RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
今日も、一日お疲れさま。

連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.12.13.14

2008-12-16 21:46:00 | 連載小説

     §

  その週の木曜日、物性論の後、デンマーク体操に行った。奈歩は友達と映画の約束があるということで休んだ。きっと男とだ。奈歩が、奈歩の恋愛の自由さが、少し羨ましい気もした。

 デンマーク体操を躍っている時は、頭の中が白紙状態になって、心がときほぐされるようなリラックス感がある。今日は佐々木コーチだった。佐々木コーチが、整理体操で使うヒーリングミュージックがすごく好きだ。この曲はラジオでも一度偶然聴いたことがあっていい曲だなぁ、と思っていた。佐々木コーチは整理体操の時に、一人一人を回って、肩を揉みほぐし足をブラブラ揺すってくれる。これが何と言っても好きだ。きっとみんなも、心待ちにしているに違いない。

 練習の後は、ずっと先延ばしになっていた、目白祭の反省会を兼ねた飲み会が、池袋の『カプリチョーザ』であった。佐々木コーチがタクシーにしましょう、と言ってくれて、不忍通りで三台やっとつかまえて、カプリチョーザの場所を知っている私が先頭の助手席に乗り向かった。久しぶりのアフターだ。

 着くと、中村コーチは既に着いていて、席で待っていてくれた。
 デンマーク体操部の飲みはいたって健全、コーチが保護者のようで安心感のある飲み会だ。アルコールの入らないお食事会も多い。女ばかりなので妙な色気も出す必要がないので、とてもゆったりのんびり気楽に楽しめる。女ばかり十余人の団体に、なんとなく店員さんの応対も丁寧で気持がいい。世の中、女は得にできている。

「それでは、目白祭お疲れ様でしたー」
 曲がりなりにも部長の私が、乾杯の発声をする。ビールの人が一人もいない。皆カシスオレンジとか、ファジーネーブルとか、甘いカクテル系で、中にはソフトドリンクの人もいる。

 乾杯の後しばらくして、後輩の女の子が、

「私、理美先輩の動きが憧れなんです。すごく伸びやかで柔らかくて、顔の付け方とかも上手いですよねー」

「そう?ありがとう」  後輩にそんな風に見られていたかと思うと単純に嬉しくて、残りのカクテルをグイッと飲み干した。

 奈歩は、会が始まって30分くらいして顔を出した。デートを早めに切り上げたらしい。
「奈歩の好きなトマトとニンニクのスパゲッティまだ残ってるよ」  奈歩によそってあげた。

「永井さん、このところ顔見ないけど、どうしたのかしら?」  と中村コーチに聞かれ、私は一瞬止まったが、中村コーチは一年からの付き合いで、気心も知れているお母さん的存在なので、ありのままを話した。

「そうだったの…。可哀想に。何にもしてあげられなかったわ」  と、とても悪がっていた。

 何ごとも未然に防げたらそれは願ってもないことだ。でも起こってしまったことについて、誰を攻めることもできないし、恋愛って特にそういう要素が強いんじゃないかと思う。

「近くにいたはずの奈歩や私でも手助けできなかったんです。でも、もしかしたら緑にとって、目白祭の練習は、唯一気が紛れた時間だったのではないでしょうか?彼と別れたのが八月の中頃だったと思うので。とにかく、今度12月に奈歩と島根に様子を見に行って来ようと思っています」

 店を出たのは九時半過ぎだった。みんな気分良く酔ってすっかり和んで、手を繋いだりして駅まで歩く。奈歩や中村コーチたちとは池袋で別れる。新宿方面の3~4人で一緒に山手線に乗り、新宿で皆と別れた。

  東中野からの帰り道、酔った勢いで高村くんに電話してみたくなったけれども、話すことも見つからなくてやめた。     

  
    
