⇒前回の記事はこちら
事前調査をほとんどせずに来たことのない場所に来ると、予想外の遺跡や遺物にめぐりあえて非常にエキサイティングです。
偶然見つけた久々利城跡は面白かった。
では、本来の目的地である可児郷土歴史館へ行きますよ。
昔ながらの郷土資料館という雰囲気ですね。
期待できます。
やはりこの地域は戦国推しでしょうか。
そっか、来年大河でやる光秀生誕の地なんですね。
今年の山城サミットはこちらでやるんですね。
もともと小学生の時に歴史が好きになったときは、戦国時代から入りました。
濃尾は昔夢中になって読んだ小説や、学校や会社をサボってまで熱中したゲーム「信長の野望」に出てきた城がたくさんある場所ですよね。
今日は古代史関連の調査で来ているので無理ですが、いずれはゆっくりと城めぐりをしてみたいものです。
では、200円を払って入館しますよ。
展示は可児市の地質の説明や動物化石の展示から始まり、原始時代から順に新しい時代へ下っていくオーソドックスな展示です。
私はこの形態が一番好きだ。
2000万年前から1800万年前の可児市にいた動物たちの化石。
ゾウさん。
ヒラマキウマ?
※帰宅後調べてみましたが、ヒラマキウマ(平牧馬)について、岐阜県のHPには「新第三紀中新世(約1800万年前)に生息していた陸生・四足歩行・植物食性の哺乳類で、2017年3月に下顎骨の実物化石が岐阜県博物館に寄贈され、現在同館で研究が進められています」とあります。
※ウマといっても現在の馬とは違うんですね。
今度はサイさん。
サイといってもこれもヒラマキウマと同じころのかなり昔の動物です。
可児ってすごいところですね。
ではでは、美濃の縄文土器はどんな感じかな?
なかなか素敵じゃない!
縄文中期のものでしょうか。
濃尾の人は縄文土器にも脚を付けるんですね。
それと、こちらの地域の人は斜めに模様を入れるのが好きなのかな?
美しい縄文土器ですね。
玦状耳飾り(ピアス)の断片もあります。
中国の遼寧地方に玦状耳飾りと形状の似た玉製品があり、もしかすると縄文時代前期に遼寧地方と日本列島に文化的交流があったかもしれません。
弥生時代の展示がなぜかなくて、次は古墳時代です。
うぉー、石製品すごい!
鍬形石、車輪石、石剣!
北部九州の弥生時代にみられるような巴形銅器もある!
関東とはだいぶ違う様相を呈していますぞ!
堪りません。
鏡も出土しています。
これらが出たのが身隠山古墳群の身隠山白山古墳です。
現場にはあとで行ってみようかしら。
東濃地方で最も大きい(岐阜県内では3番目?)長塚古墳へはもともと行く予定でしたが、すぐ近くに大型古墳が2基ある(あった)ようなのであとで行ってみましょう。
しかも前方後方墳もありますよ。
こちらは野中古墳出土の仿製(国産)三角縁神獣鏡。
市内の古墳分布図。
これは素晴らしい品ですね。
瀬田神崎山古墳出土の須恵器で、個人的には須恵器より土師器(縄文土器など)の方が好きなのですが、これは見とれてしまう逸品です。
しかしこれも斜め方向に模様がついていますね。
斜めに模様をつけるというと思い出すのがS字甕ですが、木曽川中流域の可児市の人も斜め模様が好きなのでしょうか。
こちらも同じく瀬田神崎山古墳出土の品々です。
熊野古墳という終末期古墳もあるようです。
熊野古墳出土の遺物。
つづいて中世。
美濃金山城跡コーナー!
