琵琶塚古墳は6世紀前半に築造された墳丘長124.8mを誇る栃木県で2番目に大きい前方後円墳で、国造時代より前の「下毛野の王」が葬られた古墳と考えられます。
発見容易
説明板あり
大きさは栃木県第2位
墳頂登頂可能
駐車場は資料館にあり
トイレは資料館にあり
お勧め度:
1.基本情報
所在地
栃木県小山市飯塚655
現況
古墳
史跡指定
国指定史跡
指定日:大正15年2月24日
出土遺物が見られる場所
2.諸元
築造時期
6世紀前葉
墳丘
形状:前方後円墳
墳丘長:124.8m
墳高:
段築:後円部3段、前方部2段(それぞれ最下段は基壇)
葺石:なし
埴輪:あり(埴輪列検出)
主体部
不明
出土遺物
周堀
二重
3.探訪レポート
2019年1月20日(日) 下毛野・古代史強化探訪⑫
この日の探訪箇所
長塚古墳 → 桃花原古墳 → 羽生田茶臼山古墳 → 羽生田富士山古墳 → 上神主・茂原官衙遺跡および浅間神社古墳 → 多功大塚山古墳 → 御鷲山古墳 → 下野薬師寺跡および下野薬師寺歴史館 → しもつけ風土記の丘資料館 → 甲塚古墳 → 国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館 → 琵琶塚古墳 → 摩利支天塚古墳 → 寺野東遺跡およびガイダンス施設 → 小山市立博物館 → 乙女不動原瓦窯跡
国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館の見学を終え、実際の古墳を見てみますよ。
まずは琵琶塚古墳からです。
墳丘はきれいに整備されていて素晴らしい!
トラックが停まっていますが、切り倒した樹木の搬出をしているようです。
では、向かって右手の後円部側から見てみましょう。
周堀の跡。
琵琶塚は二重堀なので、これは内堀になります。
後円部を見上げます。
大きいですねえ。
琵琶塚は墳丘長124.8mで、そもそもが大きな古墳ではありますが、さきほど資料館で墳丘図を見た通り、ポッチャリ体型で後円部が大きいため、後円部の裾から見上げると墳丘長以上のヴォリューム感があります。
周堀跡を歩きます。
栃木県のこの周辺には「下野型」と呼ばれる広い基壇を設けた上に細尾根のような墳丘を乗せる古墳が流行して、今日も朝から散々見てきましたが、6世紀前半に築造されたこの琵琶塚古墳がその嚆矢となるようです。
一番下に基壇があって、その上に2段の墳丘が乗っているのが何となくわかりますね。
こういう古墳は2段築成なのか3段築成なのか表現に迷いますが、私は基壇を含めて3段築成と呼ぶことにしています。
では、ちょうど逆光になってしまいますが、後円部を登りますよ。
墳頂には祠がありました。
このまとめてある石は葺石でしょうか。
でも下野型古墳はあまり葺石せず、琵琶塚も同様なため古墳とは関係のない石だと思われます。
墳頂からくびれ方向を見ます。
琵琶塚古墳はに西側に南流する思川と東側に南流する姿川に挟まれた台地の上にあります。
西側の眺望。
東側の眺望。
只今作業中。
後円部から前方部を見ます。
やはり124mもあっても下野型ですから墳頂の尾根は細めに作られています。
実はポッチャリではない?
前方部の方へ行ってみましょう。
振り返って後円部。
前方部。
前方部の先端から見下ろすと、下野型古墳の特徴である基壇が良く分かりますね。
向こうには琵琶塚より古い世代の摩利支天塚古墳の森が見えます。
前方部から後円部を見ます。
雲一つない青空、に限りなく近い空!
気持ちいい!
東側は周堀の跡は分かりませんね。
西側の方がまだ分かるかな。
前方部のエッヂ部分を見下ろします。
それでは、墳丘を降りましょう。
今度は前方部側からのいつものアングル。
いいねえ。
説明板と標柱はこちらにありました。
この説明板のスペックを見ると、墳丘長が資料館のパネル展示と少し違うとかそういう細かいことは抜きにすると、6世紀になっているのにまだ後円部径の方が前方部幅よりも少しだけ大きくて、古風な設計要素を残しているところが面白いです。
全然関係ないですが、「思川」とか「姿川」って川の名前が素敵ですね。
先ほども言った通り、後円部の径を大きめに作っているため、公園裾から見た時によりヴォリューミーに感じます。
なお、栃木県内で最も大きい古墳は下野市の吾妻古墳で墳丘長は約128mですから僅差ですね。
吾妻古墳はここから北へ3㎞ほどの位置にあり、6世紀後半に築造されていますので、下毛野の初代国造が眠る古墳は吾妻古墳かもしれませんが、琵琶塚古墳の被葬者とどのような繋がりがあったのか興味深いです。
ではつづいて、このまま歩いて摩利支天塚古墳まで行ってしまいましょう。
⇒この続きはこちら
4.補足
5.参考資料
・現地説明板