    §  


 11月最後の週末は、松崎に予定があって、久しぶりに土・日が空いていた。  私は土曜日の11時頃、高村くんにメールしてみた。

「11月もあっという間に終わりですね。ところで今日、もし良かったら午後近所でお茶でもどうですか?」
 2、3分してすぐ返事が来る。
「大丈夫、空いてます。では二時半にアパートの下に迎えに行きます」  高村くんとデートだ。これはもう完全に二股だ。でも…奈歩と比べたら大したことではないだろう。高村くんとは手も繋いでないし、キスもしてないんだし。
 私は、随分迷った末に、グレーで前にワインレッドとピンクとシルバーのダイヤ型の模様の入ったセーターに、黒と白の細かいチェックの、脇に黒いベルベット素材のリボンの付いているミニスカート、そして黒のロングブーツにした。コートは言わずと知れた赤いPコートだ。お化粧は、格好に合わせて暗めのアイシャドウにマスカラはあまり濃くない程度に吟味して付け、口紅はいつもよりも濃い色のにした。われながら季節にふさわしい満足のいくオシャレができた。

 2時28分、メールが来る。

 「着きました」

 お気に入りのヴィトンのショルダーバッグに化粧ポーチとお財布と携帯とハンカチを入れ、さっと黒のロングブーツを履き、鍵をかけ、下へ降りる。

 高村くんも、今日はオシャレをしていた。紺のPコートを羽織り、ボタンは閉めずに、中には白いシャツに私と偶然同じダイヤ型のカラフルな模様のベスト、そして黒い細みのズボンを履いている。

「今日は、ファミレスじゃなく、連れて行きたいところがあるんです」  高村くんはそう言うと、ゆっくりと歩き出した。もしも、私が手を差し出せば繋いでくれそうな、そんな雰囲気だった。でも、この距離感が心地よくて、手を繋がずに二人並んで歩いた。

 街路樹は葉っぱをすっかり落とし、風も冷たく、道行く人たちも皆、冬物のコートを着込み、マフラーをしっかりしている。手袋をしている人もいる。今年の流行は毛布を捲いたような袖無しニットで、ポンチョとか言うらしい。

 五分ほど歩いただろうか、スーパートヨクニの手前で、高村くんは細い道に入った。立て掛け式のオシャレな焦茶色の看板に『Cafe 傅ーDENー』と書いてある。その奥に、ひっそりとした喫茶店があった。近所にこんなオシャレな店があったとは知らなかった。高村くんは美雪さんと、いつもこういう素敵な所でデートしてるんだなぁ、と想像した。

 聞くと、この店は高村くんの秘密の場所で、高村くんはよくここで、本を読んで時間を過ごすのだそうだ。

 中に入ると、店内のカウンターにオーナーらしき、グレーヘアーに整えられた口ひげのダンディなおじさんがいて、コーヒーカップを真っ白い布巾で磨いていた。

 「お好きな席へどうぞ」
 愛想よくも無愛想でもなくオーナーはそう言って目配せをする。

 店内には、私たち以外誰もいなかった。そもそもこの店はオーナーの趣味で始めたらしく、特に儲けようとしてはいないのだと高村くんは言った。

 私たちは、一番奥の端の席へ座った。
 大きなガラス張りの窓の外には、綺麗な深い緑色のツタの葉が茂っていて、その奥には形のいいもみじの木がすっかり葉っぱを落とし立っていて、私たちを興味深そうに見ている。

 店内には、バッハの平均律が流れている。
 照明も蛍光灯ではなく白熱灯で落ち着いた雰囲気だ。
 メニュー表もおしゃれで、和紙に筆文字で書かれてある。高村くんは、

「いつものブレンドお願いします」  丁寧な頼み方にすごく好感がある。どうやら店員さんにも顔を覚えられている様子。
 私はケーキセットを頼んだ。飲み物はこの店自慢の炭焼ブレンドコーヒーにしてみた。

