞こえました
その数分後、この世を去りました
母の死はやはりショックでしたが、お葬式が終わったころ、私は母の言葉をしゃべり始めました
母は鹿児島の出身で大阪に来ても鹿児島弁が抜けずどくどくの言い回しで
「今は友達と会ってる。お母さんにもあったよ」など私の口を使って話してくれました
私は5人兄弟ですが、妹は信じてくれましたが弟は信じません
今でも弟は信じていません
母のメッセージは子どものことばかりで、心配と後悔が多かったです
「信じん奴には、はなさん(私が母だということを信じない弟にはもう話をしない)」といい、弟には母からの言葉が次第になくなり、妹には今までのことを謝り、これからのことの細かな母からのアドバイスを真剣に聞き、実行していました
考えてみればすでに霊能者になっていたのですが、「亡くなって母が思いがたくさんあり天国からそれを伝えたっかったのだろう・・・」と思い私の口を使ってのこの言葉のことは、そんなに気にしませんでいた
母が亡くなってもたびたび話を聞かされ、母が亡くなったことがショックということはなくなりました
そして2011.3.11大震災の日を迎えました
数日前から急いであれこれしなさいと祖父が用事をいうのでよくわからず、従っていました
部屋の片づけ、整理などをし大震災の日はPTAの役員で卒業式に参加し家に戻り、自分の部屋にいました
子どもが揺れに気づきテレビで地震の様子を知ることができました
それから私は祖父の指示で家族と離れ、お経を読んだり、祈りをささげたりして丸二日食べず水を少し飲み大震災に思いをささげていました
亡くなった人の言葉を聞き話、祖父から様々なことを聞かされていたのに、祖父が何故あんなにも急がして私の身の回りの整理をさせたか、考えもせず
予知的な話もあったのに覚えておらず、何をしていたのか深く反省をしました
そして2011年4月、祖父が守護霊様であり、守護霊の導きにより「この霊能力を仕事としなさい」と命を受けて、霊能者の道を歩み始めることにしました
今日はだいぶ長いブログになりました
読んでいただいてありがとうございます
まだまだ思いは書ききれませんがまた次回にでも・・・
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