
富士浅間神社古墳は、現状では円墳に見えますが元々は前方後円墳だったといわれている詳細不明の古墳です。




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*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
東松山市西本宿996
現況
富士浅間神社境内
史跡指定
出土遺物が見られる場所
2.諸元
築造時期
不詳
墳丘
形状:前方後円墳
墳丘長:
墳高:
段築:
葺石:
埴輪:あり
主体部
不明
出土遺物
埴輪
周堀
3.探訪レポート
2015年2月1日(日)
この日の探訪箇所
富士浅間神社古墳(諏訪山36号墳) → 諏訪山29号墳 → 東武鉄道高坂構外側廃線跡 → 高濟寺および高坂氏館跡ならびに高済寺古墳 → 稲荷塚古墳
今日も早朝の現場に行くのと同じくらいに6時20分に家を出て、電車を乗り継いで北上します。
東武東上線の高坂駅に到着するころ、車窓からはきれいな富士山が見えました。

富士山は見慣れていますが、いつ見てもなぜか幸せな気分になりますね。
高坂駅には7時51分に到着。

まずは西口に出ます。

ちなみに、「高坂」は、「こうさか」ではなく「たかさか」と音しますよ。
まだ朝早いのでメインストリートも静かな感じです。

いやー、でも風が冷たい。
県北では痩せ我慢はやめて、ついに手袋をはめます。
10分くらいニョゴニョゴと歩いていると、前方に杜が見えてきました。

おそらく、あの辺りに古墳があるに違いない。
杜に近接しました。

おっと、神社を発見!

富士浅間神社です。
富士浅間神社の境内にも古墳があるそうですが・・・
ありました。
古墳の上に社殿が建つ、よくある形式ですね。

最初、円墳かと思いましたが、本来は前方後円墳で、前方部は削り取られてしまったらしいです。

富士浅間神社の沿革は分かりませんが、『新編武蔵風土記稿』によれば、元宿村の鎮守で、常安寺の持ということです。
地図で確認すると、常安寺は関越自動車道の向こう側にあり、現在も法灯を伝えています。
『東松山市史 資料編第1巻 原始古代・中世 遺跡・遺構・遺物編』によると、昭和42年の分布調査時には、諏訪山古墳群には3基の前方後円墳を含む37基の古墳が確認されていましたが、その時点でほとんどが損傷を受けていました。
3基の前方後円墳とは、こちらの富士浅間神社古墳(36号墳)、29号墳、諏訪山古墳(35号墳)の3基のことですが、29号墳はのちに前方後方墳であったことが判明しています。
ところで、とりあえずやってきた富士浅間神社古墳ですが、詳細に関してはまったくわからないのです。
諏訪山古墳群の他の古墳の中には調査を行ってそれなりに遺物を見つけている古墳があるのですが、富士浅間神社古墳に関しては神社境内ということもあって発掘調査も行われていないようで、埼玉県の古墳を調べる際に最も頼りになる塩野博著の『埼玉の古墳』でもほとんど触れられていません。
ということで、本日の探訪の本来の目的である武蔵国内における最古級の前方後方墳である29号墳と、同じく最古級の前方後円墳である35号墳を探しに行きましょう。
(つづく)
4.補足
5.参考資料
・『新編武蔵風土記稿』
・『東松山市史 資料編第1巻 原始古代・中世 遺跡・遺構・遺物編』
・『埼玉の古墳 比企・秩父』(塩野博/著) 2004年