可児市広見に所在する熊野古墳は古墳時代終末期に可児地域を治めた有力者の墓で、副葬された金銅装大刀に被葬者の生前の威勢を偲ぶことができます。
発見容易
説明板あり
墳丘登頂不可
石室は開口しているが入室不可
お勧め度:
*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
岐阜県可児市広見1005
現況
古墳
史跡指定
岐阜県指定史跡
出土遺物が見られる場所
可児郷土歴史館
2.諸元
築造時期
7世紀前半(現地説明板)
墳丘
形状:円墳
直径:30m(現地説明板)
墳高:5m(現地説明板)
段築:
葺石:
埴輪:なし
主体部
横穴式石室
羨道と玄室で構成
玄室は無袖式
残存長:13.32m
玄室長:4.49m、幅:2.1m、高:2.84m
(以上、現地説明板より)
出土遺物
須恵器、土師器、鉄鏃、刀子、金銅装大刀(現地説明板)
周堀
不詳
3.探訪レポート
2019年8月1日(木) 濃尾・思い付き古墳ドライヴ その4
この日の探訪箇所
長篠設楽原・織田信長戦地本陣跡 → 久々利城跡 → 可児郷土歴史館 → 広見熊野古墳 → 身隠山御嶽古墳 → 身隠山白山古墳 → 長塚古墳 → 野中古墳 → 西寺山古墳 → 川合考古資料館 → 次郎兵衛塚1号墳 → 東之宮古墳 → 妙感寺古墳 → 青塚古墳
可児郷土歴史館を出発して、いよいよ古墳めぐりのスタートです。
まずは可児市内にいますので、可児の古墳をいくつか見ようと思います。
最初にやってきたのは先ほど郷土歴史館で遺物の展示を見た熊野古墳。
墳丘の横に雷電號が止められそうです。
では行きますよ。
石室が開いているようですが、バリケードで囲ってあり、石室内はおろか墳丘内にも立ち入られないようになっています。
説明板を読んでみましょう。
ここから出土した遺物は先ほど可児郷土歴史館で見ましたね。
この素晴らしい金銅装大刀はどこで見られるのかな?
可児郷土歴史館には墳丘図が展示してあったのでもうここで確認してみます。
説明板によると横穴式石室は13mもあって結構大きい部類ですね。
でも中に入れない・・・
羨道部分の天井石はなくなっています(上の写真で墳丘に横たわっている巨石が羨道部分の天井石かな?)。
幸い今日は天気が良いので、玄室内の写真もカメラのズームで撮れるかも。
玄室の中は辛うじて見えますね。
奥壁に目立つような大型の石は使っていません。
すぐに類例が思い出せない・・・
説明板には無袖と書いてありますが、見た感じだと微妙に左側の片袖になっているように見えなくもないです。
でも、調査の結果無袖といっているわけですから無袖なんでしょう。
中に入って確認できないのが悔しいです。
私はまだ濃尾の古墳についてはあまり知らないのですが、何となくのイメージだと濃尾では横穴式石室が見られる古墳は少なさそうなので、広見熊野古墳は横穴式石室の中が覗ける貴重な古墳じゃないでしょうか?
いい古墳ですねえ。
墳丘には大きな木が5本立っているので、この古墳に来るときはこれが目印になるでしょう。
説明板に書いてある通り、玄室の天井石が露出していますね。
現在の墳丘高は3.5mほどになっていますが、元々の墳丘高は5mでしかも直径は30mほどだったと推測されていることから、現在の姿はかなり削られて縮小されてしまっていることが分かります。
今は史跡指定にされているのでこれ以上壊される心配はありませんが、史跡指定にせずに放って置いたらもしかしたら墳丘の土がさらに取られて行って「石舞台」になっていたかもしれませんよ。
そうしたら、「美濃の石舞台」とか言われていたかもしれません。
あ、もちろんそうなれば良かったなあと思っているわけではありませんので誤解されないようにお願いします。
ところで、今回のこの旅は思い付きでやってきただけの無計画な「古墳ドライヴ」なわけですが、もしツアー向きの古墳がいくつか見つかったら濃尾の古墳ツアーを造ってみようと思います。
この熊野古墳もツアーに組み込みたいですが、近くにはバスを止められそうな場所はなさそうです。
なんかいい手はないかな?
ではつづいて、こちらも先ほど郷土歴史館で展示を見た身隠山古墳群へ行ってみますよ。
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4.補足
5.参考資料
・現地説明板