⇒前回の記事はこちら
谷保天満宮を出て、多摩川低地を歩きます。
素敵な建物。
看板に坂下集会所とあります。
鳥さん、こんにちは。
今回もいつもの通り地図は用意してきましたが、大雑把に歩く場合は地図は必要ないです。
よく見慣れた風景なので道に迷うことはありません。
ただし、今までは車での移動で今回は徒歩ですから、距離感は注意しないといけませんね。
遠くに立派な森が見えます。
あそこは、中央道の国立府中ICの中に取り残された森です。
あそこに森が有るのと無いのとでは全然違いますから残っていて良かったと思います。
谷保の城山も見えます。
ところで、時刻は12時半を過ぎており、お腹が空いています。
立川駅を出発してから休みなしで2時間半以上歩いているので、そろそろ休憩したいなあと思いますが、この辺はそういう場所が無いんですよね。
もうしばらく我慢しましょう。
次の目的地である下谷保1号墳もハケの上にありますから、ハケの方へ向かいます。
あ、あそこは3年前に歩いた場所だな。
今日はハケの上に登ります。
少し歩いて行くと、下谷保1号墳に到着!
この近くも掃除の仕事で毎週のように通っていたのですが、下谷保1号墳の存在に気づきませんでした。
こうして説明板まで設置してある古墳なのに、なんで今まで私は存在を知らなかったのだろう?
不思議ですが、おそらく今日ここで縁ができるように神様が設定してくれて、そのことに何か意味があるのだと思います。
ちょっと文字が薄れてしまっている説明板を読んでみましょう。
国立市内でこうして説明板まで設置してある古墳はここと四軒在家1号墳の移築復元だけですね。
しかも四軒在家1号墳は移築ですから、本物の墳丘(といっても、整備する際に数十cmから1メートルくらいは土をかぶせることがある)が見られるのはここだけです。
径23メートルほどの円墳ということで、今日見てきた多くの古墳と同じような群集墳の一つですね。
南東40mに現存する2号墳というのが気になる・・・
石室の写真。
※見やすくなるように補正しました
石室の説明は、四軒在家1号墳のページで詳しくしました。
その説明を思い出していただければと思いますが、平面形は同じような形をしており、羨道と玄室に分かれます。
大きさはこちらの方が少し大きいでしょうか。
四軒在家1号墳は石室の高さはすでに分からなくなっていましたが、こちらは1m60㎝あったことが分かっています。
ただし、その高さは玄室の高さですから、羨道の高さはもしかしたらもう少し低いかも知れません。
図を見ると、壁は持ち送り式にしていたようです。
大きな違いは、こちらの場合は羨道と玄室の境目が分かるように、門柱のような石が設置してあるところです。
四軒在家1号墳にはそういうものはありません。
こちらもセオリー通り、奥壁には大きめの石を使っていますね。
墳頂。
墳頂に登るためのステップとなっている石は、石室の天井石ではないでしょうか?
敷地の端にはたくさんの河原石が置かれています。
これは比較的大きい。
何かの文字が書かれていますが、これらは発掘したものでしょうか。
墳丘はご覧の通りかなり削られています。
いやー、ここは良い場所だ!
興味が無い近所の方からすると、私たち古墳マニアのことはよく理解できないでしょう。
多分、ベランダに居てこちを見ていた方も、「あ、また奇特なのが来た」と思っていたと思いますよ。
でもまだここは説明板もあって興味の有る無しに関わらず、ここがそういう場所だということは分かるからいいですけど、ただ墳丘だけが小ぢんまりと残っているだけの場所なんかでカメラを向けていると、大概の人はその墳丘には気づきませんから、不審者に思われても仕方が無いですね。
つづいて、府中方面へ行こうと思いますが、さきほど説明板に書かれていた現存している2号墳というのが気になります。
あ!
もしかして、あれかな?
家と家の狭い隙間に畑へ登る通路があって、その向こうに何やら怪しい土盛りがあるのです。
不審者だと思われることを覚悟して行って見ます。
これかなあ?
