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『いじめられっ子のチャンピオンベルト』

世界フライ級チャンピオン

内藤大助

生年月日:1974年8月30日

出身地:北海道虻田郡豊浦町

中学時代に受けた、いじめのトラウマを克服するためにボクシングを始める。

その後、本格的にプロボクサーを目指し宮田ジムに入門。

96年10月にプロデビュー。

全日本フライ級新人王、日本フライ級王座、東洋太平洋フライ級王座を獲得したのち、07年7月に3度目のWBC世界フライ級タイトルマッチに挑戦。ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)を破り、悲願の世界チャンピオンの座を勝ち取った。同年の10月に行われた亀田大毅(協栄)戦では、12回判定勝ちにより初防衛に成功。

08年2月現在の戦績は、36戦32勝(20KO)2敗2分。この2敗は、前世界チャンピオン・ポンサクレックによるものであり、彼は唯一、内藤大助の戦績に“敗退”の文字を刻んだ人物である。



写真は、『いじめられっ子のチャンピオンベルト』 より。

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是非、29日のタイトル戦を観て、内藤選手を応援しましょう!!

 内藤大助の両親はすぐに離婚してしまったので、母子家庭で育った。とても貧乏で中学のときにつけられたあだ名は「ボンビー太田」。とても悔しかったという。

 内藤は今までに3度苗字が変わっている。

 生まれた時は横山、離婚したときは旧姓の太田、高校時代に再婚して内藤。これがいじめの原因になった。いじめが始まったのが中学2年のとき。リーダー格の奴に嫌われて、それまで仲が良かった友達にも避けられるようになった。

 リーダー格が子分にじゃんけんさせて、負けた奴が内藤を叩くというゲームまであった。


 高校卒業後にボクシングを始めたきっかけをこう語る。

 上京後、ボクシングを始めたのも、いじめが理由。ボクシングで強くなれば田舎に帰った時にいじめられないって考えた。世界王者なんて頭の片隅にも浮かばなかったね。

 実際、22歳でプロテストに合格した時、最初に思ったのは「これでいじめから脱出できる」ということだけ。



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 亀田との試合は、いじめで悩んでいる子供たちにぜひ見てほしい。胃潰瘍になるまでいじめられてた奴が世界王者として闘っている。試合を観ただけでいじめから解放されるわけじゃない。でも俺の今のファイトを見て、何かを感じてもらいたいんだ。

 
ボクシングを通じて本当に強くなったのは、弱かった俺の心。俺はもう二度といじめられない。そのことを試合を通じて証明したいし、だからこそいじめで悩む子供たちに亀田を倒す俺の姿を見てほしいんです。

仲居まさひろの金スマで出演していた内藤大助選手の凄まじい拷問に近いいじめ、それに家庭問題を抱えそれを乗り越え、じめから自分を守る手段にボクシングを選び、最終的には世界チャンピオン。

この努力は大変な偉業だ。当然いじめた奴らは闘わずして敗退した。だいたいが、集団でいじめをやる奴らは一人一人は大した事無い。くずなんだ。

私が昔から多くの子供たちに空手を教えていたのは自分自身が体を鍛えることによって、強い人間作りそれと共に弱いものをいじめる奴らを許してはいけないという信念を持ってもらう為に教えていた。

だから今回の番組を観て本当に内藤大助選手は、素晴らしい人格者として、褒めてやりたい。私も多くの皆さんに伝えたいことは、人間やれば何でも出来るんだ。そのことを証明したのは内藤選手だろう。

今日、会社で勤務時間中の短い休憩時間に少しだけテレビで内藤選手を久しぶりに観ました。

世界チャンピオンでありながら、おごり・嫌味のない、素晴らしい選手であることを、改めて感じました。

血を吐くほどの苦しみを味わった「いじめ」から、見事に自らの力でボクシングを通して克服し世界チャンピオンになったのですから、日本中の皆さんに支持されるのも、当たり前の事。私は高校時代、柔道でひじを脱臼したことがありますが、相手が技をかけてきたのを、力で防ごうとして、力負けして、しっかり受身が出来なかった。やはり、技をかけて来たら、素直にしっかり受ける事が出来ないと、いけませんね。

 

私も十代の頃、横田道場で空手を徹底的にしこまれ、おかげで負けん気は誰よりも持っている。

空手をやる前は、私もいじめにあっていたが、自分が力を段々と付いた頃は、いじめとは無縁になった。やはり男である以上、力を持っていないと、なめられたら終りだ。今でもちょっとぐらいの喧嘩だったら誰にも負けない。これからも連合会の副理事長で頑張っていく。特にいじめ問題は撲滅して行きたい。それが私の信条だ。 






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光市母子殺害 元少年の弁護団 読売TVと橋下氏提訴 11月27日15時36分配信 産経新聞 より

