日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

神宮寺山古墳|岡山県岡山市北区 ~沖積地に築造された大型前方後円墳~ 【備前・備中古代史探訪 ①】

2018-10-02 06:03:42 | 歴史探訪
 宗像ツアーを中止に追い込んだ台風24号はかなりの巨大台風で、都内では昨日の20時にJR在来線があらかじめすべてストップするという異例の事態となりました。

 探訪初日は、高尾発の1番電車に乗って、新横浜では6時11分の新幹線に乗り換えて岡山へ向かう予定です。

 朝の時点で台風は北へ抜けていますが、台風通過の影響は多少あると覚悟して、4時15分に家を出ます。

 高尾駅に着いてみると・・・

 ああ、やっぱりそうか・・・

 始発から運休となっています。

 しかも運行開始の目途は立っていないそうです。

 線路上に倒木があったり、相当荒れているようで、その片づけが間に合わなかったのですね。

 JRの保守の人たちが夜中からずっと大変な作業をしているのです。

 中央線だけでなく、首都圏の在来線はどこも同じような状況になっているようです。

 横浜線に乗りたいので、5時9分発の京王線で八王子へ向かいます。

 京王線も桜上水付近が通過できなくなっていますが、八王子へは行けます。

 JRの八王子駅へ到着すると、横浜線も案の定止まっていましたが、少し待ったら運よく走りだしました。

 横浜線は快調に走ります。

 まあ、東海道新幹線は本数が多いので、予定していたのに乗れなくても何とかなるでしょう。

 そう思い、新横浜駅で新幹線乗り場へ行ってみると、新幹線も遅れていて、乗る予定の6時11分発が1時間ほど遅れてきて、運よく乗ることができました。

 とりあえず良かった。

 ただ、新幹線も途中徐行したりして、さらに遅れを加えながら走ります。

 多少到着が遅れても岡山に着けばいいや。

 車窓から外を見ると、どの川もパンパン状態で、茶色い水が轟々と流れています。



 名古屋、京都、新大阪、新神戸と止まり、次は岡山です。

 播磨国を走行し、加古川を渡りました。

 古代においては、加古川から西が吉備の国と認識されていたという説もあるので、いよいよ吉備の国へ入ったわけです。

 予定より1時間45分遅れで岡山駅に到着。



 初岡山駅!



 9時過ぎに探訪を開始する予定が11時開始になってしまいましたが、2時間くらいは仕方がないですね。

 でも、これくらいならまだ良かったかもしれません。

 17時までには探訪を終わらせたいと思うので、6時間、ベストを尽くします。

 では、レンタカーを借りに行きましょう。

 お仕事お疲れ様です!



 駅前でレンタカーを借り、初めに向かったのは岡山市北区中井町にある神宮寺山古墳です。

 カーナヴィに脳内を支配されながら運転していると、意外とすぐに近くまで来ました。

 完全に市街地のなかですね。

 鳥居の前にたどり着くと、鳥居の脇にちょっとした駐車スペースらしきものがあり、ちょうどご近所の方が掃き掃除をしていたので「神社に参拝するのにここに停めても大丈夫ですか?」と尋ねると、「こいつに気を付けて」と鉄製の柱のようなものを指し示しました。

 なるほど、今日はヴィッツなので平気ですが、大きい車だとそのスペースに入れる際に、その柱のようなものにぶつけそうです。

 そのトラップに気を付けつつ、スルッと車をバックさせて停め、さっそく探訪を開始します。





 岡山市がちゃんと説明板を設置してくれています。



 古いのはこちら。



 説明板にも書かれている通り、神宮寺山古墳は、墳丘長150mの前方後円墳で、築造時期は4世紀後半から5世紀初めにかけてと考えられています。

 吉備の古墳としては少数派にあたる沖積地(低地)に盛土して築造した古墳で、旭川下流地域を支配した首長の墓ですね。

 というか、説明板に補記されている「月夜見尊は秦五代皇帝神」というのが気になる!

 まあ、それはそれとして、後円部墳頂にある社殿に向けて石段を登りますよ。



 石段を登っていると段築の様子が良く分かります。







 後円部は3段になっており、その様子が明瞭に分かります。



 墳頂の天計(あまばかり)神社。



 式内社ですよ!



 本殿。



 神宮寺古墳は古墳時代前期の築造なので竪穴式石室になりますが、埋葬主体以外にも副葬品のみを収めた小さな竪穴式石室もあります。

 前方部は墓地となっています。



 前方部からも鉄製品の出土があったと伝わっており、前方部にも主体部があった可能性があります。

 墳頂からの眺め。



 現在は眺望が効きませんね。

 ところで、神宮寺山古墳では葺石が確認されており、円筒埴輪などが表採されるそうです。

 さきほどの平面図を見ると、北側の墳丘くびれ部分がやや膨らんでおり、それを造出と見る研究者もいます。

 また、岡山市教育委員会の調査では整った周溝はなかった可能性が高いそうです。

 さて、吉備の歴史探訪の一発目は市街地に生き残った古墳でした。

 続いて幡多廃寺塔跡へ向かいますよ。

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