本来であれば、今日から3日間(9月29日~10月1日)、福岡の古代史ツアーのはずでした。
ところが、台風がツアー地を直撃する予報になっており、昨日の午前の段階で会社側は中止を決断しました。
楽しみにしていたお客様もガッカリでしょうし、会社も売り上げが入らずガッカリ、私も当てにしていた3日分のギャラがなくなるということで、来月どうやって生きていこうかというような状況でガッカリを越えてゲッソリです。
まあでも、地球の運動だけは制御しようがありませんので脳内を切り替えようと思います。
少しでも損失を少なくするために、今日は急遽、掃除の仕事を入れてもらったのでもう少ししたら出勤します。
ところで、福岡のツアーから帰るときに、東京へ戻らずに、そのまま鳥取・島根のツアーの下見をしてこようと計画していました。
そちらの日程は天気予報によると台風一過なので、下見は行かせていただきます。
その際、せっかく中国地方に行くわけですから、プラスアルファで広島県を少し見てこようと思っていました。
今回、ツアーが中止になったことにより下見内容を少し変え、東京から下見に出発するということで、岡山県も少し見てみようと思います。
めぐる国々はこちらです。
ただし、この国々を全部めぐるわけではなく、この地図内の一部分なのですが、現代の行政区画でいうと、岡山県→広島県→島根県→鳥取県という順で見てきます。
岡山県内では、古代吉備王国の中心部を墳丘墓や古墳などを見ながら1日歩こうと思っており、広島県ではとくに三次市に興味があります。
下見のための調査をするまでは、広島県の古代史についての知識は皆無だったのですが、調べてみると三次市は非常に面白いですね。
四隅突出型墳丘墓という前方後円墳が出現する前の特異な形状の墓があるのですが、これは出雲地方の墓として有名です。
確かに、出雲地方において大型化したようですが、そのルーツは三次市の可能性があり、それが伯耆地方や出雲地方に伝播した可能性があります。
なお、四隅突出型墳丘墓は、私的にはFlogmanのアニメ「古墳ギャルのコフィー」に登場するキャラクターとしての印象が強いです。
※左が四隅突出型墳丘墓のダニエルで右が主人公のコフィー、中央がニントクくんといって、阿武隈ブヴァエモンという悪徳建設業者をやっつけたことがあります。
◆古墳ギャルのコフィー 第1話(前編)
クラツーのお客様からも「もっとマニアックなツアーに行きたい」という要望をいただくことが多いので、吉備や出雲は有名ですが広島県域はあまり知られていないと思いますので、当該地域のツアーを造ってみたいと思っています。
なお、今回の下見では私の苗字「稲用」の発祥地である島根県大田市を通過しますので、先祖の地をチョロッっと見てこようと思います。
系譜上では私の先祖は鎌倉幕府から石見国守護代に任じられ、現在の大田市長久町稲用に赴任し、地名を取って稲用と称しました。
現地には先祖が居した可能性がある稲用城跡もありますが、今回は城跡には行かないと思います。
その後、稲用家は本家筋に当たる日向(宮崎県)の飫肥城の伊東氏の元へ移住し、江戸期は飫肥藩主の「御一家」として細々と生きながらえていたようです(飫肥藩の人物事典に出てくるような著名な人物は輩出していないようです)。
さて、出勤までまだ少し時間があるので、壱岐の古墳めぐりのつづきをお届けします。
それでは行きますよ。
⇒前回の記事はこちら
ツアーでめぐる予定の古墳はすべて事前に見ておきたいので、もう一基、古墳を見に行きます。
松尾古墳という古墳なのですが、実は事前に細かい場所まで突き止めずに旅に出てしまいました。
まあ、現地に行けば分かるだろうということでやってきたわけですが、なかなか見つからない。
国指定史跡なら大きな道路に看板が出ていると思いますが、松尾古墳は市指定史跡なのでそれは期待できないです。
グルグルと走り回った挙句、ようやくそれらしいものを見つけました。
お、説明板がある!
よし、見っけた。
説明板に書いてある通り、この辺りには永田古墳群があり、12基のうちの1号墳が松尾古墳と呼ばれています。
直径が15mほどの円墳ですが、不思議な形の古墳ですね。
土塁のような土盛の一番端っこに造られています。
人工的な土盛なのか自然地形なのか分かりませんが、この眺めからは中世の城跡の土塁のように見え、古墳は櫓台のようにも見えます。
※裏側を含め詳細に調べていないので真相は不明です。
こちらも石室が開いていますね。
壱岐は石室に入れる古墳が多くて楽しい!
