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このたび、ASEANセンターの山口先生に、高木範夫氏主催の『赤坂悠々サロン』を紹介して頂き、集まりに参加。その中で五十嵐由人氏との出会い。私と同じ歳で話が弾み意気投合。
人間としても素晴らしい人格者で、話をしているうちに国民的歌手三波春夫先生の話になり、そのうちに五十嵐さんの歌の番になり、歌い始めたとたんに廻りの賑やかな話し声も一瞬止まってしまった。
私も余りにも歌が上手いのでこの人は只者じゃないと驚くくらい上手いというか絶対にプロ歌手だと想い、五十嵐さんに話したところ、実は、三波春夫先生の愛弟子の1人で大変可愛がってもらったという話を聞きながら、改めて三波春夫先生の生き様を聞いているうちに、余りにもすごい話に感動し、早速五十嵐さんに知ってる限りの先生の素晴らしい生き方を書いてもらい、是非私のブログに載せ多くの人々に読んでもらい、三波春夫先生の今まで私達が知らなかった秘話、是非皆さんに知ってもらい、おそらく感動されると思います。特に国の舵取りをしている政治家の皆さんには、読んで貰いたい
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画像は五十嵐さんの晴れ舞台の写真
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「偉大なる哲人」三波春夫先生
三波春夫先生と言えば「お客様は神様です」と言うフレーズで大ヒット曲「チャンチキおけさ」「船方さんよ」に始まって、東京オリンピックの歌(東京五輪音頭)「世界の国からこんにちわ」そして永遠の名曲「俵星玄蕃」を代表とする長編歌謡浪曲、など、国民的歌手の代表として、常に満面の笑顔でお客様を魅了、感動、心酔の渦に巻き込み、生涯歌一筋の天才演歌歌手、誰にも愛された偉大なる歌手でありました。
大ファンであった私は、往年の時期に深い出会いをさせて頂き、自称一番弟子と決めて、歌のご指導をして頂きました。当時事業家であった私は、寝る間もない多忙な毎日でありましたが、三波春夫先生とは手紙と電話による深い交信をさせて頂いておりました。 |
三波春夫の銅像 長岡市塚野山(つかのやま)
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また、晩年にはゴルフもさせて頂いておりました。会社の記念式典ではご講演と歌もご披露戴戴いておりました。コンサートではご一緒に舞台に上げて頂いたこともあります。又盆踊りでご一緒に歌わせて頂く光栄もございました。そのような中で三波春夫先生の素顔と人格をそばで拝見させて頂き世間で知られている三波春夫と言う歌手とは全く違った偉大さを私は見ていました。
それは、20歳で陸軍入隊、22歳から26歳までの多情多感な青年時代を、ソ連のシベリア捕虜として過酷な抑留生活を送る「絶対に生きて日本へ帰る」と決意して耐える過酷な労働の悲惨な中に歌を持って同胞を慰め勇気付けた人生経験は、哲学者として深い思想家として内面が確立しておられるので、人生に無駄な時間はないと、懸命に己の「道」を極める事に真をささげて向かっておられた。酒も飲まずタバコも吸わず浮いた遊びも振り向かず・・と言う姿は聖人君子にも勝る高潔な人格をつくり上げて行かれた・・後年は長編歌謡浪曲の作詞作曲に精魂込めた情熱をささげられ、遺作となりました圧巻2時間の長編大作「新平家物語」を歌い上げられました
この姿は歴史家でもありました。この様に自分の歩む道を極め行く根幹には厳然とした哲学を持ち、それでいて孤高の人とならず、常に大衆の中に迎合する事無く、親しみを持って愛された偉大な人物でありました。 |
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コレクションにしたい三波春夫先生のベストアルバムの2枚
(ほかにもありますが、ここは独断で紹介します) |
私に戴いた最高の言葉は「詩は歌え・・歌は語れ」でありました。また、よくお聞きした言葉は「歌う時そこに私は神を観る」でした。私は、三波春夫の「我に降臨あれ」と祈りながら、三波春夫先生の自称愛弟子と自負して、三波春夫を真似ながらいつかオリジナルが生まれれば良いし、まねで終わっても歌の心は失わないで歌いたいと念願しています。晩年に戴いた私のオリジナル曲「商人道」「自叙伝」は三波春夫先生の作詞作曲であり、永遠の宝であり歌う時神に向かう思いで天国の三波春夫先生に感謝と永遠の尊敬を込めて大切に歌います。今年も12月14日の赤穂浪士の討ち入りの日には友人達に集まっていただき、三波春夫先生を仰ぎ、先生の墓前に参拝し、泉岳寺を参拝して忠臣蔵の顛末を歌わせて頂きます。
永遠の師、永遠の偉人三波春夫先生に捧げます。 |