畑の際を歩いて角度を変えて見てみましょう。
南側の眺望。
あそこの道路はしょっちゅう通っていたなあ。
ところで、畑とか元畑の場所を歩く際は、もちろん現役の畑であれば農作物から離れて歩くのは当たり前ですが、元畑の場合は、草が生えていない場所は要注意です。
いきなり「ズボッ」と、脛まで足が埋まることがありますからね。
「東京都遺跡地図」を見る限りでは、やはりこれが下谷保2号墳ですね。
いや、偶然にも見つけられて良かった。
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)によると、墳丘は削られており、現存している物は東西12m、南北7m、高さが1.5mです。
では、府中へ向かいましょう。
⇒この続きはこちら
谷保天満宮を出て、多摩川低地を歩きます。
素敵な建物。
看板に坂下集会所とあります。
鳥さん、こんにちは。
今回もいつもの通り地図は用意してきましたが、大雑把に歩く場合は地図は必要ないです。
よく見慣れた風景なので道に迷うことはありません。
ただし、今までは車での移動で今回は徒歩ですから、距離感は注意しないといけませんね。
遠くに立派な森が見えます。
あそこは、中央道の国立府中ICの中に取り残された森です。
あそこに森が有るのと無いのとでは全然違いますから残っていて良かったと思います。
谷保の城山も見えます。
ところで、時刻は12時半を過ぎており、お腹が空いています。
立川駅を出発してから休みなしで2時間半以上歩いているので、そろそろ休憩したいなあと思いますが、この辺はそういう場所が無いんですよね。
もうしばらく我慢しましょう。
次の目的地である下谷保1号墳もハケの上にありますから、ハケの方へ向かいます。
あ、あそこは3年前に歩いた場所だな。
今日はハケの上に登ります。
少し歩いて行くと、下谷保1号墳に到着!
この近くも掃除の仕事で毎週のように通っていたのですが、下谷保1号墳の存在に気づきませんでした。
こうして説明板まで設置してある古墳なのに、なんで今まで私は存在を知らなかったのだろう?
不思議ですが、おそらく今日ここで縁ができるように神様が設定してくれて、そのことに何か意味があるのだと思います。
ちょっと文字が薄れてしまっている説明板を読んでみましょう。
国立市内でこうして説明板まで設置してある古墳はここと四軒在家1号墳の移築復元だけですね。
しかも四軒在家1号墳は移築ですから、本物の墳丘(といっても、整備する際に数十cmから1メートルくらいは土をかぶせることがある)が見られるのはここだけです。
径23メートルほどの円墳ということで、今日見てきた多くの古墳と同じような群集墳の一つですね。
南東40mに現存する2号墳というのが気になる・・・
石室の写真。
※見やすくなるように補正しました
石室の説明は、四軒在家1号墳のページで詳しくしました。
その説明を思い出していただければと思いますが、平面形は同じような形をしており、羨道と玄室に分かれます。
大きさはこちらの方が少し大きいでしょうか。
四軒在家1号墳は石室の高さはすでに分からなくなっていましたが、こちらは1m60㎝あったことが分かっています。
ただし、その高さは玄室の高さですから、羨道の高さはもしかしたらもう少し低いかも知れません。
図を見ると、壁は持ち送り式にしていたようです。
大きな違いは、こちらの場合は羨道と玄室の境目が分かるように、門柱のような石が設置してあるところです。
四軒在家1号墳にはそういうものはありません。
こちらもセオリー通り、奥壁には大きめの石を使っていますね。
墳頂。
墳頂に登るためのステップとなっている石は、石室の天井石ではないでしょうか?
敷地の端にはたくさんの河原石が置かれています。
これは比較的大きい。
何かの文字が書かれていますが、これらは発掘したものでしょうか。
墳丘はご覧の通りかなり削られています。
いやー、ここは良い場所だ!
興味が無い近所の方からすると、私たち古墳マニアのことはよく理解できないでしょう。
多分、ベランダに居てこちを見ていた方も、「あ、また奇特なのが来た」と思っていたと思いますよ。
でもまだここは説明板もあって興味の有る無しに関わらず、ここがそういう場所だということは分かるからいいですけど、ただ墳丘だけが小ぢんまりと残っているだけの場所なんかでカメラを向けていると、大概の人はその墳丘には気づきませんから、不審者に思われても仕方が無いですね。
つづいて、府中方面へ行こうと思いますが、さきほど説明板に書かれていた現存している2号墳というのが気になります。
あ!
もしかして、あれかな?
家と家の狭い隙間に畑へ登る通路があって、その向こうに何やら怪しい土盛りがあるのです。
不審者だと思われることを覚悟して行って見ます。
これかなあ?
畑の際を歩いて角度を変えて見てみましょう。
南側の眺望。
あそこの道路はしょっちゅう通っていたなあ。
ところで、畑とか元畑の場所を歩く際は、もちろん現役の畑であれば農作物から離れて歩くのは当たり前ですが、元畑の場合は、草が生えていない場所は要注意です。
いきなり「ズボッ」と、脛まで足が埋まることがありますからね。
「東京都遺跡地図」を見る限りでは、やはりこれが下谷保2号墳ですね。
いや、偶然にも見つけられて良かった。
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)によると、墳丘は削られており、現存している物は東西12m、南北7m、高さが1.5mです。
では、府中へ向かいましょう。
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