5人と1匹~お気楽家族~プラスα

らぶらどーる寝とり~ば~のれおんとその他大勢のにんげんのくらし。

9月17日

2006年09月20日 | うつ
この日は チビSの14歳の誕生日であり
そして、県新人大会の日でもありました。

前日の土曜日からは 妹一家も泊りがけで遊びに来ていました。


しばらく このブログではあまり自分の うつ の状態について書くことはありませんでしたが
17日は最悪な状態になってしまっていました。

その大きな原因はチビSとの関係にありました。
1週間前にちょっとしたことから 私とチビSは断絶状態になって 
なんの打開のすべもないまま この朝を迎えました。

11日の朝のことでした。
7時をすぎても起きてこないので、彼の隣に横になってくすぐって起こしてやろう・・・なんて考えていたところを
彼に蹴り落とされて ベッドと机の僅かの隙間に挟まったまま動けなくなってしまいました。
ちょっとでも動くと 肩と肋骨に激しい痛みがあって 「助けて」と声さえ出せずにいましたが、
チビSは 私がふざけてるとでも思ったのか そのまま 私をほったらかして1階へ降りて行ってしまいました。

1階に私の姿がないのを おかしいと思って捜しにきたダーリンに救出されましたが、
どうしてこんな事になったんだ と問われてチビSは「知らない・・・」と答えました。
そして事情を知った父親に「謝れ!!」と怒られても 
自分は悪くないのになんで謝らなきゃならないんだ という態度でした。
小さい声で いやいやながらに「ごめんなさい・・」

今、彼が反抗期にあるのは重々理解はしているつもりでしたが、
この事件は 私には相当なダメージになってしまいました。

怒りの感情は悲しみ、失望感にすりかわり 2日で3㌔も体重がおちました。
 落とそうと思ってるときは1㌔落とすのも苦労するのに。

13日 あまりに気分の落ち込みがひどく わらにもすがる想いでクリニックに行きました。
事の経緯を話すと 先生は
「そんなんじゃあ、絶対治りませんよ、薬でごまかすことはできても、良くはなりませんから」
と『認知療法』という冊子を出してきて
最後までがんばって読んで下さいね、とおっしゃいました。

飲めば ぱーーーーっと気分が明るくなる薬でも出してもらえたら・・・・と
思い詰めて行ったわりには 拍子抜けするような 対応でした。

この日はダーリンが初めて一緒に診察室に入ってくれたのですが、
ふたりして (薬に頼ってては 駄目ってことか?)という印象を持ってしまいました。


スイミングの送迎も 兄たちが代わってしたり 私の母もいるので
チビSにとって 私はいてもいなくても なんら困ることはなく1週間は過ぎました。

この間の私は 現実逃避からか ほとんどベッドの中で過ごしていました。
『認知療法』を読んでは眠る・・・という感じで
1日のうち 起きていられるのは3時間くらいでした。

なんとか『認知療法』を読み終えて わかったのは
自分は 勝手な不適切な思考を持った人間だ、と言うことでした。

冊子の中には
『ストレスを生み出す11の「不適切な基本的考え方」』ということが書いてありました。
1、人間道具論
2、あるべき姿中毒
3、完全主義
4、過度の自己犠牲
5、過去の奴隷
6、あやつり人形型思考
7、過度の一般化
8、白昼夢思考
9、選別めがね
10、八方美人中毒
11、真理めいた願望
これらの項目の1つ1つの詳しい説明があり
程度の差こそあれ 8項目くらいは当てはまる、いや思い当たる内容でした。

もちろん、これらは うつ でなくとも 誰にでもあり得る『考え方』だと思います。
ただ わざわざこうして冊子にまとめて患者に渡すという事は
不適切な考え方をもっていても元気にがんがん暮らせる人間と、
私のように自分自身気づかないうちにストレスにがんじがらめに
なってしまってる人間がいるってことを自覚しなさい、という事なのでしょう。


長くなってしまいましたが
17日の朝、14歳の誕生日に最悪の気分を味わう羽目になったこと
自分の存在そのものを消し去ってしまいたい衝動
楽しみにしていた県新人大会の応援すらできない自分

色々な感情をどうすることもできずに
ただベッドのなかでのたうち 苦悶の時間を過ごしていました。

結局、身勝手な母親の愛情を拒絶されたことを認めたくない
醜い自分を思い知った・・・だけのことでした。

それでも
夜になって パパが何もないのは可愛そうだとケーキを買ってきて
これまでにない質素で静かなBirthdayを祝いました。

晩御飯のあと お風呂からあがってきたチビSが
ふっ・・と私の後ろに立って ぽかぽかの手で肩を揉みはじめました。

あの事件の日から はじめての接触でした。

もう「ごめんなさい」の言葉なんて 必要ではありませんでした。
たったそれだけで 全てのわだかまりは すーーーっと消えて
私のなかの 固い悲しみの塊が 淡雪のように 解けて
お互いの存在の暖かさを 実感しました。
大袈裟に言えば 命の暖かさを実感しました。