 山口県光市の母子殺害事件で殺人罪などに問われ、死刑判決を受けた元少年(28)=上告中=の弁護団だった弁護士19人が27日、テレビ番組内で名誉を傷つけられたとして、読売テレビ(大阪市中央区)と大阪府知事の橋下徹弁護士を相手取り、総額約1億2千万円の損害賠償を求める訴えを広島地裁に起こした。

 訴状などによると、平成19年5月に放送された
「たかじんのそこまで言って委員会」で、コメンテーターとして出演した橋下氏が弁護団への懲戒請求を呼びかける発言を繰り返し、読売テレビ側は内容をそのまま放送。弁護団が遺族感情を意図的に傷つけるような弁護活動を行っているかのように放送され、名誉を傷つけられたとしている。

 橋下氏は27日午前、大阪府庁で
「『僕の発言は全部、表現の自由だ』というつもりはないが、表現の自由は民主国家の根幹でもある。僕が逸脱しているのであれば、改めないといけない」と述べた。

山口県光市の母子殺害事件 での、死刑廃止論者の鬼畜弁護団


元少年が裁判で答えた内容

「(弥生さんに)甘えたいと思って抱き付いた。危害を加えるつもりはなかった」

「赤ちゃんを抱くお母さんに甘えたいという衝動に駆られた。後から抱きついたが、性的なものは期待していなかった」


夕夏ちゃんについては、泣きやまないので首にひもをまいて、蝶々結びにしたら死んでしまった」

「事件当初は赤ちゃんの首にひもを巻いたこと、蝶々結びにしたことすら分からない状態だった。取り調べの際、ひもを提示されて、蝶々結びにしたことなどを知らされた」

「夕夏ちゃんを押し入れの天袋に入れた」


「押し入れはドラえもんの何でも願いをかなえてくれる四次元ポケットで、ドラえもんが何とかしてくれると思った」

「生き返ってほしいという思いだった。(以前に読んだ本を通じて)精子を女性の中に入れて復活の儀式ができるという考えがあった」

山口県光市母子殺害屍姦事件 奇妙な弁護士たち
殺人犯、福田孝行に対して、21人もの弁護団が結成されました。
これには当の福田自身が驚いたそうです。
福田にこんな弁護団を雇う金銭などあるはずがなく、
ほとんどすべて彼ら弁護士個々人が手弁当で自発的に立ち上がったもの。
どうしてこんな凶悪犯罪者の弁護に立ったのか?
この21人の者たちは日頃から、死刑廃止を主張している者たち。
その思想に基づき、死刑判決を下されそうな犯人の弁護に出向く。
いくら死刑に反対だからといって、ここまでふざけた弁論をなし、
被害者遺族を苦しめ続けるとは、
この者たちの良心はどうなっているのか?
今回は、総額約1億2千万円の損害賠償を求める訴えを広島地裁に起こした。

 ふざけた弁護士たち一覧
安田好弘 第二東京 港合同法律事務所
足立修一 広島 足立修一法律事務所
村上満宏 愛知県 名古屋法律事務所
新谷桂 第二東京 リベルテ法律事務所
今枝仁 広島 まこと法律事務所
新川登茂宣 広島 新川法律事務所
山崎吉男 福岡県 大濠総合法律事務所天神オフィス
大河内秀明 横浜 横浜シルク法律事務所
小林修 愛知県 小林修法律事務所
河井匡秀 東京 河井匡秀法律事務所
本田兆司 広島 桂・本田法律事務所
松井武 第二東京 港合同法律事務所
山田延廣 広島
井上明彦 広島 広島法律事務所
北潟谷仁 札幌 北潟谷法律事務所
湯山孝弘 第一東京 湯山法律事務所
舟木友比古 仙台 舟木法律事務所
岩井信 第二東京 優理総合法律事務所
中道武美 大阪 中道法律事務所
岡田基志 福岡県 岡田基志法律事務所
田上剛 広島 たのうえ法律事務所

また出てきた性懲りもない、山口光市母子殺害事件のオカルト弁護団。あれだけ国民から非難を受けたのにも関わらず、また橋下知事に対して1億2千万円の損害賠償請求を求めるなんて本当に懲りない奴らだ。コイツラの為にどれだけの多くの弁護士までもが泥を被ったか。どうも死刑廃止を主張する弁護士どもは何をやらかすか分からない。中でも安田弁護士は多くの被害者遺族の敵だ。
たぶん、前回の光市母子殺害事件のオカルト的弁護の影響で食えなくなったからそのつけを橋下知事から金を巻き上げようとする汚い奴らだ。それに橋下知事が多くの国民から人気があるから多分、ねたみやっかみの世界で頭に血が通わなくなったのではないだろうか。何しろ国民の9割近くが死刑賛成派だということを忘れてはいけない。もういい加減国民感情を逆なでする死刑廃止など、いちいち叫びまわるな。さっさと司法を去れ、これ以上多くの被害者遺族を泣かすな。