今回の集合場所は青梅駅です。
青梅には掃除の仕事でたまに来るのですが、電車で来たのは初めてです。
ホームにはレトロな待合室が。
改札を出てみると、おや、まだ誰もいない。
まずはセブンに行って朝ご飯を買い、戻ってくるとオーメンさんがいました。
今回、オーメンさんは事前下見をしてくださっており、パンフレット類を全員分集めてきてくれていたのです。
ありがたいですね。
おや、懐かしいマーク。
青梅駅前には長崎屋があったんですね。
そのうち皆さんが徐々に集まってきましたが、二人来ない!
どうやら乗る電車を間違えてしまったようです。
青梅に来る電車は本数も少ないので、ひとまず現在集まったメンバーで出発しましょう。
最初の目的地は青梅市郷土博物館です。
遅れてくるお二人は、駅に到着次第、土地勘のあるオーメンさんが連れてきてくださるということで出発。
駅からまっすぐ南下していくと、多摩川の対岸に「かんぽの宿」の建物が見えてきました。
博物館はあの近くです。
お、桜はまだ少し見れますね。
この場所は多摩川が大きく「Ω」の字に蛇行している場所で、面白い場所です。
博物館に到着!
今日は企画展示はやっておらず、2階へ行って常設展示を見ます。
ここの売りの一つはこれ!
159㎝!
国内で2番目の長さの石棒が青梅で見つかっているんですね。
石棒好きには堪りません。
でも、あまり「石棒が好きだ」と言っていると変態だと思われる可能性もあるので、それほど強調しないようにしています。
これはその形状からして男性の物を表現していると考えられ、考古学者は子孫繁栄に関する祭祀で使用されたものではないかと説明することが多いです。
縄文土器も数は少ないですが良いものがありますよ。
市内駒木野遺跡で出土した縄文中期の深鉢です。
2階で説明していると後続が到着し、これで予定通り13名となりました。
今回の参加者は、
・大森さん
・小林さんさん
・オーメンさん
・S源寺さん
・安斉さん
・金子さん
・池上さん
・岸本さん
・遠藤さん夫妻
・スーさん
・稲用
そして、初参加として、上の縄文土器が造られた時代から代々4500年もの間、勝坂の集落に住み続けている女性(かなり推測)を含め13名です。
今回は多摩地域での開催ということもあり、多摩の人間が多いこの会としてはいつもより参加者が多くなったのかなと思います。
では、1階へ移動します。
1階にはこちらの目玉のもう一つとして、B-29と飛龍のエンジンが展示してあります。
B-29のエンジン。
日本陸軍の四式重爆撃機「飛龍」のエンジン。
飛龍の模型。
ここで軍事マニアのオーメンさんからB-29について簡単に説明していただきます。
私も飛行機は好きなので、オーメンさんの解説はいつも勉強になります。
こういう話を聴いていつも思うのは、日本とアメリカの技術力や工業生産力の差です。
あまりにも差が激しいので、こないだの戦争はやはり日本にとってはかなり難しいものでしたね。
解説が終わると、スーさんが「この中で、B-29を見たことがあるひと?」と皆さんを見渡しました。
さすがに誰もいません。
でもスーさんは何度も実機を見ているのです。
例えば、東京大空襲の時、下町に住んでいたスーさんは間一髪で生き延びたそうで、日本の戦闘機が上昇して行って、B-29の高度まで行けずに引き返したり、高射砲がB-29編隊よりも下の高度で炸裂しているのも実際に見ているわけです。
八王子大空襲も経験して、終戦間際には自身もP-51の機銃掃射でやられそうになったこともあったそうで、戦後の朝鮮戦争の時は、横田基地から飛び立つB-29を見上げていたそうです。
こういった実体験に基づく話が聞けることは貴重ですね。
さて、それではここからはしばらく歩きますよ。
博物館を出て、多摩川の段丘を急な階段で登り、吉野街道に出ました。
ここから東へ向かい、満地峠を越えてあきる野市を目指します。
この道は車では掃除の仕事で数えきれないくらい通っていますが、歩くのは初めてです。
経験上、歩いていると何か面白いものが見つかることが多いので、あらかじめの調査によってとくに見るべきものは無いことは分かっているのですが歩いてみます。
歩き出してすぐ、前方にハッピ姿の人びとが見え、山車も見えました。
「上長渕」と書かれています。
今日はお祭りなんですね。
さらに歩いていると、今度は「下長渕」の山車が見えました。
博物館から2㎞弱歩き、掃除の仕事の際にたまにお昼ご飯を食べる台湾料理屋さんの前に到着。
ここから山の方を見ると鳥居が見えるのですが、今まで気にはなっていたものの一度も訪れていませんでした。
今日はお祭りをやっていて賑やかしい雰囲気です。
寄ってみましょうか。
鹿島玉川神社っていうんですね。
鹿島って、あの鹿島かな?
