⇒前日の探訪記録はこちらです
宮地嶽神社に参拝した後、同じ福津市内にあるカメリアステージにやってきました。
ここの図書館には新原・奴山古墳群で出土した遺物が展示してあるそうなのでぜひ見てみたいです。
ここかな?
あれ、ここじゃなかった。
あ、こっちの建物か。
あれれ、まだ開館していない!
ちょっと早く来てしまいました。
仕方がないので近辺の古墳をめぐってから再度探訪しようと思います。
さて、どの古墳に行こうかな?
よし、在自剣塚(あらじつるぎづか)古墳にしよう。
大体の場所は分かっているので現地に行けば見つかるでしょう。
車で古墳の近くと思われる場所まで行き、あとは歩いて探索です。
あ、あの森が怪しい。
完全に藪化していますが、何となく墳丘のように見えます。
ベンチが置いてあるっていうことはきっと古墳だろう。
この土盛りは古墳に違いないですね。
在自剣塚古墳発見。
でも標柱も説明板も何もないです。
在自剣塚古墳は墳丘長101.7mを誇る津屋崎古墳最大の前方後円墳ですよ。
なのに、この扱いはちょっと寂しいですね。
墳丘に立ち入るのはちょっと憚られるなあ。
ここは前方部の底辺側ですね。
南西側の遠くを見ると地形が低くなっているのが分かり、中心街が見えます。
山側の景色。
では、在自剣塚古墳を後にしますよ。
次は須多田地区の方に行ってみます。
⇒この続きはこちら
==============================
探訪のあと、『宗像地域の古墳』(宗像考古学研究会/編)を購入し、在自剣塚古墳の詳細な墳丘平面図を入手し、さらに今年の8月に壱岐へ行き双六古墳を見てきた結果、在自剣塚古墳と双六古墳の雰囲気が似ていると思いました。
在自剣塚の方が前方部の底辺が開いており幅は広いのですが、後円部がポッコリと高いところを見ると、おそらく横から見た感じは似ているのではないでしょうか。
在自剣塚の方は上述のように林の中にあって横から見るのは難しいですが、双六古墳はこちらです。
※2018年8月26日撮影
後円部のこの異様な急角度は、新原・奴山古墳群でも見ることができますが、新羅の墳墓の影響が強いように思えます。
在自剣塚も双六古墳もともに6世紀後半の築造と考えられ、この時期はとくに関東地方で100m級の大型前方後円墳が多く作られる傾向がありますが、同じ時代の関東地方の前方後円墳とは明らかに形状が異なります。
●双六古墳 墳丘長:91m 後円部径:43m 前方部幅:36m 後円部径÷墳丘長=0.47 前方部幅÷墳丘長の比率=0.40
●在自剣塚古墳 墳丘長:101.7m 後円部径:49m 前方部幅:64m 後円部径÷墳丘長=0.48 前方部幅÷墳丘長=0.63
墳丘長と前方部幅の比率を見ると、明らかに在自剣塚古墳の方が大きいですが、この前方部幅が広いという点に関しては、6世紀後半の前方後円墳の全国的な傾向に一致するので、横から見た雰囲気は新羅系の墳墓を想像させられますが、ヤマトの要素もきちんと取り入れられている古墳に思えます。
ちなみに、6世紀後半から7世紀初頭の関東の前方後円墳のスペックは以下の通りです(それぞれ、古墳群最後の前方後円墳)
●大室古墳群の後二子古墳(群馬県前橋市) 墳丘長:85m 後円部径:48m 前方部幅:60m 後円部径÷墳丘長=0.56 前方部幅÷墳丘長=0.71
●龍角寺古墳群の浅間山古墳(千葉県栄町) 墳丘長:78m 後円部径:52m 前方部幅:58m 後円部径÷墳丘長=0.67 前方部幅÷墳丘長=0.74
●八幡古墳群の観音塚古墳(群馬県高崎市) 墳丘長:105m 後円部径:70m 前方部幅:105m 後円部径÷墳丘長=0.67 前方部幅÷墳丘長=1
浅間山古墳と観音塚古墳は、ともに墳丘長に対する後円部径が2/3で何かしらの統一規格を想起させられます。
また、観音塚古墳は墳丘長と前方部の幅が同じ105mというとても面白い形です。
●埼玉古墳群の中の山古墳(埼玉県行田市) 墳丘長:79m 後円部径:42m 前方部幅:44m 後円部径÷墳丘長=0.53 前方部幅÷墳丘長=0.56(スペックは推定で形も剣菱形の可能性がある)
以上、古墳の外見(サイズ)から古代史を探っていくのも面白いですよ。
宮地嶽神社に参拝した後、同じ福津市内にあるカメリアステージにやってきました。
ここの図書館には新原・奴山古墳群で出土した遺物が展示してあるそうなのでぜひ見てみたいです。
ここかな?