この長い1週間、私は 自分の不適切な基本的な考え方の癖と向かい合って
当たり前過ぎて 気づかなかった自分自身と格闘していました。

『認知療法』の入り口には立った・・・けど
なにしろ40数年慣れ親しんできた思考ですから
改めるという作業は そう簡単ではなさそうです。

自分史・・というものがあったならば
2006年9月17日は 太字で 書かれる チビS14歳の誕生日。




病院三昧

2006年07月03日 | うつ

・・・・えっと

実は、私 6月14日に内科から心療内科を紹介されて その足でクリニックを受診して、『うつ』と診断されました。内科クリニックのドクターもいい先生だったのですが、症状の認識の溝を埋めることはできなくて、涙ぐんでしまっている私に紹介状を書いて下さいました。

心療内科クリニックを訪れた頃は もう本当に切羽詰まった状態だったと思います。

20~30分の問診と診断テスト。数枚の紙に、質問に該当する番号に丸をつけるというもの。質問を読みながら泣いている自分。絶対、わたし おかしいよ、誰か助けて。

そんな気持ちでした。

あなたは『うつ』です、そう診断された時 本当にやっと 解ってもらえたような気がして少し救われた感じでした。

今の状態のまま仕事に行くのは無理でしょうと 、2ヶ月の自宅療養加療が必要との診断書が出されて 翌日から 2ヶ月間休業することになりました。

薬は安定剤と抗うつ薬。でも1番の薬は休養すること、だそうです。神経を休めること。薬はきちんと飲みますが この『神経を休める』というのが かなり難しいことなんだと、この頃痛感しています。ほんの些細な言葉やしぐさだけで 激しく気分が落ち込んだり、泣き出したり、顔の表情筋が固まったりします。

ここまで、こんな不安定な私につきあってサポートしてくれてたダーリンと、土日はなにか気持ちの歯車が噛み合わなくて 違和感、不安感、疎外感だらけで

とうとう月曜の朝だというのに 私の気持ちは爆発してしまいました。

そんな私を置いて出勤出来るわけもなく 突発年休にしたダーリン。

「オレだって どうしたらいいのか わかんないよ・・・」

それは彼の本音でしょう。でも 私だって どうして そうなるかわかんないよ

せっかく年休にしたんだからと、 ダーリンは数日前から痛かったわき腹の神経痛を皮膚科に、緑内障で通ってる眼科と合わせて病院に行くことにしました。

私も まだ3日ほどあとの通院予定を繰り上げて 一緒に車ででかけることにしました。こんな調子じゃ不安です。家族も困るし、私自身、精神的に不安定だと 身体もだるくて疲れてしまうのです。

皮膚科では もしかしたら 帯状疱疹かも・・・とは言われたものの、まだ発疹がでてきてないので 神経の痛みをとる薬だけ出されてきました。(2日後、発疹が出て帯状疱疹と診断されましたが・・・)

ダーリンの行った総合病院から歩いて10分くらいのところに わたしの通っている心療内科クリニックがあります。

前回の受診日からの経過を話して、今の状態、困っていること等 説明すると『患者さんを支えるご家族の方へ』という冊子をだして 赤ペンで印をつけて追加メモまで書いて 「だんなさんや家族の人にこれを見てもらって下さい」と渡され、抗うつ薬の量を増やしてみる事になりました。

だいぶ 落ち着いてきたので帰りに待ち合わせて ホテルのカフェレストランでランチをして 帰りました。

 

夕方からはゆっくりできるはずだったのですが・・・。

このあとまた病院に行く羽目になりました。

夕方の散歩から帰って玄関にお入りになられた れおんさん。

ご飯も済んでお寛ぎになってるはずが なんか異常な音がします。

覗いてみると、異様な猛スピードで前足を舐めてます。必死で舐めまくっています。尋常じゃない舐めっぷりに、その鼻先をどけて前足を裏返して肉球の間をこじ開けてみると  なんと 真っ赤っか!!