※帰宅後、下の石室内のピンボケした写真を見ると何やら人の顔らしいものが写っていました。
※被葬者の霊ではないかと思いますが、考古学の方によると石室内の写真にはたまに不可思議なものが映り込むそうですし、私の経験では、石室内の写真を撮ろうとすると急にカメラの調子が悪くなるなんてこともあります。
これにて予定していた壱岐の古墳はすべて見ました。
今回は時間の都合で以上となりますが、壱岐には既述した通り280基もの古墳があり、そのうち国指定史跡が壱岐古墳群として6基あり、今回は前方後円墳である対馬塚古墳と円墳の兵瀬古墳は探訪していません。
またいずれ、仕事ではなく趣味の旅行として訪れたときにゆっくり見て回りたいです。
ところが、台風がツアー地を直撃する予報になっており、昨日の午前の段階で会社側は中止を決断しました。
楽しみにしていたお客様もガッカリでしょうし、会社も売り上げが入らずガッカリ、私も当てにしていた3日分のギャラがなくなるということで、来月どうやって生きていこうかというような状況でガッカリを越えてゲッソリです。
まあでも、地球の運動だけは制御しようがありませんので脳内を切り替えようと思います。
少しでも損失を少なくするために、今日は急遽、掃除の仕事を入れてもらったのでもう少ししたら出勤します。
ところで、福岡のツアーから帰るときに、東京へ戻らずに、そのまま鳥取・島根のツアーの下見をしてこようと計画していました。
そちらの日程は天気予報によると台風一過なので、下見は行かせていただきます。
その際、せっかく中国地方に行くわけですから、プラスアルファで広島県を少し見てこようと思っていました。
今回、ツアーが中止になったことにより下見内容を少し変え、東京から下見に出発するということで、岡山県も少し見てみようと思います。
めぐる国々はこちらです。
ただし、この国々を全部めぐるわけではなく、この地図内の一部分なのですが、現代の行政区画でいうと、岡山県→広島県→島根県→鳥取県という順で見てきます。
岡山県内では、古代吉備王国の中心部を墳丘墓や古墳などを見ながら1日歩こうと思っており、広島県ではとくに三次市に興味があります。
下見のための調査をするまでは、広島県の古代史についての知識は皆無だったのですが、調べてみると三次市は非常に面白いですね。
四隅突出型墳丘墓という前方後円墳が出現する前の特異な形状の墓があるのですが、これは出雲地方の墓として有名です。
確かに、出雲地方において大型化したようですが、そのルーツは三次市の可能性があり、それが伯耆地方や出雲地方に伝播した可能性があります。
なお、四隅突出型墳丘墓は、私的にはFlogmanのアニメ「古墳ギャルのコフィー」に登場するキャラクターとしての印象が強いです。
※左が四隅突出型墳丘墓のダニエルで右が主人公のコフィー、中央がニントクくんといって、阿武隈ブヴァエモンという悪徳建設業者をやっつけたことがあります。
◆古墳ギャルのコフィー 第1話(前編)
クラツーのお客様からも「もっとマニアックなツアーに行きたい」という要望をいただくことが多いので、吉備や出雲は有名ですが広島県域はあまり知られていないと思いますので、当該地域のツアーを造ってみたいと思っています。
なお、今回の下見では私の苗字「稲用」の発祥地である島根県大田市を通過しますので、先祖の地をチョロッっと見てこようと思います。
系譜上では私の先祖は鎌倉幕府から石見国守護代に任じられ、現在の大田市長久町稲用に赴任し、地名を取って稲用と称しました。
現地には先祖が居した可能性がある稲用城跡もありますが、今回は城跡には行かないと思います。
その後、稲用家は本家筋に当たる日向(宮崎県)の飫肥城の伊東氏の元へ移住し、江戸期は飫肥藩主の「御一家」として細々と生きながらえていたようです(飫肥藩の人物事典に出てくるような著名な人物は輩出していないようです)。
さて、出勤までまだ少し時間があるので、壱岐の古墳めぐりのつづきをお届けします。
それでは行きますよ。
* * *
⇒前回の記事はこちら
ツアーでめぐる予定の古墳はすべて事前に見ておきたいので、もう一基、古墳を見に行きます。
松尾古墳という古墳なのですが、実は事前に細かい場所まで突き止めずに旅に出てしまいました。
まあ、現地に行けば分かるだろうということでやってきたわけですが、なかなか見つからない。
国指定史跡なら大きな道路に看板が出ていると思いますが、松尾古墳は市指定史跡なのでそれは期待できないです。
グルグルと走り回った挙句、ようやくそれらしいものを見つけました。
お、説明板がある!
よし、見っけた。
説明板に書いてある通り、この辺りには永田古墳群があり、12基のうちの1号墳が松尾古墳と呼ばれています。
直径が15mほどの円墳ですが、不思議な形の古墳ですね。
土塁のような土盛の一番端っこに造られています。
人工的な土盛なのか自然地形なのか分かりませんが、この眺めからは中世の城跡の土塁のように見え、古墳は櫓台のようにも見えます。
※裏側を含め詳細に調べていないので真相は不明です。
こちらも石室が開いていますね。
壱岐は石室に入れる古墳が多くて楽しい!
※帰宅後、下の石室内のピンボケした写真を見ると何やら人の顔らしいものが写っていました。
※被葬者の霊ではないかと思いますが、考古学の方によると石室内の写真にはたまに不可思議なものが映り込むそうですし、私の経験では、石室内の写真を撮ろうとすると急にカメラの調子が悪くなるなんてこともあります。
これにて予定していた壱岐の古墳はすべて見ました。
今回は時間の都合で以上となりますが、壱岐には既述した通り280基もの古墳があり、そのうち国指定史跡が壱岐古墳群として6基あり、今回は前方後円墳である対馬塚古墳と円墳の兵瀬古墳は探訪していません。
またいずれ、仕事ではなく趣味の旅行として訪れたときにゆっくり見て回りたいです。