日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

上総国分寺跡|千葉県市原市 ~素晴らしい薬師堂や木造金剛力士像が拝める~ 【梅雨の晴れ間に上総古代史探訪 ⑬】

2019-06-19 14:42:45 | 歴史探訪
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 戸隠神社の駐車場まで戻り雷電號に乗りこみます。

 つづいて上総国分僧寺跡へやってくると現国分寺の西側に駐車場がありました。

 では行きますよ。

 柱跡が表示された西門跡があります。
 


 八脚門です。



 説明板。



 神門古墳群の3基の古墳を避けて外郭ラインが決められているのが面白いですね。



 古代の国分寺の跡やその近くに現代の国分寺が存在するケースは結構多くて、上総の場合も古代の国分僧寺跡に真言宗豊山派の国分寺があります。

 国分寺には将門関連のものがあるようなのですが・・・

 あ、この宝篋印塔ですね。



 本日最初に訪れた新皇塚古墳の上に立っていたんですね。
 


 将門塔と呼ばれているこの宝篋印塔は、説明板に書かれている通り、将門とは関係ないものであることが分かっているようですが、なぜこの地に将門伝承があるのかが非常に気になります。

 ご存知の方がいらっしゃったら教えてくださいね。

 つづいて仁王門。

 ちょうど太陽がバックにあって写真が撮りづらい・・・



 アニキだ!



 あみあみが邪魔ですが、迫力がありますね。





 この仁王門がある場所は古代の鐘楼跡です。 

 つづいて本堂。



 現在の国分寺は医王山清浄院と号し、既述した通り真言宗豊山派に属し、開創は江戸時代の元禄年間(1688~1704)です。



 山号の通り、本尊は薬師如来です。

 私が一番好きな仏様だ。

 おー、これは立派な茅葺のお堂ですねー!



 こちらが薬師堂で、今日はS源寺さんがいないので大きさが分からないと思いますが、かなり大きいですよ。



 これは一見の価値があります。



 武蔵国の国分寺も薬師堂にて再興が始まりましたが上総もそうなんですね。

 では、いよいよ古代の国分僧寺の形跡を探りに行きましょう。



 基壇跡があって礎石が見えます。



 基壇の中央にも礎石があるので塔跡でしょう。



 上総国の場合も僧寺と尼寺が近接している原則的な配置ですね。



 今では基本的に僧寺と尼寺は近くにあることが知られていますが、研究がまだ進んでいない戦前の頃は、「僧寺と尼寺が近くにあると男女の間違いが起きる可能性があるので近くに建てるはずがない!」と言っていた学者さんもいました。



 塔跡、いいねえ。



 本来はお寺で最も重要な建物は塔なのです。

 塔心礎。



 遠くを見ると塀の跡のような土塁のようなものが見えます。



 あちらにも小さな看板が見えますよ。



 行ってみましょう。

 金堂跡でした。



 金堂というのは一般的なお寺でいうところの本堂で、三尊が祀られていたはずです。

 さて、9時に国分尼寺跡の展示館がオープンするので、当初の予定ではそれまでに市原市内の見どころはすべてめぐるつもりでした。

 現在の時刻は8時50分なので、予定通りに行っています。

 微妙な時間ですが、先に稲荷台古墳を見てから尼寺跡へ行きたいと思います。

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