⇒前回の記事はこちら
安芸国の総社跡と国庁跡を探訪して、歴史民俗資料館の前まで戻ってきました。
でもまだオープンまで時間があります。
資料館の向かいには神武天皇が東征の折に滞在したと伝わる多家神社があるので参拝してきましょう。
おー、神武天皇!
しかも式内社ですぞ。
きちんと由緒書きも掲示してあります。
ここに書いてある通り、『古事記』では日向を出た神武一行は豊国の宇佐を通り、竺紫の岡田宮に1年滞在し、つづいて阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)に7年滞在します。
その多祁理宮がこの場所というわけです。
※由緒書をよく読むと昔からこの場所に神社があったわけではないことが分かりますが、その辺の事情はこのあと訪れた郷土資料館で詳しく聴くことができました。
なお、多祁理宮を出た神武一行は次に吉備の高島宮に8年滞在し、ようやく畿内へ乗り込んでいきます。
一方、『日本書紀』では、安芸国の埃宮(えのみや)に2ヶ月半ほど滞在したことになっています。
では、石段を登ります。
木々の間から市街地の高層マンションが望めますよ。
船形の手水。
拝殿も立派だ。
こちらにも先ほどと同様な由緒書があります。
こちらは境内社ではなさそうですね。
宝蔵ですか。
元々は広島城三の丸稲荷の社殿の一つだったんですね。
校倉造のなかでもここに書いてある通り、壁の作り方が独特で現在見られるものとしては他に例がないという貴重な建物です。
おっと、巫女さん募集!
募集要項を読むと、呪力がなくても大丈夫なようですよ。
でも未婚じゃないと駄目なんですね。
これは現代風な表現で「未婚女性」となっているわけですが、さすがに「男性経験がない女性」とは書けませんよね。
拝殿の前に来ました。
扁額。
なかなか雰囲気の良い境内です。
この小さな祠は誰を祀っているのでしょうか。
菅公さんでした。
本殿の方へ回ってみます。
風格のある門。
おもいで石?
なんでしょう?
なるほど、こういうものですね。
そういえば、私が子供の頃、家のなかの柱に成長の記録を残していったことを思い出します。
賃貸のマンションでしたが。
たまに見かける紀元2600年記念の碑。
紀元2600年は昭和15年で、当時は大東亜戦争真っただ中ということもあり、国中でかなり盛り上がりました。
あ、リアルタイムで見たわけじゃないですよ。
ところで、これは単なる記念碑ではないようですね。
やはり広島というと原爆の話がでてきますね。
私くらいの世代ですと、子供の頃に漫画「はだしのゲン」を読んだ人が多いと思います。
私の場合は小学校高学年の時に読んだのですが、かなりショッキングな内容でした。
その後、数年前に該書は問題があるということで、学校の図書室から排除されたこともありましたが、私的には子供の頃にああいった本を読んでおいた方が戦争の悲惨さが脳に刻み込まれて良いと思います。
まあ、私の場合は同時に「鬼畜〇×」という思いに駆られたのですが、今は戦争反対です。
今回の旅では原爆ドームに寄る時間が無いので残念ですが、いつか寄ってみたい。
こういった石碑もあります。
さきほど登ってきた石段まで戻ってきました。
石段の下にある貴船神社へ参拝します。
狛犬ちゃん。
時刻はまだ9時15分。
歴史民俗資料館のオープンは10時なのだ。
というわけで、それまで街歩きをしようかと思います。
⇒この続きはこちら
安芸国の総社跡と国庁跡を探訪して、歴史民俗資料館の前まで戻ってきました。
でもまだオープンまで時間があります。
資料館の向かいには神武天皇が東征の折に滞在したと伝わる多家神社があるので参拝してきましょう。
おー、神武天皇!
しかも式内社ですぞ。
きちんと由緒書きも掲示してあります。
ここに書いてある通り、『古事記』では日向を出た神武一行は豊国の宇佐を通り、竺紫の岡田宮に1年滞在し、つづいて阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)に7年滞在します。
その多祁理宮がこの場所というわけです。
※由緒書をよく読むと昔からこの場所に神社があったわけではないことが分かりますが、その辺の事情はこのあと訪れた郷土資料館で詳しく聴くことができました。
なお、多祁理宮を出た神武一行は次に吉備の高島宮に8年滞在し、ようやく畿内へ乗り込んでいきます。
一方、『日本書紀』では、安芸国の埃宮(えのみや)に2ヶ月半ほど滞在したことになっています。
では、石段を登ります。
木々の間から市街地の高層マンションが望めますよ。
船形の手水。
拝殿も立派だ。
こちらにも先ほどと同様な由緒書があります。
こちらは境内社ではなさそうですね。
宝蔵ですか。
元々は広島城三の丸稲荷の社殿の一つだったんですね。
校倉造のなかでもここに書いてある通り、壁の作り方が独特で現在見られるものとしては他に例がないという貴重な建物です。
おっと、巫女さん募集!
募集要項を読むと、呪力がなくても大丈夫なようですよ。
でも未婚じゃないと駄目なんですね。
これは現代風な表現で「未婚女性」となっているわけですが、さすがに「男性経験がない女性」とは書けませんよね。
拝殿の前に来ました。
扁額。
なかなか雰囲気の良い境内です。
この小さな祠は誰を祀っているのでしょうか。
菅公さんでした。
本殿の方へ回ってみます。
風格のある門。
おもいで石?
なんでしょう?
なるほど、こういうものですね。
そういえば、私が子供の頃、家のなかの柱に成長の記録を残していったことを思い出します。
賃貸のマンションでしたが。
たまに見かける紀元2600年記念の碑。
紀元2600年は昭和15年で、当時は大東亜戦争真っただ中ということもあり、国中でかなり盛り上がりました。
あ、リアルタイムで見たわけじゃないですよ。
ところで、これは単なる記念碑ではないようですね。
やはり広島というと原爆の話がでてきますね。
私くらいの世代ですと、子供の頃に漫画「はだしのゲン」を読んだ人が多いと思います。
私の場合は小学校高学年の時に読んだのですが、かなりショッキングな内容でした。
その後、数年前に該書は問題があるということで、学校の図書室から排除されたこともありましたが、私的には子供の頃にああいった本を読んでおいた方が戦争の悲惨さが脳に刻み込まれて良いと思います。
まあ、私の場合は同時に「鬼畜〇×」という思いに駆られたのですが、今は戦争反対です。
今回の旅では原爆ドームに寄る時間が無いので残念ですが、いつか寄ってみたい。
こういった石碑もあります。
さきほど登ってきた石段まで戻ってきました。
石段の下にある貴船神社へ参拝します。
狛犬ちゃん。
時刻はまだ9時15分。
歴史民俗資料館のオープンは10時なのだ。
というわけで、それまで街歩きをしようかと思います。
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