日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

北大谷古墳・宇津木向原遺跡・狐塚古墳・ひよどり山古墳|東京都八王子市

2020-01-16 14:26:41 | 歴史探訪
 自宅の近くにあるスポットは、「近くにあるからいつでも行ける」と思ってなかなか行かないってことはないですか?

 私の場合は、八王子駅北口から歩いて行ける距離にある北大谷古墳がまさしくそれだったのです。

 一昔前、体調が悪い状態から抜け出そうと思い、体力づくりの為に近場の遺跡めぐりを始めたのですが、その頃から行こうと思っていて結局行けてなかったわけです。

 ところが今日はたまたま、八王子駅の近くで朝7時から1時間半の現場をやってお終いだったので、お掃除が終わった後、テクテクと歩いてようやく見てくることができました。

 今日はこの探訪の様子を簡単にご報告します。

*     *     *


 8時半に現場が終わり、歩く前にまずは腹ごしらえです。

 松屋で最近お気に入りの「創業ビーフカレー」(普通盛り)を食べ、8時45分に出発!

 ひよどり山トンネルへ向けて歩きます。

 いつもは車で渡っている浅川大橋ですが、歩いて渡るのは初めてかもしれません。



 前方に見える低い丘陵は加住南丘陵で、あの丘の上に北大谷古墳は築造されています。

 また、ここから東方向(画面右側)に向けては大規模な横穴墓群が展開していて、私が知っている限りでは今見られる横穴墓は1基だけですが、時期的に考えると北大谷古墳の被葬者に関係ある特別な人びとの墓ではなかったかと思います。

 西側を見ると、お馴染みの多摩の山々が。



 真中は大岳山ですよ。

 ひよどり山トンネルの手前から階段で丘に登り、そのまま道路を歩いて大善寺を目指します。

 大善寺を過ぎたあたりからさらに左手の丘陵の上へ登る道を探し、舗装されていない道を登っていくと前方が開けました。

 草地になっています。



 今日は掃除の仕事の後なのでトレッキングシューズじゃないんですよね。

 八王子は昨日の午後まで雨が降っていて、地面はそれほどグチャグチャではないですが、霜柱も見えて少しぬかるんでいます。

 そういえば、今日の朝7時の八王子駅前の温度計は2℃と表示されていました。

 お、あれは東京都の説明板じゃないかな?



 しかも左手のあのこんもりとしたのは墳丘でしょう。

 はい、到着!



 説明板を読んでみましょう。



 最近設置されたんですね。

 というわけで、近いからいつでも来れると思っていてなかなか来なかった北大谷古墳に到着です。

 でも、事前に知り得た情報とはちょっと雰囲気が違いますよ。

 墳丘自体は草が綺麗に刈ってあって見やすいのですが、墳丘の周りは柵で囲ってあって中に入れないようになっています。

 しかも、柵の設置も新しそうですよ。

 仕方がないので外側から見ますか。



 でも、とりあえず中に入れないところはないか探します。



 ダメですね。

 やっぱり中には入れません。



 さきほど見た説明板が新しいものなので、北大谷古墳の概要はあれでよいかなと思います。

 説明板では直径39mの円墳となっていますが、かつては方墳説もありました(もしかすると、今でも方墳説の方もいるかもしれません)。

 築造時期は7世紀で終末期古墳ということになり、谷地川は多摩川の支流ですので、多摩川流域の有力者の墓ということになります。

 では、多摩川流域全体を治めていたかというと微妙で、多摩川流域はとても面白い場所なのですが、終末期には同じくらいの力を持った有力者が下流域から上流域まで、だいだい7人くらいはいたような感触を持っています。

 北大谷古墳の被葬者はそのなかの一人ということになります。

 それと、横穴式石室の全長が10mということですが、これは決して小さくはありませんよ。

 切石積みで造られているので、イメージ的には府中市にある熊野神社古墳の復元石室を見学していただくといいかもしれません。

 南側の山々。



 八王子駅南口のサザンスカイタワーはどこからでも見ることができるので、ある意味とても便利な建物です。

 大岳山も見えますよ。



 やはり、王者の墓は良い立地にありますね。

 しかしそうはいっても、少し寂しい雰囲気のする場所ではあります。

 でも、古墳の近くは草地や畑になっていて、開発の波が押し寄せてきていないのは幸いですね。

 東側の北八王子の工業団地。



 東京精密やアムウェイの看板が見えます。

 それでは、ここで元来た道を戻って帰宅しても面白くないので、せっかくですからもう少し歩いてみましょう。

 中央道の方へ行ってみます。

 あ、見えた。



 東京都の遺跡地図によると、ここから中央道沿いに少し西に行ったところには狐塚古墳というのがプロットされているので確認しに行きたいと思います。

 料金所が見えた。



 さーて、古墳はこの辺のはずなんだけどなあ・・・



 ないですねえ。

 なーんにも無い。



 多分こんなことだろうとあまり期待していなかったのですが、やはり狐塚古墳はありませんでした。

 でも、実はこの場所は学史上、非常に重要な場所なのです。

 そもそも、狐塚古墳がある場所は宇津木向原遺跡という遺跡の範囲で、八王子ICを造る際、昭和39年に発掘調査がされています。

 そしてここで見つかった方形の溝で囲まれた住居だか墓だか良くわからなかった遺構が、発掘した大場磐雄さんにより墓と断定され、「方形周溝墓」とネーミングされたのです。

 同様な遺跡は以前から列島各地で見つかっていたのですが、ネーミングされたのは宇津木向原遺跡がきっかけなのです。

 つまり、八王子は方形周溝墓の故郷なのだ!

