3・11から
あの日から 3ヶ月半が過ぎました。
もう3ヵ月半・・・・・
まだ3ヵ月半・・・・・・
その両方の感覚があります。
あの日は 雪が舞い散る寒い日でした。
今日は 梅雨だというのに30度を越える暑さになるとのこと。
すでに この部屋の気温も28度。
いまだに 避難所におられる方々の健康状態が(衛生面も含め)心配な季節。
わたしなりに ひとつの区切りに 身近なところの写真をまとめておくことにしました。
自宅から車で20分も行けば、津波の被害がひどい地域に行けますが
私自身は 「見に行く」ということができていません。
1度 石巻・矢本をR45号で走ったきりです。
国道の左右に広がる津波被害に 足が震えました。
いま、仮に 大きな余震がきて 津波が来たら 絶対に逃げられないと思いました。
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職場の事務所は全壊。
3・11で 立ち入り禁止になりましたが
4・7の余震で さらに 酷い状態になりました。
今は 隣にあった 会館の建物を仮事務所として
ぎゅうぎゅう詰めで 使って 仕事しています。
3/11のあと。
ここから 人数制限しながら みんなヘルメット被り
必要な分だけ 机やイス 事務用品を運び出し
大切な書類を 回収に。
4/7の余震でさらに すごい状態に。
もともと地震にはかなり脆弱そうな建物で
絶対!!!!にここでだけは地震に遭いたくないと思っていたのに。。。
揺れが収まって机のしたから這い出すと
壁も扉もなにも無くなって 外への階段が直接見えました。
まだ新しい店舗の周りもこのありさま。
そんな中 いち早く 全国各地から ぞくぞくと各生協の皆さんが
救援物資を運んできてくださり たくさんのご支援を頂きました。
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妹は この建物の屋上に避難して なんとか 助かりました。
防寒着もないまま あの寒空のした 一晩 過ごしたのです。
私には 想像もつかない恐怖を味わったのです。
ほんとに 無事でいてくれて ありがとう。
ここが 妹家族の自宅跡。
その日の朝まで 普通に暮らしていた 家も町も なにもかも どこかに消し去られてしまいました。
沿岸部の 多くの方々の日常が戻るまでには いったい どれだけの時間を要するのか・・・。
地震の被害も、いまここにきて 家屋の取り壊しが増えてきて
通勤のみちすがら ここも? そこも? あっちも?取り壊しなの?という状況です。
マンションの修繕もあちこちで見受けます。
仙台駅前でも 立ち入り禁止のビルや 閉店してしまった店舗も結構あり
大型店舗でもまだ 全面開業できていないところもあります。
道路も 補修しても いたるところで 陥没や段差ができ
それは今も 現在進行形です。
毎日 通る 道路は 亀裂が広がってきていたり
日々 段差が 酷くなってきていたりで 注意が必要です。
3・11の前に戻るということは ないのかな・・・。
あの日を境に あらゆる もの 価値観 考え方 が変わりました。
原発問題を含めて これからも いろんなことが 変化していくのでしょう。
何年かしたら このブログを読み返して 気づくこともあるのかも知れません。
たくさんの人の役に立つことは 出来ないかもしれないけど
自分の立ち位置を確認しながら 日々送っていかなくちゃと思っています。