乗場古墳は岩戸山古墳の東に隣接するように築造された墳丘長70mの前方後円墳で、横穴式石室には見事な壁画が描かれていました。
発見容易
登頂可能
説明板あり
装飾古墳(見学不可)
お勧め度:
*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
福岡県八女市吉田字乗場
現況
古墳
史跡指定
国指定史跡
出土遺物が見られる場所
八女市岩戸山歴史文化交流館(いわいの郷)
2.諸元
築造時期
6世紀中頃~後半頃(説明板)
墳丘
形状:前方後円墳
墳丘長:70m(説明板より)
後円部径:30m、前方部幅:35m、高:後円部よりやや低い(説明板より)
葺石:
埴輪:6条の円筒埴輪や人物埴輪あり(『八女市岩戸山歴史文化交流館 常設展示図録』より)
主体部
羨道、前室、玄室からなる横穴式石室
装飾壁画あり(現在非公開)
出土遺物
玉、馬具、土器
周堀
昭和30年代まで周溝と周堤があった
3.探訪レポート
2020年10月2日(金) 九州4県ツアーの下見・初日
この日の探訪箇所
金印公園 → 津古1号墳 → 五郎山古墳館 → 五郎山古墳 → 筑紫神社 → 八女市岩戸山歴史文化交流館(いわいの郷) → 下茶屋古墳 → 岩戸山古墳 → 乗場古墳
下茶屋古墳(岩戸山4号墳)を見学して、その帰り道に岩戸山古墳をチラッと見て、いわいの郷に戻ってきました。
ここで館のJさんに懐中電灯を返し、少し立ち話をした後、乗場古墳へ向かいます。
岩戸山古墳から至近の距離にあるのに、実はまだ一度も訪れたことがありません。
岩戸山にはもう十数回来ていますが、いつもツアーを率いてきていますから全然行く機会がなく、ようやく行くことができます。
歩き出してすぐに墳丘の森が見えてきました。
国道3号線を越えてそのまま歩いて行くと右手に保護された古墳の法面が現れました。
道路に面して説明板がありますね。
墳丘の高さが5mというのはありえないですから、2段築成の上段のみの高さじゃないでしょうか。
墳丘長は元々は70mあったようで、主軸は東西方向、後円部が東側となります。
この地図はいわいの郷ができる前のものですが、よく見ると現在いわいの郷がある場所に「古墳時代豪族居館」って書いてありますよ。
今度行ったときに聴いてみよう。
説明板には昭和30年代に周囲を造成したと書いてありましたが、下から見上げると往時の地形とだいぶ違うのが分かります。
どうやら、2段築成の上段のみが墳丘の形状を維持しており、下段はもう分からなくなっているようです。
登ってみましょう。
この場所がテラス部分になるのでしょう。
では後円部墳頂へ登ります。
墳頂。
見下ろすと説明板が見えますが、後で行くとしましょう。
後円部から前方部を見ます。
前方部へ行ってみます。
前方部からエッヂ部分を見下ろします。
昭和30年代にだいぶカッチリと成形されてしまったようですね。
樹木のために眺望は効いていませんが、西の方に岩戸山の森が見えます。
前方部から後円部を見ます。
南側の石室開口部側へ行ってみましょう。
装飾について説明されています。
結構様々な図柄が表現されており、色は赤、青、そして黄色も使っているんですね。
連続三角文などの単純なもの以外にも、宇宙人キャラみたいな双脚輪状文のようなものまで描かれています。
この絵を見る限りでは、築造当初はさらに多くの壁画があったように想像できます。
地元の方に聴いたところでは、昔は石室は随時オープン状態だったそうなので、きちんと調査をしたときにはだいぶ色が消えていたんじゃないでしょうか。
石室に入ってみたいですが、今はこのように保護されています。
QRコードが付いているってことはそれほど古いはずはないと思うのですが、すでにこの説明板自体が遺跡から出土した遺物のようになっています。
さて、乗場古墳の築造時期ですが、説明板では6世紀中頃から後半としており、『シリーズ「遺跡を学ぶ」094 筑紫君磐井と「磐井の乱」 岩戸山古墳』では、岩戸山の次の首長墓がこの乗場古墳としています。
そうなると、この古墳には磐井の子・葛子が葬られている可能性が高くなるわけです。