 宇津木向原遺跡の風景。



 もうちょっと引いてみましょう。



 古墳好きの人がつぎに興味を持つのが弥生時代から古墳時代にかけてのお墓の形態の一つである方形周溝墓であることは間違いないです。

 方形周溝墓について熱く語れる人は、おそらくすでに古墳については自分の心の中で折り合いを付けている未来志向の人でしょう。

 方形周溝墓は古墳より古い遺跡なのに未来志向。

 未来は過去にある!

 ちなみに、方形周溝墓の復元を見ようと思ったら、東京近郊に住んでいる方は横浜市の大塚・歳勝土遺跡がお勧めです。



 ※歳勝土遺跡の方形周溝墓の復元

 あ、ところで話を狐塚古墳に戻しますが、『多摩の古墳』(八王子市郷土資料館/編)によると、直刀や鉄鏃が出たとの伝承があるものの、ほぼ何も分からないようです。

 ただ、河原石が多く見つかっているので、河原石積みの横穴式石室であったことが想定されるのみです。

 では、もう一つ、ひよどり山古墳も見に行きましょう。

 いや、そここそ、何もないということはすでに知っています。

 おっと、よく見るC-130の3機編隊。



 道路を使わずに草地を歩いてショートカットをしたら、小宮公園の裏側入口に出ました。



 小宮公園のなかの紛らわしい土盛。



 古墳なわけないよねえ。

 あ、この辺以前歩いたことある!

 数年前、歴史仲間たちとこの辺を歩きました。

 そのときは私はただ着いて行っただけのようなものなのであまり覚えていませんが、某演歌歌手の邸宅の場所は思い出しました。

 でも写真は撮りませんよ。

 そして、その邸宅の近くにひよどり山古墳があったのです。

 はっきり示すとあまりよくないので、この辺です。



 東京都の遺跡地図でひよどり山古墳がプロットされている場所は、数年前にお掃除の仕事でたまたまここを通った時に見てみたら家が一軒建つくらいの空き地になっていました。

 ただし、墳丘はありませんでした。

 それが現在はその上に立派なお家が建っています。

 でも怪しいのは、上の写真の右手側がさらに高くなっていることです。

 古墳を造るとしたら、東京都遺跡地図が示している場所ではなくて、もう少し上だと思うのですがねえ。

 ただ、群集墳のなかの1基ということであれば、遺跡地図が示す場所にひよどり山古墳があって、そこよりさらに高い場所にも当初は墳丘があったと考えることができます。

 『多摩の古墳』(八王子市郷土資料館/編)によると、昭和32年に甲野勇さんの指導で発掘が行われましたが、墳丘に関しては形状が長方形の可能性を示すだけで大きさなどは書いていないので、すでにその時点で墳丘もかなり破壊されていたのではないでしょうか。

 横穴式石室に関しては、河原石の小口積みで、長さ2.7m、奥壁幅1.07mの玄室に0.8mの羨道部が付くだけということなので、かなり小さな古墳だったと考えられます。

 そう考えると、やはり現在の遺跡地図で見られるような単独墳ではなく、この辺には群集墳を構成する小さな古墳がたくさんあったと考えてもいいと思います。

 北大谷古墳を盟主墳と仰ぐ群集墳が今の小宮公園周辺に存在し、その中の一基が狐塚古墳やひよどり山古墳というように考えるのが自然かなと思います。

 では、ここから一本道で八王子市街地へ戻りますよ。

 切り通しで丘を降りて振り返ります。



 そうだそうだ、思い出した。

 この道は中世の川越道でした。

 つまり、八王子と川越を結ぶ幹線道路で、上杉謙信も武田信玄もこの道を通った可能性があります。

 そして今度は暁橋で浅川を渡りますが、対岸のあの場所には戦後間もないころまで遊郭があったのです。



 遊郭は北側を浅川で画され、他の三方には塀がめぐらされ、遊女たちはそこから外に出ることはできませんでした。

 来るときに渡った浅川大橋が見えます。



 暁橋を渡って振り返る。



 ここが遊郭の正門があった場所。



 あたりの道は狭いのに、この200mくらいのストレートのみ道幅が広い。

 昔の名残です。

 八王子空襲の際、遊郭街には爆弾が落ちなかったと言われています。

 地元ではアメリカ軍が日本を降した後、遊郭で遊ぶためにわざと遊郭を標的から外したとの説があるのですが、実際、進駐してきた米兵はここで遊んでいます。

 そして、様々な男女のドラマが展開され、悲しい人生を辿った女性も多かったようです。

 この遊郭のことを書きだすと長くなるので、また別の機会に文章にしましょう。

 というわけで、ここまで1時間40分歩きました。

 八王子駅はここからもう10分くらいです。

 つまり、八王子駅をスタートにすると2時間くらいのちょうどよいお散歩コースというわけですが、途中の小宮公園に寄って弁天池などをゆっくり見学する場合は、半日くらいのお散歩コースになりますね。

 ところで、実はこの短い探訪が仕事を除いて今年初の歴史探訪になりました。

 明日からは2泊3日で九州の古代史ツアーをご案内してきますよ。

 (了)



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