⇒前回の記事はこちら
小山城跡を見た後は古代の世界に戻ります。
次は団栗(ずんぐり)塚古墳へ行きますよ。
熊野神社が目印のようなので、ひとまず熊野神社を目指します。
あった、これだな。
境内の脇で雷電號から降りて古墳へ向かいます。

うーん、それなりに大きいですが、何の変哲もない円墳という感じです。

墳頂へ登ってみましょう。
神様がいらっしゃいますね。

大神社とあります。

うーん、こんなもんかなあ・・・

※帰宅してから気づいたのですが、団栗塚古墳は、ここからもう少し北へ行った場所にあるようで、これは熊野神社境内で確認されている3基の円墳のなかの1基でした!
つづいて、熊野神社へ参拝してみましょう。
境内社の八幡社。


熊野神社拝殿。


本殿。

本殿の脇にも円墳がありますね。

説明板。

ところで、今日は樹木の伐採作業を行っていますよ。

説明板には御神木について書かれています。

まさか御神木を!と思いましたが、ちょうど親方さんみたいな人が歩いてきたので尋ねてみると、朽ちかけていた杉を切ったそうです。
おー、割竹型木棺が作れそう!

その方は、御神木であるコウヤマキの方を見て、「あれも危ないんだけどなあ。でも御神木だからそう簡単に切れないよね」と話してくれました。

私はコウヤマキというと、古墳時代前期においてもっとも豪華な木棺の素材という認識があります。
百済の武寧王陵の木棺は日本産のコウヤマキ製ですし、武寧王自身も日本で生まれた可能性がありますが、韓国人の現地ガイドは日本人にはそういうことは一切説明しないらしいですね。

なんか不思議な感じがする木だな。

甲斐国第一!

参道。

では、雷電號へ戻りましょう。


こちらも古墳でしょう。

墳頂からの眺め。

それでは引き続き、古墳探訪をします。
⇒この続きはこちら
小山城跡を見た後は古代の世界に戻ります。
次は団栗(ずんぐり)塚古墳へ行きますよ。
熊野神社が目印のようなので、ひとまず熊野神社を目指します。
あった、これだな。
境内の脇で雷電號から降りて古墳へ向かいます。

うーん、それなりに大きいですが、何の変哲もない円墳という感じです。

墳頂へ登ってみましょう。
神様がいらっしゃいますね。

大神社とあります。

うーん、こんなもんかなあ・・・

※帰宅してから気づいたのですが、団栗塚古墳は、ここからもう少し北へ行った場所にあるようで、これは熊野神社境内で確認されている3基の円墳のなかの1基でした!
つづいて、熊野神社へ参拝してみましょう。
境内社の八幡社。


熊野神社拝殿。


本殿。

本殿の脇にも円墳がありますね。

説明板。

ところで、今日は樹木の伐採作業を行っていますよ。

説明板には御神木について書かれています。

まさか御神木を!と思いましたが、ちょうど親方さんみたいな人が歩いてきたので尋ねてみると、朽ちかけていた杉を切ったそうです。
おー、割竹型木棺が作れそう!

その方は、御神木であるコウヤマキの方を見て、「あれも危ないんだけどなあ。でも御神木だからそう簡単に切れないよね」と話してくれました。

私はコウヤマキというと、古墳時代前期においてもっとも豪華な木棺の素材という認識があります。
百済の武寧王陵の木棺は日本産のコウヤマキ製ですし、武寧王自身も日本で生まれた可能性がありますが、韓国人の現地ガイドは日本人にはそういうことは一切説明しないらしいですね。

なんか不思議な感じがする木だな。

甲斐国第一!

参道。

では、雷電號へ戻りましょう。


こちらも古墳でしょう。

墳頂からの眺め。

それでは引き続き、古墳探訪をします。
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そう木棺ですね。この前神奈川でも神社の案内で見た木のお名前です。
円墳でしたよね。で熊野で武寧さんも超好物です。
継体系ならやっぱり大阪高槻あたりと絡みそうに思うんですよね。
で曼荼羅と鏡ってのも気になります。甲斐だけに菱も乳が四つもかなり気になっちゃいました。
長尾氏って関わらないかなぁ?上杉系でしたっけ?
上杉と武田の関わる地だと面白くなります。
個人的にですけどね。