日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

八高古墳および剣ヶ森古墳|愛知県名古屋市瑞穂区 ~旧制八高構内に残る前方後円墳と円墳~

2021-01-03 18:55:52 | 歴史探訪


八高古墳は名古屋市立大学滝子キャンパス(旧制八高)構内に残る中期の中型前方後円墳で、すぐ隣には円墳の剣ヶ森古墳も残っています。

発見容易
簡単な説明板あり

お勧め度:

 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


愛知県名古屋市瑞穂区中山町3-16(名古屋市立大学滝子キャンパス内)



現況


名古屋市立大学滝子キャンパス

史跡指定



出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             



築造時期


4世紀後半(『海浜型前方後円墳の時代』)
4世紀末(『東国尾張とヤマト王権』)
5世紀前葉~中葉(『日本の古代遺跡 48 愛知』)
5世紀中ごろ(現地説明板)

墳丘


八高古墳
形状:前方後円墳
墳丘長:50m、後円部径:30m、後円部高:4.5m(現地説明板)
墳丘長:70m(『日本の古代遺跡 48 愛知』)
段築:
葺石:
埴輪:あり

剣ヶ森古墳(八高2号墳)
形状:円墳
径:30m

主体部


八高古墳
粘土槨・木棺直葬

出土遺物


八高古墳
墳頂付近で円筒埴輪が採集

周堀



 

3.探訪レポート                         


※本墳は2021年1月29日出発の濃尾の古墳ツアーで探訪する予定はありません。

2020年12月27日(日) 濃尾ツアー下見3日目 その1



この日の探訪箇所
八高古墳および剣ヶ森古墳 → 村上おどり山古墳 → 名古屋市博物館 → しだみ古墳群ミュージアム → 志段味古墳群


 来年1月のツアーのための下見旅行も3日目の朝を迎えました。

 今回お世話になっているホテルは東横イン名古屋駅桜通口本館で、東横インは良く利用しており、部屋の中身も違いはほとんどないはずですが、たまたま今回あてがわれた部屋はとても居心地が良いです。

 連泊すると「自分の部屋感」が出てきますが、そんな部屋とも今日でお別れ。

 7時半に1階の朝食会場へやってきましたが、今朝もほとんどお客さんはいません。

 ササっと食べてそのままチェックアウトし、一昨日と同じく名古屋駅近くのレンタカー屋さんに出向きます。

 8時の開店と同時に受付を済ませ探訪スタート。

 今日は昨日行く予定で行けなかった名古屋市博物館からめぐりますよ。

 博物館は名古屋駅から近いため、9時半の開館時間の1時間前に到着して駐車場に車を入れてしまいました。

 こうなることは分かっていたんです。

 さて、博物館の近くに何か遺跡は無いかな?

 そう思い、手元の『なごやの古代遺跡を歩く』を紐解くと、徒歩圏内に八高古墳というのがあるようです。

 八高古墳という名前はまるで八王子と高崎を結ぶJR八高線を思い出させますが、旧制八高跡にあるからその名前になっています。

 しかし今回のように土地勘がない場所に来ていると、こういった街歩きのガイドブックがとても役に立ちますね。

 では出発!

 八高古墳は名古屋市立大学の構内にあるようなので、迷わずに行けるでしょう。

 街を歩いていると流石名古屋、喫茶店でモーニングをやっています。

 朝から優雅にコーヒーか何かを飲みながら新聞を読んでいる人とかが見えますよ。

 モーニングも一回やってみたいと思っており、いずれ誰かと名古屋に来ることがあったらトライしてみようと思いますが、今日は古墳へ向かいましょう。

 お、見えてきました。



 名古屋市立大学です。



 構内にはいってすぐのところに案内図があります。



 古墳もちゃんと書いてありますね。

 というか、入ってすぐのがそうじゃん!



 例の名古屋市フォーマットの説明板があります。



 八高古墳は中期の前方後円墳ですね。

 主軸は東西方向で、大学入口側に後円部が向いています。

 後円部側の北側に回ってみましょう。



 墳丘内には入れないようです。



 ついでなので、説明板に書いてあった円墳を見に行きます。

 構内は閑散としており人っ子一人いません。

 お、墳丘らしきものがありましたよ。

 写真を撮ろうとしたら、ちょうどワンちゃんを連れたご婦人が通りかかったので、「おはようございます!」と挨拶して待機します。

 構内がワンちゃんの散歩コースになっているというのも面白いですね。



 径30mということですが、まあまあ立派な円墳ですよ。



 ここにもちゃんと説明板がありました。



 ここには陪塚と書いてありますが、本当に陪塚かなあ?

 この古墳の名前は剣ヶ森古墳でいいと思いますが、こちらは墳丘に登れます。

 おや、古風な学生さんがいますよ。





 私は若くない旅人ですが、友として認めてくれますか?