消毒してふいても 血や膿はでないものの れおんは 必死に舐めようとします。

このまま放っておくわけにもいかないので 病院に連れて行くことになりました。

夜8時まで受付してるので助かりますが、夜こそ 混むんです、この病院。

行って受付してから40分くらい待ちました。それでも、次から次から犬やらネコやら患者がやってきます。

ようやくれおんが呼ばれて診察です。相変わらず診察台の上では微動だにせず固まっていました。どうやら傷があって細菌感染したらしいとの事で お注射1本、ちっくんお薬塗って15分は患部を舐めないように!と。

飲み薬2種類と塗り薬、〆て6800円な~~り。

 

すっかり遅くなってしまったので そのままチビSのスイミングにお迎えに行くことにして 途中のスーパーで 半額になったお惣菜を買って 質素な晩御飯。

 

朝から夜まで 病院漬けの1日になってしまいました。

 

 

 

 


衣替え

2006年06月01日 | うつ

 

今日から6月。

衣替えに合わせたように 朝から快晴で気温も上昇しそうな気配。

今朝、4時半に目覚めてしまいました。もうお日様は元気にてらてらと輝いて。

昨日、仕事(たったの4時間パートなのに)には行ったものの

かなり疲労困憊のふらふら・・・・なんとか仕事終わった!!!って感じでした。

帰宅後、ご飯にもずくスープをかけて かっこみ、

薬を飲んで ベッドに潜り込むと な・なんと6時まで眠り続けていました。

ぼーっとしながら起きて晩御飯の支度。

チビSのプールの送迎も、れおんの夕方のお散歩もお兄ちゃん達が代わってくれて(パパの指示なんですけど)

身体的な負担の軽減に協力してくれています。有り難いことです。

翌日の仕事に不安を感じ、職場の人に電話すると、

相当、疲れてるようにみえた・・・と、明日は休んだら?と進言頂き

お言葉に甘えて 今日はお休みさせて頂きました。

5月の下旬から 心身ともに不調が続いています。

身体的には 腰痛が かなりきつく もうぎっくり腰直前状態。

毎日せっせと行きつけの接骨院に通い 治療してもらってるのに 改善されてる実感がありません。治療台の上でのたうち 押し殺しても洩れる あえぎ声のような悲鳴。

もう、なにをしても この痛みは取れないのでしょうか?

先生の勧めで 新たに腰痛ベルトを購入しましたが、 先生!やっぱりこれもずり上がってきちゃうんです(泣

 

そして やっかいなのが精神的な問題です。

友人の勧めでクリニックを受診して とりあえず 精神安定剤を処方して頂いて、今1日3回服用しています。

年齢的なものもあるのかも知れません。

環境の変化もありました。

去年の8月から始めた今の仕事。職場内の人間関係、スキルアップの問題

覚悟の上ではあったものの、やはり土日も仕事なので家族特にダーリンとのすれ違い。

そして、実母との同居。

20数年 別々に生活してきたら もう親子といえども 他人と一緒です。

彼女の性格は十二分に理解していたのですが・・・・・プレッシャーが日に日に積もっていきました。彼女のキャラクターはスペシャルです。

これが自分の母親だというのが信じられないくらいです。

自分とこの母親のペアリングはあってはならない組み合わせなのです。

確かに私は内向的な資質の持ち主です。

問題にぶち当たると 内へ内へとめりこんで行きますよ。

呑み終わったビールの空き缶握り潰すより簡単につぶれます。

そんな自分は大嫌いだけど なんとか折り合いつけて今まで虚勢張って生きてきたんです。

なのに・・・・・

唯一の味方とおもっていたダーリンと喧嘩。2日に渡っての冷戦は弱ってた私にとっては十分すぎる攻撃でした。

今回、もろもろの事情が絶妙に絡まりあって  私はプレッシャーに耐え切れずに一線を踏み越えてしまいました。もう おかしかったから越えたのか、越えたからおかしくなったのか まったくわかりません。

あの時は もうそうする事でしか自分を救えなかった。

それによって こどもが受けるショックとか迷惑とか自分のからだのダメージだとかなにも 考える事はできませんでした。

それでも 1日2日もすれば 少しづつ元気が回復しくるものと思っていたのですが

時間が経つに連れて 精神的な不安定さは度を増すばかりで、気分は暗く深いクレバスの底に落ち込んでしまったよう。

感情の針がゼロからマイナスに振り切れるばかり。

さすがに  オカシイと感じました。

大きな声や言い合う声には敏感に反応して、眉間からこめかみにかけて固まります。不快感、不安感、苛々が一気に噴出してきて 涙がでます。

これも自分ではどうにもコントロール効きません。

辛い、苦しい感情ばかりがあふれてきてしまうのです。

職場での問題があることも炙り出されてきました。

それまで『当たり前』として押し殺し我慢してきたこと達が一斉に

吾も吾もと主張し始めたのです。

 

症状としては 

自律神経失調症 とか 鬱の初期とか 更年期といえば言えるとか。

とにかく 疲れました。

あらゆる事につかれました。

ゆっくり休みなさいとの神の思し召しなのでしょうか。

自分の身体が自分のものじゃない感じ。

でも 労わってあげないとな・・・・と そう思えるようになりました。

この先も通院あるし、様子みながら産婦人科の受診も考えています。

微妙なお年頃なのです。