警備員の方が「この辺は昔は調布村といってね、今日はこの辺一帯みんなお祭りをやってるんだよ」と教えてくれました。
調布と言うと多摩川下流の調布市が思い出されますが、現在でもこの辺りには橋の名前で「調布」という名前が残っていたりします。
「調」というのは古代の税のことで、税として布を納めたということで地名として残っているわけですね。
説明板がありました。
創建年代については実際かどうか分かりませんが、ちょうど平将門の乱の頃ですね。
ちなみに、この辺の戦国領主であった三田氏は将門の子孫を標榜しています。
あー、やっぱり祭神はタケミカヅチだった。
こちらには将門と戦った源経基の名が見えますね。
拝殿。
宮司は玉川さんって言うんですか。
玉川上水を造った玉川兄弟のご子孫?
境内には八雲神社もあります。
付近を見て戻ってきた金子さんが「ビール売ってないですねえ」と言い、確かに一見した感じでは出店の前にビールはないですね。
もう11時なので、出店を眺めていたらお腹が鳴りました。
岸本さんも「たこ焼きのタコが大きそう」というので、冗談で「ここで昼飯にしましょうか?」と言いましたが、串に刺さって焼かれている肉がこれまた美味そうで、それを売っているおじさんも「そろそろランチタイムだよー」と声を発しています。
今日は満地峠を越えるのに路線バスを使う予定ですので、その時刻の都合もあってあまり長居できません。
ここからは明治時代の地図を参考にして少しの間旧道を歩きます。
旧道の脇は小川になっており、安斉さんが「ハヤがいますよ」と言ったので見下ろしてみると、小さい魚が群れをなして泳いでいるのが見えました。
しかしここまで歩いてきて、今日は石仏一つ見つかりませんね。
そう思っていると、ようやく馬頭観音に巡り合いました。
見ての通り新しそうな形状をしており、横を見ると実際に昭和時代に造られたものでした。
現在の吉野街道から分岐する道の横にあります。
この道も古い道かな?
単なる散歩のようになっていますが、博物館を出て約1時間半後、恵明学園前のバス停に着きました。
ここまでですでに5㎞歩いています。
バスが来るまでの間に多摩川の流れを見てきましょう。
この辺もよく車で通っており、じっくりと多摩川を眺めてみたいなあと以前から思っていたのです。
ところで、この橋は何の施設でしょうか?
あー、なるほど、堰になっていますね。
小作堰管理橋です。
そういえばこの水門から上流は満々と水を湛えていますが、下流は一変して水の量が少ないですね。
面白い・・・
※帰宅後、Webで調べたところ、多摩川の流れはこの小作堰によって左岸(上流から見て左側)に寄せられ、もう一本の農業用水に分岐しています。
ここまで歩いてきて遺跡を見ることはできませんでしたが、午前中の探訪の最後に面白いものが見られましたね。
なお、この辺の道は歩いてきた吉野街道の続きですが、名称は滝山街道となっています。
あ、バスが来た。
満地峠を越えてあきる野市側へ入たっところでもうお昼の時間になりました。
池上さんは午後から所用があるということで、このままバスに乗って秋川駅まで行くそうでお別れです。
今晩飲めるメンバーが一人減ってしまいましたね。
いや、この会は別にそれが目的ではありませんよ。
残る12名は瀬戸岡で降車。
オーメンさんと遠藤さん夫妻はお弁当を食べるということで平井川の方へ向かい、残る9名で「なか卯」に入りました。
混雑していましたが、何とか全員席に着くことができました。
あー、お腹ペコペコ。
炭火で焼いた鶏肉の親子丼、美味しかった。
では、午後の探訪を始めましょう。
今日は午後の探訪がとくに面白くなる予定ですよ
⇒この続きはこちら
青梅には掃除の仕事でたまに来るのですが、電車で来たのは初めてです。
ホームにはレトロな待合室が。
改札を出てみると、おや、まだ誰もいない。
まずはセブンに行って朝ご飯を買い、戻ってくるとオーメンさんがいました。
今回、オーメンさんは事前下見をしてくださっており、パンフレット類を全員分集めてきてくれていたのです。
ありがたいですね。
おや、懐かしいマーク。
青梅駅前には長崎屋があったんですね。
そのうち皆さんが徐々に集まってきましたが、二人来ない!
