日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

羽生田茶臼山古墳|栃木県壬生町 ~山城好きにも楽しんでもらえる大型前方後円墳~ 【下野型古墳再訪 ③】

2020-05-23 05:58:44 | 歴史探訪
 ⇒前回の記事はこちら

 桃花原(とうかばら)古墳を見た後は、引き続き羽生田地区古墳群の茶臼山古墳を目指します。

 おや、看板がある。



 いやー、この地区は本当に素晴らしい!



 非常に「古墳愛」が感じられる場所ですね。



 看板の図でみると周辺の古墳の配置も分かりますが、地形図上にプロットするとこんな感じです。



 茶臼山古墳に近づきました。

 ここから先は歩いて行った方がよさそうだ。

 邪魔にならない場所に雷電號を路駐して徒歩で古墳に近接します。

 「P」の矢印が古墳の方へ向いていますが、あの看板の雰囲気ではどう考えても古墳の「P」ではありませんよね。



 昔は何かの施設があったのでしょうか。

 軽トラ道を歩きます。



 林の中に標柱が。



 文化財も大切にするけど、あなたも大切にしたいよ。

 朽ち果てた標柱に声をかけ、山の中へ入っていきます。

 お、前方に説明板が見えてきましたよ!

 到着!



 茶臼山古墳!



 墳丘長91mの前方後円墳で、先ほどの道路傍の説明板にも書いてありましたが、この地域の古墳群の中では最初に築かれた古墳で、次に訪れる予定の富士山古墳と同時期で6世紀後半とされています。

 家形埴輪の復元高が180㎝というのは凄いですね。

 墳丘図。



 下野型古墳は基壇を広くとっていますが、この図でいうところの「基壇」と「墳丘」を合わせて2段築成の墳丘として考えます。

 説明板には墳丘長は91mとありますが、この図で見ると、基壇の裾までを含める一般的な測り方で見ると110mくらいあるんですよね。

 大きな古墳です。

 それでは墳丘に取り付きますよ。

 上の方に墳丘が見えていますが、目の前の斜面は周堤です。



 周提に登り、基壇の前方部の角を見ます。



 周提の前方部コーナー部分。



 少し周堤の上を歩きます。



 まるで山城の土塁上を歩いているようで楽しい!

 周溝に降りますよ。



 今度は空堀歩きのようだ!



 では墳丘の基壇部分に登ります。

 基壇から周堤を見下ろします。



 いいねえ。



 基壇の上を歩き、2段目前方部の角に来ました。

 くびれ好きとしてはいつもの写真が撮りたいですが、辛うじて全体が写るかな?



 うーん、ちょっと入りきらない。

 こう見ると前方後円墳の形が分かりますが、これは2段目ですよ。



 下野型の特徴は基壇が広くて、2段目が細くて小さいことです。

 ただ、小さいといっても、茶臼山古墳の場合は2段目だけでもさきほどの墳丘図を見る限りでは80mくらいはありますよ。



 葺石かな。





 はーい、墳頂に到着!

 中央付近から前方部側を見ます。



 後円部側。



 基壇を見下ろします。



 基壇に関しては前方後円形には造形しておらず、いわゆる盾形に近いです。



 早朝の墳頂、気持ちいい!



 気持ちよすぎて裸になりたいくらいです!



 そんなことしたら、「わしらの時代にはそんな裸形の祭祀はなかったぞ!」と被葬者に怒られそう。

 人物埴輪を見ると力士が裸形に近いので、「私は力士です!」とか言えば許してもらえるでしょうか。

 いやいや、いくら頑張っても「フル〇〇」はアウトだな。

 前方部エッヂ部分から基壇を見下ろすと、その先には周堤も見えています。



 では、降りますよ。









 茶臼山古墳の被葬者さん、さようなら。



 茶臼山古墳、良い古墳ですねー。

 ただし、ほとんど山城と同じような感じなので、今は真冬だから楽しめますが、夏場はどうなるんでしょうかね?

 ツアーに組み込むとしたら冬にしたいです。

 それでは、つづいてこの近くにある富士山古墳へ行きますが、ついでなのでこのまま歩いて行って見ますよ。

 ※後日、この茶臼山古墳を含めた下野型古墳のツアーを出しましたが最少催行人員に達せず中止となりました・・・無念。

 ⇒この続きはこちら


最新の画像もっと見る