内藤大助の両親はすぐに離婚してしまったので、母子家庭で育った。とても貧乏で中学のときにつけられたあだ名は「ボンビー太田」。とても悔しかったという。
内藤は今までに3度苗字が変わっている。
生まれた時は横山、離婚したときは旧姓の太田、高校時代に再婚して内藤。これがいじめの原因になった。いじめが始まったのが中学2年のとき。リーダー格の奴に嫌われて、それまで仲が良かった友達にも避けられるようになった。
リーダー格が子分にじゃんけんさせて、負けた奴が内藤を叩くというゲームまであった。
高校卒業後にボクシングを始めたきっかけをこう語る。
上京後、ボクシングを始めたのも、いじめが理由。ボクシングで強くなれば田舎に帰った時にいじめられないって考えた。世界王者なんて頭の片隅にも浮かばなかったね。
実際、22歳でプロテストに合格した時、最初に思ったのは「これでいじめから脱出できる」ということだけ。 |