日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

平尾城山古墳および平尾稲荷山古墳|京都府木津川市 ~椿井大塚山古墳に続く首長墓~

2020-09-09 23:16:52 | 歴史探訪


平尾城山古墳は墳丘長110mの前方後円墳で、3基の主体部を持ち豊富な副葬品が出土した重要な古墳ですが、墳丘の損壊が激しく、現地に行ってみても往時の墳丘の様子はイメージしづらいです。

発見容易
多少階段
墳丘登頂可能
形状把握困難
説明板なし

お勧め度:

 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


京都府木津川市山城町北河原北山



現況


永寿神社・稲荷神社
竹林(登頂可能だが形状把握困難)

史跡指定



出土遺物が見られる場所



 

2.諸元(平尾城山古墳)                     


築造時期


前方後円墳集成:2期

墳丘


形状:前方後円墳
墳丘長:110m
段築:後円部3段・前方部2段
葺石:あり
埴輪:円筒埴輪・朝顔型埴輪・形象埴輪(家形・蓋形・鶏形など)

主体部


竪穴式石室×1基
粘土槨×2基
割竹形木棺

出土遺物


三角縁神獣鏡・方格規矩鏡・石釧・車輪石・勾玉・ガラス玉・金環・鉄剣・鉄刀・鉄鏃・鉄製農工具・土師器

周堀




 

3.探訪レポート                         


2020年9月3日(木)



この日の探訪箇所
平尾稲荷山古墳 → 平尾城山古墳 → 椿井大塚山古墳 → 天上山古墳 → 御霊山古墳 → 高麗廃寺跡 → 東大寺山古墳 → 赤土山古墳 → 和邇下神社 → 天理参考館


 お掃除の仕事は原則として毎週火・水・木の3日間やっているのですが、今週は木曜日はお休みをいただきました。

 水曜日、いつもと同じように掃除をしたあとは美容室へ。

 明日からはおそらく汗だくになって歩くと思うので、その前に髪の毛を短くカットしてもらいます。

 これで多少なりとも、落ち武者っぽくなるのを防ぐことができるでしょう。

 いったん帰宅し、夕食を摂り、リュックに荷物を詰め込んで出発です。

 23時の八王子駅南口。



 台風はまだ遠くにいますが、湿気を帯びた生ぬるい風が吹いています。



 降り出した雨のなか、23時45分発のバスが来ましたよ。



 今日はこれに乗って京都へ向かいます。

 乗車料金は私が予約した時は5,000円でしたが、ギリギリまで粘って予約をすればもっと安くなります。

 窓側の席で良かった。

 初めて3列シートのバスに乗りましたが、4列と比べると全然快適ですね。

 窓側の席は廊下側にカーテンが付いており、密閉感があって良いです。

 このバスは、大宮を出発して新宿を経由し、八王子駅に来て、次に止まるのは京都駅で、終点は大阪駅です。

 いつもはこの時間は完全に夢の中ですが、深夜高速バスでは熟睡できないですね。

 途中で2回PAに寄り、どこのPAなのかカーテンの隙間から見ても分からないため、外に出て確認したい気もしますが、夜中なので面倒。

 浅い眠りを経て、翌朝の6時前に京都駅に到着しました。



 今のところ、天気は大丈夫そうだな。

 トイレに寄って身繕いをし、売店で朝飯を買ったら本日の歴史めぐりの開始です。

 まだ朝の通勤ラッシュの時間帯ではないと思いますが、駅構内は結構人がいますよ。

 さて、本日の午前中の一番の目的地は京都府木津川市の椿井大塚山古墳です。

 京都府内では著名な初期古墳で、32面以上の三角縁神獣鏡が出たことで有名ですね。

 何年も前からずっと行きたいと思っている古墳で、椿井大塚山古墳に行くついで、と言ったら他の被葬者に失礼ですが、近くの古墳も見てみたいと思います。

 京都からは奈良線に乗りますよ。

 奈良線のホームはあまり人がいませんでした。



 205系。

 こちらからだと逆光になってしまうので反対側からも。



 旭日を受けて顔が輝いています。

 ※上の写真は1000番台ですが、帰宅後に調べたところ、1000番台は阪和線用として製造されたJR西日本独自仕様の205系で、言われてみると少し前まで山手線などで走っていた通常のと比べて窓がでかいのに気づきました。

 電車に乗り込むと、まだ発車時刻に余裕があるからかあまり人がのっていないため、この隙に先ほど買っておいたサンドウィッチを食べます。

 6時43分、列車は出発しました。

 こういう乗ったことのない電車に乗るのって楽しいですね。

 7時36分、棚倉駅に到着。

 奈良線は単線で、棚倉駅では反対側にも電車がいました。

 おや、反対側の電車の正面にはオレンジのラインがありますよ。



 ※帰宅後に「Wikipedia」で調べたら、205系の0番台は1000番台と最高速度が違うため、外見上ですぐに分かるようにオレンジ色のラインが入っているそうです。

