今回の動画です。
世界は大航海時代。西欧列強国がアジアを中心に植民地支配に乗り出していた。 そんな中、ポルトガルの明国支配の兆候を知った豊臣秀吉は、ポルトガルに対抗するために明の侵攻を決意した。そのためには通り道となっていた朝鮮への出兵が必要になったのである。豊臣の重臣・加藤清正らが中心となり侵攻の乗り出しが、2度目の朝鮮出兵「慶長の役」の途中で秀吉が病死してしまい、撤退を余儀なくされた。 またこの頃、秀吉は甥の秀次の関白を譲り、跡を継がせるつもりだったが、秀吉に嫡男の秀頼が誕生したことで、秀次を切腹に追い詰める事件が起きてしまった。朝鮮出兵と関白秀次の切腹事件は、秀吉の死後に巻き起こった関ヶ原の戦いの引き金になったとも考えられている。