さらに該書では、磐井と同時期に彼の右腕的存在として活躍した人物が善蔵塚古墳に葬られ、その後継者が鶴見山古墳に葬られたとします。
ところが、単純に大きさだけを見たら乗場古墳が70mなのに対して鶴見山古墳は87.5mですし、むしろ葛子の墓に相応しいのは鶴見山古墳だと考える研究者もいて、いわいの郷の展示図録には、乗場古墳はかつて葛子の墓であると「考えられていた時期もありました」とあります。
乗場古墳の位置づけに関しては、善蔵塚古墳や鶴見山古墳を見てからもう少し考えてみましょう。
※註:改めていわいの郷の展示図録を見てみると、乗場古墳出土の現在の高さが79㎝もある6条の円筒埴輪が掲載されているのに気付いたため、写真を撮ってきていないかなと探してみましたが、不覚にもこれしか撮っていないようです。
※註:この一番左のがそうなのですが、いわいの郷の展示室では石人石馬や伽耶産の金製耳飾りなど他にも素晴らしいものが並んでいるので、それらに気を取られて埴輪の撮影がおろそかになっていたようです(次行ったときに撮ってきます)。
それでは、出入口側へ戻ります。
うーん、この石は何でしょう。
はい、一周してきました。
しかし、念願の乗場古墳に来れて嬉しい!
乗場ちゃん、さようなら。
また来るよ。
それでは、車を止めているいわいの郷の駐車場へ戻りましょう。
なるほど、国道3号線を渡る歩道橋でいわいの郷の敷地と接続されていたんですね。
もし、お客様を案内する機会があったらこちらの道の方がいいですね。
振り返ると乗場古墳の森が見えます。
少し南側にパンします。
さて、当初の予定では八女古墳群の他の古墳たちも今日中に見るはずだったのですが、時刻はもう16時半。
明日できることは明日にしよう。
最近はあまり無理しないようにしています。
早めにホテルへ向かいますよ。
本日の宿泊は「八女グリーンホテル」です。
Webで予約するときに、「角部屋の通常より狭い部屋」というのが安かったのでそれにしました。
確かにほとんどベッドを置いてお終いな感じですが、全然構わないです。
広い家に住んだことがないせいか、むしろ狭い方が落ち着くのだ。
窓からの景色。
磐井に興味を持ち、クラツーのお陰で仕事で何度も来れるようになりましたが、八女に泊まるのは今日が初めてです。
ですから、結構感慨深いのです。
さて、夕飯を食べに行こうかな。
お、八女って意外と江戸ティックなんですね。
これはホテルです。
カッコいいですね。
今度泊まってみたい。
八女昭和レトロ博物館!
考えてみれば昭和ってもう平成の前ですね・・・
右の店も風格がある佇まいですが、左の「LD CD」がいいですね。
しかも縦書き。
LDって知っていますか?
レーザーディスクといってCDの映像記録版みたいなもので、LPレコードと同じ大きさでやたらにでかいのに大して記録できないものですが両面に記録できて機種によっては片面を見た後にいったんトレイから出してひっくり返して再び挿入して・・・
この醤油屋さんもカッコいい。
というわけで、夕飯はここにしよう!
永野家さんです。
「家」が付いているから、いわゆる家系ラーメンかと思ったら豚骨ラーメンのようです。
食券機を見ると煮干し出汁のラーメンもありますよ。
豚骨+煮干し、いいですね、これにしよう。
ビールはコスパを考えると瓶ビールの方がいいので中瓶を頼みましたが、キンキンに冷えたジョッキも持ってきてくれました!
お店からするとひと手間掛かるのですが嬉しいですね。
お、美味そう。
あ、このラーメン当たりだ!
一緒に頼んだピリ辛丼も美味いです。
スープが美味しいのでご飯を食べていながら替え玉をしてしまいました。
お腹いっぱい・・・
今日も遺跡をたくさん見れたし、最後に美味いラーメンも食べられて幸せな一日でした。
明日は八女古墳群の続きから始めますよ!
(つづく)
4.補足
5.参考資料
・現地説明板
・『シリーズ「遺跡を学ぶ」094 筑紫君磐井と「磐井の乱」 岩戸山古墳』 柳沢一男/著 2014年
・『八女市岩戸山歴史文化交流館 常設展示図録』 八女市教育委員会/編 2015年