日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

壬生愛宕塚古墳|栃木県壬生町 ~最近の調査で新たな知見を得ることができた後期の前方後円墳~ 【栃木・思い付き歴史探訪 ④】

2020-05-24 18:23:29 | 歴史探訪
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 車塚古墳と牛塚古墳の説明板を見て近辺の古墳について知りました。

 その中の愛宕塚古墳に行ってみましょう。

 ここですね。



 説明板がありますよ。



 愛宕塚古墳も広い基壇部分を有した下野型古墳ですね。

 墳丘長は説明板では65mとありますが、壬生町教育委員会のサイトには77mとあり、さらにごく最近の調査で82mに修正されました。

 1400年以上経ってもいまだに成長している!

 墳丘図はもともとは墳丘と周溝と周堤を色を分けて表現していたようですが、今見るともう分かりづらくなっていますね。



 一番外側の白っぽい部分が周堤(この図でいうところの土塁)でしょう。

 しかし、横から見なくても上からの平面形を見ても後期の古墳らしいグラマラスな様子が分かりますね。

 では墳丘に取り付きましょう。

 周堤の中に入ると、愛宕神社の拝殿が見えます。



 愛宕神社は前方部側に立っています。

 周溝。



 しゅ・・・、しゅう・・・こう。



 いや、緊張なんかしていませんよ。

 墳丘が2段になっているのが分かります。



 基壇部分に乗り拝殿を見ます。



 段築は意外と高さが無いですよ。

 振り返ります。



 説明板には前方部の高さは周溝の底から測って6.5mとありますから、かなり低墳丘の古墳ですね。



 後円部を見ます。



 基壇部分に降りて後円部側を見ます。



 基壇の平坦部分が綺麗に残っていますし、ここから見ると周溝も結構深さを感じます。

 今度は前方部側。



 後円部墳頂。



 なんか意味ありげな長方形が描かれていますよ。



 もしかして主体部の場所かなと思いましたが、これは後期の古墳ですから後円部の中央に竪穴系の主体部があるなんてことはないですね。

 しかも下野型ですから、主体部があるのは前方部側のはずです。

 説明板には発掘調査はしていないと書いてありましたね。

 後円部から見下ろします。



 この古墳はプロポーションがあまり崩れていないようです。

 では、墳丘から降りましょう。



 後円部側から前方部方向を見ますが、これだと今一形状が分かりません。



 周溝を歩き最初の場所へ戻ってきました。



 参道を造るために、周堤のその部分は破壊されています。





 周溝の中は城跡の堀底のような雰囲気ですね。



 周堤と周溝の高低差はそこそこありますが、周堤の外側との高低差はあまりなくなっています。



 ※帰宅後に知りましたが、前年の調査によって周溝が二重であったことが分かったそうで、周堤上からは円筒埴輪や盾持人埴輪を初めて人物や馬の形象埴輪が見つかったそうです。

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