日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

東山道武蔵路跡(JR的場駅近辺)|埼玉県川越市 ~現代の道路で想像する1300年前の道路~

2020-08-28 13:57:30 | 歴史探訪
 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


埼玉県川越市



現況




史跡指定


なし

出土遺物が見られる場所



 

2.諸元                             



 

3.探訪レポート                         


2016年10月10日(土)



この日の探訪箇所
山王塚古墳 → 尾崎神社 → 東山道武蔵路跡(JR的場駅近辺) → 河越館跡 → 上戸日枝神社 → 浅間宮の謎の塚 → 牛塚古墳 → 川越市立博物館 → 川越城跡 → 喜多院多宝塔古墳


 尾崎神社に参拝した後は、東山道武蔵路の跡をチョロッと見に行きましょう。

 見に行くと言っても現状はただの道路になっているはずで、武蔵国分寺跡の近くのように史跡整備されているわけではありません。

 ただ、市内でも当時の道跡と現在の道路がほぼ重なり合っている箇所は少なくて、その重なり合っている場所を見てこようかなと思うわけです。

 目的地のJR川越線の的場駅に到着。



 駅の近くの不動産屋の前に、その会社が設置した「的場の由来」という説明板があります。



 こういうのを設置してくれると歴史ファンにとってはありがたいですね。

 ここに書かれている通り、戦前までは縄文人は私たちとは違う先住民族だと思われていました。

 というか、「きしとしお」って、あの岸俊男先生?

 ※同じ名前ですが地元の研究者の方です。

 ではここで、この近辺の東山道武蔵路跡や古墳の図をお見せします。


※同じ日に川越市立博物館にて撮影

 今いる場所は、この地図の的場駅の近くです。

 その西側に南北の赤い線が引かれていますが、それが東山道武蔵路のラインです。

 律令時代の官道跡は現在はこんな感じ。



 これは北の方に向いています。

 この地点の現状は中世の頃の主要道の標準的な道幅である2.7mよりも少し広い程度ですが、古代はもっと広く、9~12mはあったはずです。

 踏切の名前は「第二新田踏切」。



 JR川越線は単線で、島式ホームの的場駅の手前で二つに分かれていますね。



 南方向はこんな感じ。



 え、これだけですか?

 と聞かれそうですが、その通り、この場所を確認するために来たのです。

 この近辺では、約650mに渡って1300年以上前に造られた道と現代の道が重なり合っており、ここから28㎞ほど南下すると武蔵国府に着きます。

 武蔵国府方面を見ると、川越市内の若宮・八幡前遺跡では、「駅長」と墨書された土器が見つかっているため駅家であることは間違いなく、そこから16㎞さきの所沢市東の上遺跡も駅家の跡で、その先は終点・武蔵国府です。

 本当は武蔵国府跡から上野国府跡までの100㎞くらいの間を歩くことができればいいのですが、現在の道と重なり合っている箇所は一部分ですから、こうやって少しずつ行ける箇所に行くようにしているのです。

 つづいて、そろそろお昼になるので、河越館跡に行ってお弁当を食べることにします。

 ⇒この続きはこちら

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・『川越市立博物館 第41回企画展 古代入間郡の役所と道』 2015年


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