あれ、ここじゃなかった。
あ、こっちの建物か。
あれれ、まだ開館していない!
ちょっと早く来てしまいました。
仕方がないので近辺の古墳をめぐってから再度探訪しようと思います。
さて、どの古墳に行こうかな?
よし、在自剣塚(あらじつるぎづか)古墳にしよう。
大体の場所は分かっているので現地に行けば見つかるでしょう。
車で古墳の近くと思われる場所まで行き、あとは歩いて探索です。
あ、あの森が怪しい。
完全に藪化していますが、何となく墳丘のように見えます。
ベンチが置いてあるっていうことはきっと古墳だろう。
この土盛りは古墳に違いないですね。
在自剣塚古墳発見。
でも標柱も説明板も何もないです。
在自剣塚古墳は墳丘長101.7mを誇る津屋崎古墳最大の前方後円墳ですよ。
なのに、この扱いはちょっと寂しいですね。
墳丘に立ち入るのはちょっと憚られるなあ。
ここは前方部の底辺側ですね。
南西側の遠くを見ると地形が低くなっているのが分かり、中心街が見えます。
山側の景色。
では、在自剣塚古墳を後にしますよ。
次は須多田地区の方に行ってみます。
⇒この続きはこちら
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探訪のあと、『宗像地域の古墳』(宗像考古学研究会/編)を購入し、在自剣塚古墳の詳細な墳丘平面図を入手し、さらに今年の8月に壱岐へ行き双六古墳を見てきた結果、在自剣塚古墳と双六古墳の雰囲気が似ていると思いました。
在自剣塚の方が前方部の底辺が開いており幅は広いのですが、後円部がポッコリと高いところを見ると、おそらく横から見た感じは似ているのではないでしょうか。
在自剣塚の方は上述のように林の中にあって横から見るのは難しいですが、双六古墳はこちらです。
※2018年8月26日撮影
後円部のこの異様な急角度は、新原・奴山古墳群でも見ることができますが、新羅の墳墓の影響が強いように思えます。
在自剣塚も双六古墳もともに6世紀後半の築造と考えられ、この時期はとくに関東地方で100m級の大型前方後円墳が多く作られる傾向がありますが、同じ時代の関東地方の前方後円墳とは明らかに形状が異なります。
●双六古墳 墳丘長:91m 後円部径:43m 前方部幅:36m 後円部径÷墳丘長=0.47 前方部幅÷墳丘長の比率=0.40
●在自剣塚古墳 墳丘長:101.7m 後円部径:49m 前方部幅:64m 後円部径÷墳丘長=0.48 前方部幅÷墳丘長=0.63
墳丘長と前方部幅の比率を見ると、明らかに在自剣塚古墳の方が大きいですが、この前方部幅が広いという点に関しては、6世紀後半の前方後円墳の全国的な傾向に一致するので、横から見た雰囲気は新羅系の墳墓を想像させられますが、ヤマトの要素もきちんと取り入れられている古墳に思えます。
ちなみに、6世紀後半から7世紀初頭の関東の前方後円墳のスペックは以下の通りです(それぞれ、古墳群最後の前方後円墳)
●大室古墳群の後二子古墳(群馬県前橋市) 墳丘長:85m 後円部径:48m 前方部幅:60m 後円部径÷墳丘長=0.56 前方部幅÷墳丘長=0.71
●龍角寺古墳群の浅間山古墳(千葉県栄町) 墳丘長:78m 後円部径:52m 前方部幅:58m 後円部径÷墳丘長=0.67 前方部幅÷墳丘長=0.74
●八幡古墳群の観音塚古墳(群馬県高崎市) 墳丘長:105m 後円部径:70m 前方部幅:105m 後円部径÷墳丘長=0.67 前方部幅÷墳丘長=1
浅間山古墳と観音塚古墳は、ともに墳丘長に対する後円部径が2/3で何かしらの統一規格を想起させられます。
また、観音塚古墳は墳丘長と前方部の幅が同じ105mというとても面白い形です。
●埼玉古墳群の中の山古墳(埼玉県行田市) 墳丘長:79m 後円部径:42m 前方部幅:44m 後円部径÷墳丘長=0.53 前方部幅÷墳丘長=0.56(スペックは推定で形も剣菱形の可能性がある)
以上、古墳の外見(サイズ)から古代史を探っていくのも面白いですよ。