摩利支天塚古墳は5世紀後半に下毛野を治めた王が眠る墳丘長120mの大型前方後円墳で、2020年1月からは大規模発掘が始まっており現在非常にホットな古墳の一つです。
発見容易
説明板あり
墳頂登頂可能
駐車場あり
トイレは資料館にあり
お勧め度:
1.基本情報
所在地
栃木県小山市飯塚362
現況
摩利支天尊
史跡指定
国指定史跡
指定日:昭和53年7月21日
出土遺物が見られる場所
2.諸元
築造時期
5世紀後半から6世紀初頭
墳丘
形状:前方後円墳
墳丘長:120.6m
墳高:
段築:前方部・後円部共に2段築成か
葺石:なし
埴輪:あり
主体部
不明
出土遺物
埴輪(人物埴輪など)
周堀
盾形二重
3.探訪レポート
2019年1月20日(日) 下毛野・古代史強化探訪⑬
この日の探訪箇所
長塚古墳 → 桃花原古墳 → 羽生田茶臼山古墳 → 羽生田富士山古墳 → 上神主・茂原官衙遺跡および浅間神社古墳 → 多功大塚山古墳 → 御鷲山古墳 → 下野薬師寺跡および下野薬師寺歴史館 → しもつけ風土記の丘資料館 → 甲塚古墳 → 国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館 → 琵琶塚古墳 → 摩利支天塚古墳 → 寺野東遺跡およびガイダンス施設 → 小山市立博物館 → 乙女不動原瓦窯跡
⇒前回の記事はこちら
先ほど琵琶塚古墳の墳頂から見えた摩利支天塚古墳へは歩いてやってきました。
ちょうど墳丘の横っ腹が見える場所に来ましたよ。
琵琶塚古墳からは歩いて3分くらいです。
右手が前方部で左手が後円部。
前方部側へ回ってみましょう。
さきほどの琵琶塚と大きさはそれほど変わりませんが、墳丘に木が生えているせいか小さく見えます。
立派な「摩利支天尊」の石柱があることから摩利支天が祀られているのが分かり、鳥居があります。
あれ、でも摩利支天は「天」だから仏さまですよね。
摩利支天「尊」だから神社でオッケー?
私は神仏習合人間ですからこういうことは気にしません。
振り返ると参道が伸びています。
近辺の案内図。
こちらは古墳の説明板。
ここでは墳丘長は117mとありますが、さきほど見た資料館のパネルでは墳丘長は120.6mとなっていました。
120.6mって栃木県で3位か?
栃木には吾妻古墳と琵琶塚古墳以外に120mオーヴァーの古墳ってありましたっけ?
前方後方墳の上侍塚や藤本観音山も数メートル足りないはず。
そして摩利支天塚も二重周堀ですね。
摩利支天塚は琵琶塚よりも前の古墳なのに墳丘の平面デザインは時代と逆行していて、古い摩利支天塚の方は後円部径より前方部幅の方が大きく、新しい琵琶塚は後円部径より前方部幅の方が小さいのです。
こういう一般的な編年に当てはまらないのが栃木の古墳の面白いところかもしれません。
そしてこの墳丘図をよく見てください。
資料館のパネルにも書いてありましたが、前方部底辺のラインを見てください。
底辺の中央が突出していますよね。
つまりは、全国的に見ても珍しい剣菱形になっているのです。
6世紀の前方後方墳でまれにみられる形状ですが、こういう形状になっている事実は分かっていても、なぜこういう形状にしたのかは分かっていません。
ただし、継体天皇陵の今城塚古墳も以前は剣菱形と言われていたのが、後世の地崩れによるものと分かっていたり、全国的に見ると確実に剣菱形と言えるものがいくつあるのか不明で、2020年に出た『摩利支天塚古墳の測量・GPR 調査』(早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所/編)には、「発掘の際に「剣菱形」と誤認した可能性が高い」と考えられ、「「剣菱形前方部」である可能性は限りなく低いと判断できる」とあります。
それと、一般的な説明では、摩利支天塚の次に造られた琵琶塚から「下野型」の特徴である基壇を設けるようになったとされるのですが、墳丘図を見ると摩利支天塚の尾根は下野型と同様に「細尾根状」になっており、すでに下野型の設計思想は摩利支天塚の時点で始まっているのではないかと思います。
では、墳丘に登ってみましょう。
前方部の墳頂にも鳥居がありました。
宝珠?
前方部から下を見下ろします。
前方部の高さは7m。
後円部を見ます。
こう見ても結構比高差がありますが、後円部は10mあり、とても後期古墳とは思えない激しい比高差があります。
築造時期は早くて5世紀末ということですが、「末」とは言わず、もう少し早まる可能性を含めて「後半」でいいんじゃないでしょうか。
後円部の裾の方を見ますが、墳丘には段築らしきものがハッキリしませんし、裾にも周堀らしきものはよく見えません。
眺望。
後円部墳頂に来ました。
2階建てですかね?
思っていたより立派なお堂があります。
まずはお参りです。
昭和16年1月の奉納額。
「摩利支天尊」とありますね。
建物内をちょっと。
うん、やっぱり結構な高低差だ。
琵琶塚の前方部が見えますね。
角度を変えて資料館方向。
後円部法面のこの窪みは盗掘の跡かな?
墳丘を降ります。
琵琶塚同様、摩利支天塚も周堀跡が良く分かりません。
では、資料館の駐車場へ戻りましょう。
再び琵琶塚古墳。
美しい古墳だなあ。
真横に来ました。
雷電號と琵琶塚古墳。
さて、今日も早朝からたくさんの古墳を見ていますが、もう少し時間があるため、小山市内の遺跡をいくつか見てみようと思います。
(つづく)
4.補足
5.参考資料
・現地説明板
・『摩利支天塚古墳の測量・GPR 調査』 早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所/編 2020年