どうやら乗る電車を間違えてしまったようです。
青梅に来る電車は本数も少ないので、ひとまず現在集まったメンバーで出発しましょう。
最初の目的地は青梅市郷土博物館です。
遅れてくるお二人は、駅に到着次第、土地勘のあるオーメンさんが連れてきてくださるということで出発。
駅からまっすぐ南下していくと、多摩川の対岸に「かんぽの宿」の建物が見えてきました。
博物館はあの近くです。
お、桜はまだ少し見れますね。
この場所は多摩川が大きく「Ω」の字に蛇行している場所で、面白い場所です。
博物館に到着!
今日は企画展示はやっておらず、2階へ行って常設展示を見ます。
ここの売りの一つはこれ!
159㎝!
国内で2番目の長さの石棒が青梅で見つかっているんですね。
石棒好きには堪りません。
でも、あまり「石棒が好きだ」と言っていると変態だと思われる可能性もあるので、それほど強調しないようにしています。
これはその形状からして男性の物を表現していると考えられ、考古学者は子孫繁栄に関する祭祀で使用されたものではないかと説明することが多いです。
縄文土器も数は少ないですが良いものがありますよ。
市内駒木野遺跡で出土した縄文中期の深鉢です。
2階で説明していると後続が到着し、これで予定通り13名となりました。
今回の参加者は、
・大森さん
・小林さんさん
・オーメンさん
・S源寺さん
・安斉さん
・金子さん
・池上さん
・岸本さん
・遠藤さん夫妻
・スーさん
・稲用
そして、初参加として、上の縄文土器が造られた時代から代々4500年もの間、勝坂の集落に住み続けている女性(かなり推測)を含め13名です。
今回は多摩地域での開催ということもあり、多摩の人間が多いこの会としてはいつもより参加者が多くなったのかなと思います。
では、1階へ移動します。
1階にはこちらの目玉のもう一つとして、B-29と飛龍のエンジンが展示してあります。
B-29のエンジン。
日本陸軍の四式重爆撃機「飛龍」のエンジン。
飛龍の模型。
ここで軍事マニアのオーメンさんからB-29について簡単に説明していただきます。
私も飛行機は好きなので、オーメンさんの解説はいつも勉強になります。
こういう話を聴いていつも思うのは、日本とアメリカの技術力や工業生産力の差です。
あまりにも差が激しいので、こないだの戦争はやはり日本にとってはかなり難しいものでしたね。
解説が終わると、スーさんが「この中で、B-29を見たことがあるひと?」と皆さんを見渡しました。
さすがに誰もいません。
でもスーさんは何度も実機を見ているのです。
例えば、東京大空襲の時、下町に住んでいたスーさんは間一髪で生き延びたそうで、日本の戦闘機が上昇して行って、B-29の高度まで行けずに引き返したり、高射砲がB-29編隊よりも下の高度で炸裂しているのも実際に見ているわけです。
八王子大空襲も経験して、終戦間際には自身もP-51の機銃掃射でやられそうになったこともあったそうで、戦後の朝鮮戦争の時は、横田基地から飛び立つB-29を見上げていたそうです。
こういった実体験に基づく話が聞けることは貴重ですね。
さて、それではここからはしばらく歩きますよ。
博物館を出て、多摩川の段丘を急な階段で登り、吉野街道に出ました。
ここから東へ向かい、満地峠を越えてあきる野市を目指します。
この道は車では掃除の仕事で数えきれないくらい通っていますが、歩くのは初めてです。
経験上、歩いていると何か面白いものが見つかることが多いので、あらかじめの調査によってとくに見るべきものは無いことは分かっているのですが歩いてみます。
歩き出してすぐ、前方にハッピ姿の人びとが見え、山車も見えました。
「上長渕」と書かれています。
今日はお祭りなんですね。
さらに歩いていると、今度は「下長渕」の山車が見えました。
博物館から2㎞弱歩き、掃除の仕事の際にたまにお昼ご飯を食べる台湾料理屋さんの前に到着。
ここから山の方を見ると鳥居が見えるのですが、今まで気にはなっていたものの一度も訪れていませんでした。
今日はお祭りをやっていて賑やかしい雰囲気です。
寄ってみましょうか。
鹿島玉川神社っていうんですね。
鹿島って、あの鹿島かな?