 しかも古墳マニアですが、友として認めてくれますか?

 古風な学生さんから返事はありません。

 墳頂に登ります。



 「第八高等学校所在之地」の石碑。



 墳頂からの眺め。



 斜面。



 先ほどの八高古墳に戻ります。

 今度は女学生がいて、今風の格好をしてしかも動いているので生身の人間でしょう。

 八高古墳。



 先ほど見なかった西側の前方部側へ回ってみようと思います。

 おっと猫ちん。



 朝寝中ですね。

 墳丘は樹木が生い茂っていて良く分かりません。



 警戒しているな?



 墳丘。



 大学構内にいる猫なので人間さんに慣れているかな?





 ゆっくり近づいてみましたが逃げられてしまいました。

 墳丘を観察しますが、あまりよく形状が分かりません。



 まあでも、これで予定外の古墳が2基も見れた。

 まだもう少し時間があるので、周辺をもう少し歩いてみようと思います。

 『なごやの古代遺跡を歩く』によると、市立大学の前の道を南下して行くと、かつて県立大学だったところが「市邨学園高蔵高校」になっており、そこに高田古墳という墳丘長87mを誇る前方後円墳があったそうです。

 古墳はもう完全に破壊されているようですが、古墳跡を確認してみたいと思います。

 ところが、「市邨学園高蔵高校」なるものが現れません。

 該書に掲載されている地図は少し古い地形図でしかもかなり大雑把なので、スマホのGoogleマップで確認してみますが、「名古屋経済大学高蔵中学・高等学校」はあっても、「市邨学園高蔵高校」はありません。

 うーん、良く分からん。

 まあ、この辺だったんでしょう。



 ※帰宅後「今昔マップ on the web」で調べてみたところ、明治24年の測図でここから東側にある名古屋高田郵便局の2~30メートル西側から南側の学校の敷地にかけて、南北方向の軸で100mくらいの古墳らしきものが描かれており、それが高田古墳でしょう。

 『海浜型前方後円墳の時代』によると、高田古墳の主体部は粘土槨で、鉄剣・鉄鏃、円筒・形象埴輪片が出土し、4世紀末から5世紀初頭の築造です。

 八高古墳と高田古墳の築造順に関しては、管見に触れた資料すべてが八高古墳を先としており、それらの中でも該書は最も築造時期を早く見ており、八高古墳の築造を4世紀後半としています。

 高田古墳の周辺にもかつては数基の古墳があり、さきほどの八高古墳や剣ヶ森古墳と合わせて考えてみても、この周辺は古墳ゾーンだったことが分かります。

 周辺地形を見るとこの場所のすぐ西側は地形が落ちており、これら3古墳は台地の縁に近い部分に築造されていた古墳だということが分かります。

 もう少し範囲を広げて見てみると、名古屋城が北西の一画を占める名古屋台地は南側が二股に分かれており、昨日歩いた熱田神宮や断夫山古墳のある場所は二股のうちの西側の熱田台地です。

 熱田台地には、消滅してしまいましたが墳丘長100mクラスの大須二子山古墳があって、その周辺にはわずかながら墳丘が残る日出神社古墳と那古野山古墳があります。

 一方、今いる場所は二股のもう一方の瑞穂台地と呼ばれる場所で、熱田台地と瑞穂台地の間は今は堀田低地と呼ばれており新堀川が流れていますが、往時は海が入り込んでいたようです。

 瑞穂台地には、円墳としては東海地域最大の径82mを誇る八幡山古墳があり、これはかなり注目度が高いですが、さらにその北には径36mの円墳の一本松古墳が残っています。

 八幡山古墳の北約1㎞にある白山神社古墳は墳丘長70mの前方後円墳と考えられており、その南には消滅した50mクラスの前方後円墳・西塚古墳がありました。

 また、吹上周辺にはかつて50mクラスの帆立貝形古墳・馬走塚古墳などがあり、初めてここにやってきた私が知ったかぶりして話しているのもおかしな話ですが、これらの古墳はまた今度こちらに来た時に調べてみようと思います。

 とくに径82mの八幡山古墳はヤバそうだね。

 では、村上おどり山古墳へ向かいましょう。

 ⇒この続きはこちら

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板
・『あゆち潟の考古学』 名古屋市博物館/編 1994年
・『日本の古代遺跡 48 愛知』 岩野見司・赤塚次郎/著 1994年
・『なごやの古代遺跡を歩く』 服部哲也・木村有作・纐纈茂/著 2008年
・『海浜型前方後円墳の時代』 かながわ考古学財団/編 2015年
・『東国尾張とヤマト王権』 近つ飛鳥博物館/編 2017年


最新の画像もっと見る