 私が乗ってきた電車は、奈良へ向けて遠ざかっていきます。



 無人駅の駅舎で地図の準備をしていると、私と同じ列車から降りてきた方が、インターホンで「切符の領収書が欲しいんですけど」と語りかけています。

 インターホンの向こうの女性の声も良く聴こえます。

 無人駅の場合は改札を出るときに切符を入れる箱がありますが、そこに切符を入れずに(その方は幸いまだ切符を入れていなかった)、切符自体を領収書代わりとしてくださいと言われていました。

 まあ、普通に考えて、切符の領収書なんて発行してもらうことはないですよね。

 棚倉駅の出入り口は東側にあります。



 西側に行きたいなあと思ったところ、向こう側に通じているであろう通路がありました。



 東側から西側に行くときは、階段かスロープを下って行き、西側は一段低くなっています。

 ここから西へ1㎞ちょっと行けば木津川が流れていますが、これも河岸段丘なのかな。

 駅の西側はロータリーになっており、馬形埴輪のようなオブジェも見えます。



 ではここから歩いて行きますよ。

 辛うじてまだ雨は降ってきませんが、降り出すのも時間の問題でしょう。

 おっと、お仕事ご苦労様です!



 サービスマスターかメリーか、はたまたターミのようですから、これから現場に行くのでしょう。

 「スタッフ募集中」のステッカーが貼ってありますが、私なんかどうでしょうか?

 棚倉駅から10分くらい歩くと前方に丘が見えてきました。



 古墳はあの山の中ですね。

 奈良線の踏切を渡ります。



 踏切から奈良方面。



 踏切を渡るとすぐ左手に赤い鳥居がありました。



 ここから登って行きます。



 しかしこの神社の階段は一段が高い・・・

 朝からいい運動になりますね。

 少し登って振り返ります。



 稲荷神社らしく、奉納された鳥居が並んでいます。



 眺望。



 そろそろ頂部かなというところに、墳丘らしきものを発見。



 おそらくこれが径30mの円墳である稲荷山古墳なはずですが、墳頂に神社があってよく分かりません。

 社殿。



 奥へ進みます。

 墳丘を逆方向から見ます。



 この先には大型前方後円墳の平尾城山古墳があるはず・・・

 おっと、ありましたよ!



 前方部をこちら側に向けています。

 前方部の裾には周堀のようなものがありますが、古墳の周堀というよりかは、城の空堀のように見えます。



 竹林の中に入ってみても、全然形状が把握できません。



 サイドを見下ろすと、数段の段差がありますが、古墳の段築というよりかは城の帯郭のように見えます。



 後円部は3段築成なのでこれは段築だとは思いますが、この山は「城山」と呼ばれていますから、中世の頃、城として改築した可能性もあります。

 誰がやったのか、杭を石で囲んでいる。



 浅い溝がありますが、城の堀ではないでしょう。



 削っていますな。



 もう全然古墳かどうかも分かりません。



 だめだこりゃ。



 スペック上、墳丘長は110mですから、墳丘はこの辺までかなというところまで来たので、林道へ降ります。

 おそらく今見ているのが後円部。



 道はここから先は下り坂になっています。



 平尾城山古墳については今のところ手元にほとんど資料がなく、Web上にある僅かな情報を元にこうして現地にやってきたのですが、これは完全に玉砕ですね。

 戻りましょう。

 前方後円墳集成編年では2期となっており、これから訪れる予定の椿井大塚山古墳が1期ですから、大きさからみてもそれに後続する首長墓と考えていいと思います。

 ただし、椿井大塚山古墳では175mだったのが平尾城山古墳は110mですので、この地域の有力者の力は衰えてしまったのが分かります。

 『山城の二大古墳群 乙訓古墳群と久津川古墳群』によると、円墳の稲荷山古墳は3期としており、状況的には4世紀半ばにはここ「木津」の王の力は凋落してしまった様子が伺えます。

 ただ、私はこの地域に来たのは初めてですし、ほとんと知識がないので、もう少し範囲を広げて古墳築造の動向を考察してからでないと、はっきりしたことは分かりません。

 道から下を見ても結構な断崖ですよ。



 古墳を再利用して築城するにはいい場所かも知れません。

 では、つづいて椿井大塚山古墳へ行ってみましょう。

 (つづく)

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・『山城の二大古墳群 乙訓古墳群と久津川古墳群』 京都府立山城郷土資料館/編 2016
・「前方後円墳データベース」 奈良女子大学



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