日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

甘樫丘・甘樫丘東麓遺跡|奈良県明日香村 ~日本国家発祥の地を見下ろす蘇我氏の本拠地~ 【飛鳥の史跡探訪 ②】

2019-03-08 22:09:09 | 歴史探訪
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 豊浦寺跡を出て、甘樫丘(あまかしのおか)を登ります。

 飛鳥について書かれている本では、飛鳥に行ったらまずはこの丘に登ってみましょう、と書かれているものが多いです。

 白状しますと、私はまだ一度も登ったことがなく今日が初めてなのです。

 ついでにもう一つ白状しますと、高尾に15年くらい住んでいるのに高尾山には1回しか登ったことがないのです。

 はい、これはどうでもいい話ですね。

 中腹からの眺望。



 耳成山チラリズム。

 二つある展望台の一つ、甘樫展望台へやってきました。



 標高は148mで、麓との比高差は40mほどしかないのですがとても見晴らしがいいです。

 まずは狭義の飛鳥方面を見ます。







 飛鳥とは反対方向の西側。



 畝傍山と耳成山。



 畝傍山の左に茶色い高層の建物などが見えますが、あのあたりにクラツーでよく泊る橿原ロイヤルホテルがあり、すなわち本日のスタート地点である橿原神宮前駅のあたりとなります。

 ズーム!



 畝傍山とその背後には二上山。



 奈良県で一番大きい、墳丘長310mの見瀬丸山古墳の墳丘が見えます。



 見瀬丸山古墳は欽明天皇の墓という説のほかに、蘇我稲目の墓という説もありますが、もしかして蘇我氏の拠点であるここ甘樫丘からの景観も考慮して構築していませんか?

 耳成山が見えるということは、その前面には藤原宮跡があるはず。





 お、朱色の柱列が見えた!



 耳成山と天香久山。



 さきほど行った古宮遺跡。



 あの綺麗な三角形のお山は三輪山かな?



 だとすると、あの山のこちら側の麓を昨日歩いたわけで、右手には雄略天皇の宮殿があったことになります。

 再び、狭義の飛鳥。







 飛鳥はご覧の通り宮殿や寺院の伽藍がとろこせましと並び立っていたわけです。



 いやー、それにしてもいい景色ですね。

 大神神社の展望所から眺める奈良盆地もいいですが、ここも凄くいいです。

 この丘の上から飛鳥と藤原だけでなく橿原や桜井の歴史、つまりヤマト王権が生まれてから7世紀までの歴史の解説ができますね。

 つづいて、川原展望台へ行ってみましょう。

 ここは工事中ですね。





 川原展望台に着きました。

 畝傍山の右奥には生駒山が。





 飛鳥の奥地。





 耳成山。





 ではいよいよ狭義の飛鳥へ行きますよ。

 あ、ここは甘樫丘東麓遺跡ですね。



 明日香村の公式サイトによると、甘樫丘東麓遺跡の発掘調査は6度行われ、1994年度の発掘調査では谷部分において7世紀後葉から藤原宮期にかけての大規模な整地跡と炭化した木材などが含まれた7世紀中葉の焼土層が確認されています。

 7世紀中葉の焼けた土が出てきたということは、645年の「乙巳の変」で焼かれたのではないかと想像できますね。

 乙巳の変で入鹿は暗殺されましたが、その父・蝦夷は自宅で自殺したとされていることから、ここに蝦夷の邸宅があった可能性があります。

 ただ、現在までの発掘範囲内ではその決め手となるものは出ていないようです。

 石がたくさん積んでいるのが気になる。



 それでは、これから蘇我氏のコアゾーンを丹念に歩いてみますよ。

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