警備員の方が「この辺は昔は調布村といってね、今日はこの辺一帯みんなお祭りをやってるんだよ」と教えてくれました。
調布と言うと多摩川下流の調布市が思い出されますが、現在でもこの辺りには橋の名前で「調布」という名前が残っていたりします。
「調」というのは古代の税のことで、税として布を納めたということで地名として残っているわけですね。
説明板がありました。
創建年代については実際かどうか分かりませんが、ちょうど平将門の乱の頃ですね。
ちなみに、この辺の戦国領主であった三田氏は将門の子孫を標榜しています。
あー、やっぱり祭神はタケミカヅチだった。
こちらには将門と戦った源経基の名が見えますね。
拝殿。
宮司は玉川さんって言うんですか。
玉川上水を造った玉川兄弟のご子孫?
境内には八雲神社もあります。
付近を見て戻ってきた金子さんが「ビール売ってないですねえ」と言い、確かに一見した感じでは出店の前にビールはないですね。
もう11時なので、出店を眺めていたらお腹が鳴りました。
岸本さんも「たこ焼きのタコが大きそう」というので、冗談で「ここで昼飯にしましょうか?」と言いましたが、串に刺さって焼かれている肉がこれまた美味そうで、それを売っているおじさんも「そろそろランチタイムだよー」と声を発しています。
今日は満地峠を越えるのに路線バスを使う予定ですので、その時刻の都合もあってあまり長居できません。
ここからは明治時代の地図を参考にして少しの間旧道を歩きます。
旧道の脇は小川になっており、安斉さんが「ハヤがいますよ」と言ったので見下ろしてみると、小さい魚が群れをなして泳いでいるのが見えました。
しかしここまで歩いてきて、今日は石仏一つ見つかりませんね。
そう思っていると、ようやく馬頭観音に巡り合いました。
見ての通り新しそうな形状をしており、横を見ると実際に昭和時代に造られたものでした。
現在の吉野街道から分岐する道の横にあります。
この道も古い道かな?
単なる散歩のようになっていますが、博物館を出て約1時間半後、恵明学園前のバス停に着きました。
ここまでですでに5㎞歩いています。
バスが来るまでの間に多摩川の流れを見てきましょう。
この辺もよく車で通っており、じっくりと多摩川を眺めてみたいなあと以前から思っていたのです。
ところで、この橋は何の施設でしょうか?
あー、なるほど、堰になっていますね。
小作堰管理橋です。
そういえばこの水門から上流は満々と水を湛えていますが、下流は一変して水の量が少ないですね。
面白い・・・
※帰宅後、Webで調べたところ、多摩川の流れはこの小作堰によって左岸(上流から見て左側)に寄せられ、もう一本の農業用水に分岐しています。
ここまで歩いてきて遺跡を見ることはできませんでしたが、午前中の探訪の最後に面白いものが見られましたね。
なお、この辺の道は歩いてきた吉野街道の続きですが、名称は滝山街道となっています。
あ、バスが来た。
満地峠を越えてあきる野市側へ入たっところでもうお昼の時間になりました。
池上さんは午後から所用があるということで、このままバスに乗って秋川駅まで行くそうでお別れです。
今晩飲めるメンバーが一人減ってしまいましたね。
いや、この会は別にそれが目的ではありませんよ。
残る12名は瀬戸岡で降車。
オーメンさんと遠藤さん夫妻はお弁当を食べるということで平井川の方へ向かい、残る9名で「なか卯」に入りました。
混雑していましたが、何とか全員席に着くことができました。
あー、お腹ペコペコ。
炭火で焼いた鶏肉の親子丼、美味しかった。
では、午後の探訪を始めましょう。
今日は午後の探訪がとくに面白くなる予定ですよ
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