
星塚古墳は大和神社の境内にある墳丘長70mの古墳で、前方後方墳のように見えますが、ちょっと変わった形をしている古墳です。



お勧め度:

ただし、大和神社は

*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
奈良県天理市新泉町306(大和神社)
現況
大和神社境内の雑木林
史跡指定
出土遺物が見られる場所
2.諸元
築造時期
不詳(前期のはず)
墳丘
形状:前方後方墳
墳丘長:70m(『大和古墳群Ⅰ ノムギ古墳』)、60m(「前方後円墳データベース」)
段築:
葺石:
埴輪:
主体部
出土遺物
周堀
3.探訪レポート
2020年9月4日(金)
この日の探訪箇所
星塚古墳および大和神社 → 馬口山古墳 → フサギ塚古墳 → 栗塚古墳 → マバカ古墳 → ノムギ古墳 → ヒエ塚古墳 → クラ塚古墳 → 波多子塚古墳 → 西山塚古墳 → 東殿塚古墳 → 西殿塚古墳 → 下池山古墳 → 中山大塚古墳
畿内古代史探訪の2日目。
昨日の早朝に高速バスで京都に着き、それから1日歩いたため今日はゆっくり起きようと思っていたのですが、自然に5時に目が覚めてしまいました。
窓の外を見ると月が輝いています。

昨日、天理の古書店や天理参考館で図録などを買ってしまったため、リュックが重くなってしまいました。
重いリュックを担いで歩き回るのは嫌だなあと思っていたら、妙案を思いつきましたよ。
今回宿泊しているカンデオは私は会員なので、12時までにチェックアウトをすればOKです。
天気予報を見てみると、早朝は雨が降らないようなので、すぐに支度して出かけて午前中に戻ってくれば軽装で行けるじゃないですか!
速攻シャワーを浴びて出撃準備完了。
天理市の大和古墳群だけチョロッと見て帰ってきますよ。
大和八木駅前のカンデオ。

何度もお伝えしている通り、大変お勧めのホテルです。
大和八木から桜井までは近鉄で移動します。
乗ってきた電車。

桜井からはJR桜井線で北上します。
6時20分ごろ、桜井から4つ目の長柄駅に到着。
懐かしい201系に乗れちゃった。

この鶯色も昔の山手線を思い出して懐かしい。
私が小学校に上がったころになりますが、201系がデビューした時は、最新型のカッコいい電車だと思いました。
でも、結局鶯色の山手線では201系って走らなかったんじゃないかな?
私的には中央線で馴染み深い。
長柄駅は無人駅です。

山の辺の道てくてくマップだ!

山の辺の道沿いは古墳がたくさんあるため、古墳が好きな人は歩きだしてもなかなか先に進めないと思いますよ。
さて、これから2時間以内を目標に、大和(おおやまと)古墳群を歩こうと思いますが、手元にある資料には23基の古墳が書かれています。

※『大和古墳群Ⅰ ノムギ古墳』(天理市教育委員会/編)を加筆して転載
全部見るのは難しいですが、できる限り一筆書きで歩きながら古墳を見てみますよ。
最初向かったのは大和(おおやまと)神社です。
あれ、最初は古墳じゃなくて神社ですか?
いや、神社の境内に星塚古墳という前方後方墳があるようなのです。
5分ほど歩くと神社のすぐ近くまで来ましたが、あの森が星塚古墳でしょう。

私は北からアプローチしていますが、墳丘は前方部を南に向けていますから、こちら側には後方部が向いているはずです。
でも、墳丘は雑木林になっていて、あまり様子は分かりませんね。

墳丘は藪化していますが、入ろうと思えば入れなくもない雰囲気で、冬に来るといいかも知れません。
今日はやめておきます。
大和神社の参道に出ました。

星塚古墳。

それでは大和神社に参拝しましょう。

説明板があります。

大和神社は初めて奈良に来た時から気になっていたのですが、ようやく参拝することができて嬉しいです。

扁額。

本殿の方も気になります。

社殿はおおむね東向きで、細かく言うと東南東と言ってよいと思いますが、龍王山(585m)の山頂に向けて造られています。
この辺りの山を古代史と絡めて考えると、龍王山の南にある三輪山(467m)がとくに重要でかつ大神神社の神体山として有名ですが、三輪山と並んで龍王山も初期ヤマト王権の謎を解く鍵を握っていると考えます。
高龗(たかおかみ)神社。

いや、説明板には「たかおおかみ」とふり仮名してありますね。


境内社。

お、戦艦大和展示室!

当然、朝早すぎて開いていません。
石碑もありますよ。


つい先日、クラツーにて戦艦大和のオンライン講座を受講したばかりで、個人的には戦艦大和はタイムリーです。
私はWWⅡでは、軍艦や戦車より航空機の方に興味があって、大和のことは子供の頃に本を読みましたがほとんど覚えていません。
よく、「巨大戦艦」と呼ばれますが、基準排水量は64,000tで全長は263mあります。
簡単に言うと、当時の日米の戦艦より1.5倍大きい戦艦だったと思っていいのですが、何と比較したら分かりやすいですかね?
箸墓古墳の墳丘長が280mですから、箸墓古墳が海の上を航行しているイメージ?

私は3年前に、所用でダイヤモンド・プリンセス号の近くまで行ったのですが、あの船は290mくらいあるそうです。


ダイヤモンド・プリンセス号の水面上の高さは54mで、戦艦大和は正確なデータは無いようですが、艦底から測ると50mはオーヴァーしていたようで、水面から測ると40mくらいですかね(スミマセン、適当で)。
あれ、何の話をしてるんだ?
話を戻します。
大和神社の参道側には星塚古墳の前方部が向いています。

星塚古墳は、『天理の古墳 100』によると、墳丘長70mの長方形の基壇のようなものの上に方墳が2つ乗っかってそれらが接続されているようなユニークな形状の古墳です。
後方部は一辺25m、高さ5mのきっちりとした正方形。
発掘調査はされていませんが、前方後方墳だとしたら、築造時期は前期に収まるはずで、主体部は竪穴系のはずです。
ただ、普通の前方後方墳とデザインがちょっと違うこともあり、大和古墳群の中では謎の古墳の地位にいます。
では、次の古墳へ行ってみましょう。
⇒この続きはこちら
4.補足
5.参考資料
・『大和古墳群Ⅰ ノムギ古墳』(天理市教育委員会/編) 2014年
・『天理の古墳 100』(天理市教育委員会/編) 2015年
・「前方後円墳データベース」 奈良女子大学