美濃金山城は元々は烏峰城といい、天文6年(1537)に美濃国守護代の一族である斎藤正義が築城しました。
その後、永禄8年(1565)には信長の家臣の森可成(よしなり)が城主となり金山城に名を改め、つづいて可成の子・長可(ながよし)、その弟・蘭丸が城主となります。
長可・蘭丸らの兄弟はことごとく死んでいくのですが、一番下の弟の忠政が生き残り近世大名として生き残ります。
私的には信長の早期のころからの家臣である可成が好きですが、やはり「鬼武蔵」の長可がカッコいいですねえ。
金山城、行きたいなあ・・・
おお。
素晴らしい銅鐸がある!
でも、どの角度から狙ってもケースが反射してしまう・・・
こういうのも関東にいてはお目にかかれませんね。
一部接写させていただきます。
遺跡の分布ジオラマ。
家形石棺がありますよ。
見た感じも小さいなあと思いましたが、140㎝ということで、普通に人を納めるにはちょっと小さいですよね。
各地で人間サイズと比べて小さい石棺がたまに見つかるのですが不思議ですね。
そして常設展示室の奥は新しい時代の美濃焼のコーナー。
こういった焼き物が好きな方も楽しめますね。
そういえば私が10年以上愛用しているマグカップは美濃焼だなあ。
というわけで、可児郷土歴史館は期待通りの素晴らしい展示でした。
受付へ戻り、資料を収集。
『可児市の古墳ガイドブック』という古墳めぐりに最適な資料を入手!
今日は残念ながら学芸員の方が不在だそうです。
受付の方からはしきりに「山城サミット、ぜひお越しください」と勧められました。
ということなので、もう一度ポスターをどうぞ。
今年(2019年)は、11月9日と10日にここ可児市でやりますよ!
しかしこうやって歴史で盛り上がっている地域って楽しくていいですね。
それでは、さきほど展示を見た遺物が実際に出土した古墳をめぐってみましょう。
雷電號へ戻り出発。
おや、遺跡の説明板のようなものがありますよ。
降りて確認しに行きます。
なるほど、歴史館の敷地には近世千村氏の上屋敷があったんですね。
では改めて、古墳へ出発!
⇒この続きはこちら
事前調査をほとんどせずに来たことのない場所に来ると、予想外の遺跡や遺物にめぐりあえて非常にエキサイティングです。
偶然見つけた久々利城跡は面白かった。
では、本来の目的地である可児郷土歴史館へ行きますよ。
昔ながらの郷土資料館という雰囲気ですね。
期待できます。
やはりこの地域は戦国推しでしょうか。
そっか、来年大河でやる光秀生誕の地なんですね。
今年の山城サミットはこちらでやるんですね。
もともと小学生の時に歴史が好きになったときは、戦国時代から入りました。
濃尾は昔夢中になって読んだ小説や、学校や会社をサボってまで熱中したゲーム「信長の野望」に出てきた城がたくさんある場所ですよね。
今日は古代史関連の調査で来ているので無理ですが、いずれはゆっくりと城めぐりをしてみたいものです。
では、200円を払って入館しますよ。
展示は可児市の地質の説明や動物化石の展示から始まり、原始時代から順に新しい時代へ下っていくオーソドックスな展示です。
私はこの形態が一番好きだ。
2000万年前から1800万年前の可児市にいた動物たちの化石。
ゾウさん。
ヒラマキウマ?
※帰宅後調べてみましたが、ヒラマキウマ(平牧馬)について、岐阜県のHPには「新第三紀中新世(約1800万年前)に生息していた陸生・四足歩行・植物食性の哺乳類で、2017年3月に下顎骨の実物化石が岐阜県博物館に寄贈され、現在同館で研究が進められています」とあります。
※ウマといっても現在の馬とは違うんですね。
今度はサイさん。
サイといってもこれもヒラマキウマと同じころのかなり昔の動物です。
可児ってすごいところですね。
ではでは、美濃の縄文土器はどんな感じかな?
なかなか素敵じゃない!
縄文中期のものでしょうか。
濃尾の人は縄文土器にも脚を付けるんですね。
それと、こちらの地域の人は斜めに模様を入れるのが好きなのかな?
