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府中町歴史民俗資料館の見学を終え、当初の予定ではつぎに安芸国分寺跡へ行こうと思っていましたが、神武天皇の埃宮の絡みで資料館の方に松崎八幡宮があった場所を教えていただいたので行って見ようと思います。
教わった場所は大雑把で、かつ土地勘が無いのですが、いつものようにKKDで探します。
ここかなあ・・・
いや、この高台の住宅街にはそれらしき場所はありません。
ではあっちのほうかな・・・
あ!
説明板が見える!
車を路駐させて見に行きます。
ここですね。
ちゃんと町が説明板も立ててくれているではないですか。
石段を駆け上がると平場が展開していました。
神武天皇!
もう神社ではないので・・・
なにも、かかれて、いない・・・
変な場所に表示が。
府中村時代のものですね。
神武天皇の腰掛石があるようです。
御尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ奉ります!
「松崎八幡址」と刻された石柱。
古代の廃寺跡は好きでよく行きますが、神社跡というのはなんか不思議な感じがします。
神様は分けてもなくならないので、分祀しても元の場所に神様がずっといらっしゃることもありますが、多家神社へは完全な引越しですね。
でも考えてみれば、元々村の各所に祀られていた神様を一箇所に集めたというのは良くあることで、その場合、元々の場所は跡形もなくなっていることも普通ですのでこれは珍しいことではないですね。
しかしここは眺望が良い!
先ほど訪れた多家神社も現在では木々に遮られていますが眺望が良い場所です。
でもこの風景はきっと神武天皇は気に入ってくださるに違いありません。
そもそも、神武が実在かどうか、実在としても東征の話は史実なのか、などと考えるべきことはたくさんありますが、こういう場所に来た場合は素直に歴史のロマンを楽しみましょう。
今自分は神武天皇が見たのと同じ景色を見ている!
そう思った方が歴史を楽しめますよね?
総社があった場所とこの場所とを比べると、古代の王はどちらの場所を好むでしょうか。
実際にその場所に行ってそういう観点で地形を見るというのも大変楽しいことです。
というわけで、府中町の歴史探訪は短い時間でしたが充実していました。
本当は気になる場所はもっとあるのですが、今日のところは府中町の歴史探訪はこれにて終了です。
つぎは東広島市へ向かいますよ。
⇒この続きはこちら
府中町歴史民俗資料館の見学を終え、当初の予定ではつぎに安芸国分寺跡へ行こうと思っていましたが、神武天皇の埃宮の絡みで資料館の方に松崎八幡宮があった場所を教えていただいたので行って見ようと思います。
教わった場所は大雑把で、かつ土地勘が無いのですが、いつものようにKKDで探します。
ここかなあ・・・
いや、この高台の住宅街にはそれらしき場所はありません。
ではあっちのほうかな・・・
あ!
説明板が見える!
車を路駐させて見に行きます。
ここですね。
ちゃんと町が説明板も立ててくれているではないですか。
石段を駆け上がると平場が展開していました。
神武天皇!
もう神社ではないので・・・
なにも、かかれて、いない・・・
変な場所に表示が。
府中村時代のものですね。
神武天皇の腰掛石があるようです。
御尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ奉ります!
「松崎八幡址」と刻された石柱。
古代の廃寺跡は好きでよく行きますが、神社跡というのはなんか不思議な感じがします。
神様は分けてもなくならないので、分祀しても元の場所に神様がずっといらっしゃることもありますが、多家神社へは完全な引越しですね。
でも考えてみれば、元々村の各所に祀られていた神様を一箇所に集めたというのは良くあることで、その場合、元々の場所は跡形もなくなっていることも普通ですのでこれは珍しいことではないですね。
しかしここは眺望が良い!
先ほど訪れた多家神社も現在では木々に遮られていますが眺望が良い場所です。
でもこの風景はきっと神武天皇は気に入ってくださるに違いありません。
そもそも、神武が実在かどうか、実在としても東征の話は史実なのか、などと考えるべきことはたくさんありますが、こういう場所に来た場合は素直に歴史のロマンを楽しみましょう。
今自分は神武天皇が見たのと同じ景色を見ている!
そう思った方が歴史を楽しめますよね?
総社があった場所とこの場所とを比べると、古代の王はどちらの場所を好むでしょうか。
実際にその場所に行ってそういう観点で地形を見るというのも大変楽しいことです。
というわけで、府中町の歴史探訪は短い時間でしたが充実していました。
本当は気になる場所はもっとあるのですが、今日のところは府中町の歴史探訪はこれにて終了です。
つぎは東広島市へ向かいますよ。
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