前回の記事で、先月行ってきた「三国志展」のことを少し書きましたが、今日はついでに面白かったものをいくつかご紹介します。
まずはこれ。
一体何でしょうか。
これは武器なのです。
どうやって使うかというと、イラストで解説がありました。
そしてこの特殊な武器の使い手は何と!
曹丕だったのです!
お父さんの曹操はとっくに漢を滅ぼす力を持っていましたが、魏王の位にとどまりました。
やはり、自身が漢の朝臣であった時期が長いからでしょうか。
それとも実際は寡欲な人なのか、後世の評判を気にしたのかわかりませんが、息子の曹丕は違いました。
そんなのは関係なく、魏の初代皇帝となってしまいました。
曹丕は長男ではなく三男で、異母兄の曹昂は戦死しており(小説では逃げる父を庇うために敵を食い止めて戦死という描写があった気がします)、次兄も早世しているので跡継ぎになりました。
しかし、皇帝自らこういう武器の使い手っていうのはカッコいいですね。
曹操の族子では、なんと曹休の展示コーナーがありました!
すげー、曹休が脚光浴びたよ!
石亭の戦いの説明がありますね。
我が家の千里の駒!
曹休は曹操が挙兵した時、はるか遠くの呉郡にいたのですが、伯父の元に駆けつけてきたのです。
曹休の何が展示してあるのかというと・・・
印です!
これ、実際に曹休が触ったんですよ!
感動にカメラを持つ手が震えてブレてしまいました。
印面。
曹休は大司馬という軍の最高司令官にまで出世したのですが、器量としてはそこまでではなかったような感じを受けます。
呉に対する戦いでは責任者的な立場になりましたが、敵の策略にはまって負けてしまい、その屈辱によって発病して死んでしまいました。
私は若いころの曹休が好きだ。
ついでに印をもう一つ。
なんか妙に新しいですが、レプリカじゃないですよね?
印面を読んでなんの印か分かりましたか?
関内侯の印ですよ!
小説の三国志でも関内侯って出てきますが、覚えていますでしょうか?
ここに書いてある夏侯淵の息子というのは長男の夏侯衡以下、6人の子らに関内侯の位が授けられていることを表しています。
夏侯淵自身はものすごい活躍をしますが、息子たち(結構兄弟が多い)はパッとしないですね。
それでも光栄のシミュレーション・ゲームをやっていると、夏侯淵の子らが続々と元服して配下に加わってくるのはとても嬉しかったことを覚えています。
子らの中では次男の夏侯覇は、専横の振舞が多い司馬懿から害されることを恐れ、かつ仲の悪い郭淮が自身の上司になるにおよんで恐怖のあまり蜀に亡命してしまいました。
実は張飛の妻の一人は夏侯覇の従妹で、その子はたきぎを取るために外出した際に、張飛に拉致されて妻となったのです。
そしてその妻が生んだ娘が劉禅の皇后となっており、夏侯覇は亡命直後からその縁で優遇されます。
なお、夏侯覇が蜀へ亡命した時、魏には子らが残されたのですが、亡き夏侯淵の功績によって死刑になるところを罰を減じられ楽浪郡へ流罪となりました。
楽浪郡は朝鮮半島にあった郡ですから、もしかしたら夏侯覇の子孫が日本に渡っていまでも子孫がいるかも?
ところで、見終わった後に他の人びとの感想を聞いた感じでは、やはり三国志の世界をある程度知らないと、展示されているものの凄さ、というか、貴重さがあまり理解できないようです。
そういう方々はあまり盛り上がっていなかったようですが、マニアの方にはとても好評でした。
というわけで、他にもたくさん面白遺物があったので、また時間があればご報告します。
まずはこれ。
一体何でしょうか。
これは武器なのです。
どうやって使うかというと、イラストで解説がありました。
そしてこの特殊な武器の使い手は何と!
曹丕だったのです!
お父さんの曹操はとっくに漢を滅ぼす力を持っていましたが、魏王の位にとどまりました。
やはり、自身が漢の朝臣であった時期が長いからでしょうか。
それとも実際は寡欲な人なのか、後世の評判を気にしたのかわかりませんが、息子の曹丕は違いました。
そんなのは関係なく、魏の初代皇帝となってしまいました。
曹丕は長男ではなく三男で、異母兄の曹昂は戦死しており(小説では逃げる父を庇うために敵を食い止めて戦死という描写があった気がします)、次兄も早世しているので跡継ぎになりました。
しかし、皇帝自らこういう武器の使い手っていうのはカッコいいですね。
曹操の族子では、なんと曹休の展示コーナーがありました!
すげー、曹休が脚光浴びたよ!
石亭の戦いの説明がありますね。
我が家の千里の駒!
曹休は曹操が挙兵した時、はるか遠くの呉郡にいたのですが、伯父の元に駆けつけてきたのです。
曹休の何が展示してあるのかというと・・・
印です!
これ、実際に曹休が触ったんですよ!
感動にカメラを持つ手が震えてブレてしまいました。
印面。
曹休は大司馬という軍の最高司令官にまで出世したのですが、器量としてはそこまでではなかったような感じを受けます。
呉に対する戦いでは責任者的な立場になりましたが、敵の策略にはまって負けてしまい、その屈辱によって発病して死んでしまいました。
私は若いころの曹休が好きだ。
ついでに印をもう一つ。
なんか妙に新しいですが、レプリカじゃないですよね?
印面を読んでなんの印か分かりましたか?
関内侯の印ですよ!
小説の三国志でも関内侯って出てきますが、覚えていますでしょうか?
ここに書いてある夏侯淵の息子というのは長男の夏侯衡以下、6人の子らに関内侯の位が授けられていることを表しています。
夏侯淵自身はものすごい活躍をしますが、息子たち(結構兄弟が多い)はパッとしないですね。
それでも光栄のシミュレーション・ゲームをやっていると、夏侯淵の子らが続々と元服して配下に加わってくるのはとても嬉しかったことを覚えています。
子らの中では次男の夏侯覇は、専横の振舞が多い司馬懿から害されることを恐れ、かつ仲の悪い郭淮が自身の上司になるにおよんで恐怖のあまり蜀に亡命してしまいました。
実は張飛の妻の一人は夏侯覇の従妹で、その子はたきぎを取るために外出した際に、張飛に拉致されて妻となったのです。
そしてその妻が生んだ娘が劉禅の皇后となっており、夏侯覇は亡命直後からその縁で優遇されます。
なお、夏侯覇が蜀へ亡命した時、魏には子らが残されたのですが、亡き夏侯淵の功績によって死刑になるところを罰を減じられ楽浪郡へ流罪となりました。
楽浪郡は朝鮮半島にあった郡ですから、もしかしたら夏侯覇の子孫が日本に渡っていまでも子孫がいるかも?
ところで、見終わった後に他の人びとの感想を聞いた感じでは、やはり三国志の世界をある程度知らないと、展示されているものの凄さ、というか、貴重さがあまり理解できないようです。
そういう方々はあまり盛り上がっていなかったようですが、マニアの方にはとても好評でした。
というわけで、他にもたくさん面白遺物があったので、また時間があればご報告します。