日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

新皇塚古墳/菊間古墳群|千葉県市原市 ~平将門の墓と伝わる古墳~ 【梅雨の晴れ間に上総古代史探訪 ①】

2019-06-16 20:29:59 | 歴史探訪
 今回の行き先は上総なので、雷電號を巡航させる時間はあまりないですね。

 ただし途中、空いている首都高を楽しむことができるので、運転時間は妥協しましょう。

 というわけで、3時30分に出陣。

 八王子の関へは3時50分には進入できたので、高速料金が深夜割引適用となります。

 早朝の高速道路は快適でいいですね。

 走っているうちに、空も白み始めました。

 八王子の関を通過してから1時間かからずに蘇我の関を通過しました。

 本日の大雑把なプランとしては、市原市の上総国分尼寺跡展示館が開くのが9時なので、それまでに市原市内で行ってみたい遺跡は全部めぐろうと思っています。

 まず最初にやってきたのは市原市の菊間です。

 菊間にも多くの古墳があり、菊間国造の本拠地とされている場所ですが、初めは新皇塚古墳を目指します。

 今日は『房総の古墳を歩く』を持ってきているのですが、該書によると、新皇塚古墳は見学できないそうです。

 まあでも、とりあえず場所だけでも分かればいいですし、古墳の立地や古墳からの景観などを確認することは必要でしょう。

 地図を頼りにやってきたのは、団地の中でした。

 団地の裏は一段高くなっており、その高い場所に新皇塚古墳があると思われます。



 こちら側から上へ登る階段はないようです。

 念のため、丘の上の道をたどり、古墳に近接できないかやってみます。

 うーん、ダメですねえ。

 該書によると、新皇塚古墳は4世紀中葉に築造された前方後方墳ということですが、面白いのはそのネーミングですよね。

 新皇といったら、平将門のことを指します。

 もちろん、将門が古墳に葬られた可能性は極めて低いわけですが、市原市辺りに残っている将門伝承を知りたいです。

 さて、新皇塚古墳は早々にあきらめて、つづいて菊間天神山古墳へ向かいましょう。

 ⇒この続きはこちら


最新の画像もっと見る