美しい縄文土器ですね。
玦状耳飾り(ピアス)の断片もあります。
中国の遼寧地方に玦状耳飾りと形状の似た玉製品があり、もしかすると縄文時代前期に遼寧地方と日本列島に文化的交流があったかもしれません。
弥生時代の展示がなぜかなくて、次は古墳時代です。
うぉー、石製品すごい!
鍬形石、車輪石、石剣!
北部九州の弥生時代にみられるような巴形銅器もある!
関東とはだいぶ違う様相を呈していますぞ!
堪りません。
鏡も出土しています。
これらが出たのが身隠山古墳群の身隠山白山古墳です。
現場にはあとで行ってみようかしら。
東濃地方で最も大きい(岐阜県内では3番目?)長塚古墳へはもともと行く予定でしたが、すぐ近くに大型古墳が2基ある(あった)ようなのであとで行ってみましょう。
しかも前方後方墳もありますよ。
こちらは野中古墳出土の仿製(国産)三角縁神獣鏡。
市内の古墳分布図。
これは素晴らしい品ですね。
瀬田神崎山古墳出土の須恵器で、個人的には須恵器より土師器(縄文土器など)の方が好きなのですが、これは見とれてしまう逸品です。
しかしこれも斜め方向に模様がついていますね。
斜めに模様をつけるというと思い出すのがS字甕ですが、木曽川中流域の可児市の人も斜め模様が好きなのでしょうか。
こちらも同じく瀬田神崎山古墳出土の品々です。
熊野古墳という終末期古墳もあるようです。
熊野古墳出土の遺物。
つづいて中世。
美濃金山城跡コーナー!
美濃金山城は元々は烏峰城といい、天文6年(1537)に美濃国守護代の一族である斎藤正義が築城しました。
その後、永禄8年(1565)には信長の家臣の森可成(よしなり)が城主となり金山城に名を改め、つづいて可成の子・長可(ながよし)、その弟・蘭丸が城主となります。
長可・蘭丸らの兄弟はことごとく死んでいくのですが、一番下の弟の忠政が生き残り近世大名として生き残ります。
私的には信長の早期のころからの家臣である可成が好きですが、やはり「鬼武蔵」の長可がカッコいいですねえ。
金山城、行きたいなあ・・・
おお。
素晴らしい銅鐸がある!
でも、どの角度から狙ってもケースが反射してしまう・・・
こういうのも関東にいてはお目にかかれませんね。
一部接写させていただきます。
遺跡の分布ジオラマ。
家形石棺がありますよ。
見た感じも小さいなあと思いましたが、140㎝ということで、普通に人を納めるにはちょっと小さいですよね。
各地で人間サイズと比べて小さい石棺がたまに見つかるのですが不思議ですね。
そして常設展示室の奥は新しい時代の美濃焼のコーナー。
こういった焼き物が好きな方も楽しめますね。
そういえば私が10年以上愛用しているマグカップは美濃焼だなあ。
というわけで、可児郷土歴史館は期待通りの素晴らしい展示でした。
受付へ戻り、資料を収集。
『可児市の古墳ガイドブック』という古墳めぐりに最適な資料を入手!
今日は残念ながら学芸員の方が不在だそうです。
受付の方からはしきりに「山城サミット、ぜひお越しください」と勧められました。
ということなので、もう一度ポスターをどうぞ。
今年(2019年)は、11月9日と10日にここ可児市でやりますよ!
しかしこうやって歴史で盛り上がっている地域って楽しくていいですね。
それでは、さきほど展示を見た遺物が実際に出土した古墳をめぐってみましょう。
雷電號へ戻り出発。
おや、遺跡の説明板のようなものがありますよ。
降りて確認しに行きます。
なるほど、歴史館の敷地には近世千村氏の上屋敷があったんですね。
では改めて、古墳へ出発!
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