日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

塚崎古墳群|鹿児島県肝属郡肝付町【初の鹿児島古墳探訪 ②】

2020-10-05 15:08:26 | 歴史探訪


 ⇒前回の記事はこちら

 唐仁古墳群から10分ほど走り、この辺かなあと周囲に注意していると、道路傍にこれまた立派な説明板と石碑が現れました。



 分布図を拡大します。



 この中の51号墳に行ってみたいのです。

 説明板の前は駐車場というわけではありませんが、乗用車であれば数台は停められます。



 あの森の中に51号墳があるのかな?



 あそこにも古墳らしきものが見えます。



 あっちにも。



 うわー、古墳ポコポコ地帯だあ。

 歴史民俗資料館もすぐ近くにあるのですが、今日は断腸の思いで立ち寄りません。



 開館時刻まで待つことができないのです。

 本日の大隅古代史探訪は仕事の合間に来ているため時間が限られており、だからこそ朝の6時に出てきたわけです。

 少し走ると広い駐車場がありました。

 歩いてめぐるとしたらここが拠点となりそうで、ここにも説明板があります。



 しかし考えてみれば、昭和20年2月に史跡指定になったって凄いですね。

 戦争も末期的様相になっており、この近くには特攻隊の基地で有名な鹿屋飛行場もありますし、昔祖母から聴いた話では、この辺では米海軍の艦載機が帰艦する前に機銃の弾を捨てるために、面白半分に畑仕事をしている人たちを撃っていったそうです。

 そんな状況の中での史跡指定ですよ。

 当時の人たちはどういう気持ちで文化財と関わっていたのでしょうか。

 先ほど見たのと似ていますが、分布図を拡大します。



 塚崎古墳群最古の11号墳はもろに柄鏡形ですね。



 ただ、この図を見ると平面形は柄鏡ですが、前方部はのっぺりしているわけではなく盛り上がっています。

 今日は時間がないため、ピンポイントで51号墳だけを見ますよ。

 駐車場があるかどうか分かりませんが車で行きます。

 古墳があると思われる場所をゆっくり走らせながら注視していると標柱がチラッと見えました。

 でも止める場所がないですね。

 いったんやり過ごし、Uを切って戻ってきて何とか路駐スペースを見つけました。

 遺跡めぐりは軽自動車が便利ですね。

 では、行ってみますよ。

 さっき見た標柱。



 説明板はありませんね。

 しかもここから入るのは・・・

 いや、何となく道がついていますよ。

 少しの藪漕ぎで墳丘に取り付けそうです。

 行くぞ!



 思った通り、中に入るとそれほど植物は茂っていません。

 後円部へ向かいます。



 ただ注意するのはクモの巣ですね。

 40歳を過ぎてから山城歩きを本格的にするようになってからクモや虫さんたちにもずいぶん慣れました。

 蛇は元々いないものとして考えており、夏場でもほとんど出会わないですが、ハチの方が怖いですね。

 でも慣れたとはいえ、クモの巣を顔に被ると嫌なので、クモさんには申し訳ないのですが、クモの巣だけは破壊しながら進まなければなりません。

 後円部墳頂には標柱がありました。



 ここには39号墳とありますが、古いナンバリングなのです。

 後円部側から前方部を見ます。



 先ほど見た墳丘図の通り、前方部はのっぺりしています。

 墳丘長は52m。

 よし、これで最南端の前方後円墳を制覇したぜ!

 ちなみに最北端の角塚古墳には何度も行っていますよ。

 さて、今日はツアーの下見でこのあとは青島神社へ行かないとなりません。

 結構距離があるのでこの辺で大隅の古墳探訪を切り上げて急いで向かいますよ。

 ・・・と思っていたら、「塚崎の大楠」の看板の横を通った瞬間、チラッと凄い気を放っている大木が視界に入り込んできました。

 あー、巨木好きとしてはやはり無視できない!

 寄り道します!



 うわ、凄い。



 ひやー。



 これはでかいですねえ。

 1号墳という円墳の上に生えているのですが、木が大きすぎて古墳の存在感がほとんどありません。



 私は植物のことは全然詳しくないのですが、どういうわけか神社などに生えている巨木は昔から好きなのです。

 会えてよかった・・・



 樹肌をさすりながら感謝の気持ちを述べて去ります。

 宮崎へ戻りますよ!

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