日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

牟佐大塚古墳|岡山県岡山市北区 ~岡山三大巨石墳の一基~ 【備前・備中古代史探訪 ⑤】

2018-10-06 16:07:17 | 歴史探訪
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 今日は予定よりも2時間遅れての探訪スタートとなり、すでに時刻はお昼を過ぎてしまいましたが、引き続き当初の予定どおりめぐってみようと思います。

 本日は最終的には広島へ行かないといけないのですが、岡山市街から広島とは反対方向の赤磐市を目指します。

 その途中、岡山市の牟佐大塚古墳を確認したい。

 カーナヴィを頼りに近接すると、車は入れないであろう細い道の前まで来てしまいました。

 仕方がない。

 車を降りて、徒歩で向かいます。

 歩き出すとすぐ、前方に墳丘らしきものが現れました。



 これでしょうか・・・

 いや、説明板があるからこれでしょう。



 説明板に岡山県の「三大巨石墳」と書かれている通り、墳丘は小さいですが、石室は見事なようです。

 確かに18メートルは凄いですね。



 三大巨石墳の残りはこうもり塚古墳(石室長19.4m)と箭田大塚古墳(同19.1m)です。

 周囲を探ってみますが、墳丘はかなりカットされていますね。



 反対側へ回ってみましょう。

 お!

 石室が開口している!



 全長18メートルの石室ということで期待できます。

 しかも入口部分の石からしてでかいね!



 なになに・・・



 ヒカリモ・・・

 あらま・・・

 水浸しだ。



 昨日は台風24号(宗像ツアーを中止せしめた台風)が通過して行ったので、こんなになってしまったのでしょうか。

 これでは石室内に入れませんね。

 仕方がない。

 『吉備の古墳 上』によると、奥に見える家形石棺の大きさは全長2.9mで幅は1.6m、高さが1.5mで、井原市で採れる貝殻石灰岩製だそうです。

 こちら側に大きく穴が開いていますが、後世の仕業です。

 しかし、この古墳の名前が気になります。

 「牟佐」というのは、先日奈良に行ったときに訪れた孝元天皇の宮殿跡の伝承がある神社も牟佐坐(むさにます)神社でした(大和国高市郡に身狭<牟佐>という地名があります)。

 千葉県にも武社(武射)という地名があり(国造もいた)、昔勤めていた千葉県内の職場に武者さんという方がいました。

 「むさ」っていったい何なんでしょうね。

 さくほど見たとおり、墳丘はだいぶ削られてしまっており、円墳と考える人以外にも方墳だったのではないかと考える方もいるようです。

 石室には入れませんでしたが、気を取り直して赤磐市方面へ向かいます。

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