今回の動画は、【平安時代#4】「武士の出現 末法思想と浄土教」です。
釈迦の教えが通用しなくなる末法思想が伝わり、世の中が不安定になったころ疫病が蔓延し、さらに人々を恐怖に追い込みました。こうした時代背景の中で、当時まだ身分の低かった武士が活躍する時代へと進んでいきました。
仏教の本を調べてみると、現在でもなお「末法の世」であると言います。
この世の危機は千年、二千年と続くのでしょうか。
平安中期、折からの疫病「天然痘」に対する恐怖と相まって末法に対する人々の恐怖が増幅されました。
そこに現れたのが空也上人。踊りながら念仏説法を行い、人々に極楽往生を説いたのです。
京都市中で感染者に交じり、説法を行い続けたのです。食も施したと伝えられています。
国家鎮護のための威厳に満ちた仏教が、初めて人々の恐れに寄り添った、まさに革命的な出来事でした。
「厭離穢土 欣求浄土」家康公の旗印の言葉。まさにこの時代、源信によって説かれました。
家康公はそれを実現して見せたのですが、その平和も再び崩されていった歴史的事実を看過してはいけませんね。
今回の動画は、【平安時代#3】藤原氏の摂関政治、国風文化についてです。藤原氏が権力の頂点を極め、政治を行った時代。さらにその時代、遣唐使を廃止したことで国風文化発展しました。
外国人が日本を訪れると、必ず見学・体験したいものが「和風」の文化です。
建造物や衣服、食事に至るまで、私たちの暮らしに根付いている和風の文化。
これらの基本形が出来上がったのが平安時代でした。
今回は遣唐使廃止後の日本の姿について、少し勉強してみたいと思います。
私の地元である岡崎市の例を出しましたが、歴史的建造物の屋根一つを見ても、
和様と唐様の違いがあります。ちょっと気を付けてみるだけでも楽しいですよ。
今回の動画は【平安時代#2】最澄と空海、密教の伝来です。奈良の仏教勢力を嫌がった桓武天皇が平安京へ都を移し、その後国を守るための仏教として密教が伝来した。 その中心となった人物が最澄と空海です。
密教ってどんな教えなんでしょうか。よく耳にするけど、きちんと理解しておきたい仏教の姿の一つですね。
簡単に言えば、「師から弟子へ教え伝える仏教」と言えるのでしょうか。平安時代の初めに最澄や空海が唐から伝えた仏教の姿です。
四国八十八か所巡り、一度は体験してみたいですね。ただ、そのためには「真言密教」を少しだけでも勉強しておきましょう。
京都の東寺に行かれると、空海の教えがよくわかります。仏の素晴らしさに圧倒されます。是非!是非!
今回の動画は、平安時代の初回です。桓武天皇は奈良の仏教勢力を排除するために、都を京都「平安京」に移しました。ところが実はその前に、長岡京という場所に都を移していました。しかしこの都移転は失敗。それはなぜだったでしょか。
歴史を学ぶことの面白さは、知識を得ることばかりではないですよね。
平城京から平安京に遷都される間にあった「長岡京物語」。人々の思いに絡む愛憎劇、祟り伝承、そして「竹取物語」の誕生。これだけでも古代史のロマンが生まれそうです。
平安京遷都を決行した桓武天皇は、並々ならぬ決意で新時代を切り開こうとしたのでしょうね。
今回はそんなお話です。
今回の動画は「奈良時代 後編」 この時代、平城京には、東大寺をはじめ、様々な文化財が誕生し、また古事記や日本書記、万葉集、風土記など様々な文化が生まれました。
天平文化=仏教文化=東大寺、という構図はややもすると定型的な事実として捉えられやすいですね。
僕は、この時代を異なるイメージで考えさせてくれた、井上靖の「天平の甍」を思い出します。
日本に戒律を伝えた唐の高僧 鑑真。大変な思いをして渡来し、東大寺で僧たちに戒律を説きました。
でも、この素晴らしい事業は日本の名もない僧たちの努力によってなされたという事実を、この小説で知ったのです。
感動しました。特に20年もかけて写経をしたものを、船を救うために嵐の海中に投げ捨てる場面は決して忘れられません。
今一度読んでみたいと思いました。