 二人はしばらくの間窓の外を眺め、心からリラックスしていた。もう最近では初めて出会った頃の、息の詰まるような、むせるような緊張感は取れていた。  

 この喫茶店は、天井が高いからか、美術館のように声が響く。彼のボイスがとても心地よい。
 そして、今日も、実にさまざまなことを話した。おじいちゃんは被爆者で車椅子生活をしていること、記者クラブの活動のこと、好きな本や食べ物のこと、音楽のこと…。

「世界中の核兵器がなくなることを、おじいちゃんは願っています。ヒロシマ・ナガサキの惨事が再び繰り返されることのないように、と。ほんとに優しい心を持った人だから、オレもおじいちゃんの想いを受け継いでいきたいって思っていて、今、おじいちゃんの書いた手記を英訳してるんです。この間はNPOの集会に参加してきたんですが、けっこう学生も多くて、今後様々な事業を展開していこう、という活気に満ちあふれた集会でした。その後の懇親会にも出席したんですが、尊敬するフォトジャーナリストも来ていて、少しだけ話をすることができて、それはもう感激でした」   
 
 彼の話し方、声のトーンや抑揚はとても上品で、その声を聞いているだけですごく満たされた気分になった。そして、その端正な顔を見ているだけで…。

 高村くんは、人に分かりやすく話すことに関して天才的だった。

 時間はあっと言う間に過ぎ、日も傾きかけてきた。

 気が付くと、初雪が降っていた。

「あっ、雪」  高村くんがちょっと興奮気味で言う。

 私は窓の外を見た。ふわふわのとても柔らかそうな、綿を小さく千切ったような雪が風に舞い散っている。高村くんは雪が珍しいらしく、

「夏木さんはウインタースポーツ何かされるんですか?」  と聞いてきたので、

「ええ、三才ぐらいからよくスキーに連れて行ってもらってたよ。だから上手かどうかはともかくも、恐怖感っていうのはないの。私、スキー場で見る樹氷がとても好き。それからリフトで流れている音楽も」

 地元のスキー場を懐かしく思い出す。

 それからは雪にまつわる話になった。

「美雪は12月24日、なんとクリスマス・イヴ生まれなんです。広島でクリスマスに雪が降るのは珍しいんですが、美雪が生まれた日は、真っ白な雪が降って。それで、美雪っていう名前が付いたんです」

 高村くんが美雪さんの話をすることに、不思議と嫉妬は感じなかった。むしろ、高村くんが発音する「ミユキ」という響きが、とても綺麗で、憧れのようなものさえ抱くようになっていた。

 すっかり暗くなったと思い、時計を見ると、あっと言う間に五時半になっていて、そろそろ出ようということになった。こんなに素敵な場所に連れてきてくれたお礼に、お代は一緒に払った。

「ありがとうございます」  丁寧にお礼を言われた。

 それから高村くんは、馬場でサークルの人たちと飲みがあると言うことで、店の立て看板の所で別れて、落合駅の方へ歩いて行った。少し寂しかったけれど、それでも十分幸せで、アパートに帰ってからもその日はずーっと余韻が残っていた。

 夜、お風呂を沸かして入った。部屋の明かりを消してロウソクの炎で入るのが好きだ。バラの入浴剤を入れてお湯は熱めにする。お風呂に入りながら、やっぱり考えることは高村くんのことだった。 




     §

 早苗に高村くんのことがバレたのは、翌週の月曜日だった。
 珍しいこともあるもので、午後からの応用物理学実験がお休みだったので、二限のLL教室での英語の授業の後、いつものように奈歩と坂を下りラウンジに行った。そしたら早苗もいて、

「ちょっと来てよ」  と私と奈歩をカフェテリアに連れていって席に着くなり、

「理美、どういうこと!うち、聞いとらんよ」  といきなり切り出した。

「優のことや。高村優。あんた知ってるの?いつからよ?どういう関係?松崎はどうしたんよ!」

 あまりの剣幕に、私と奈歩はちらっと周りを見渡した。

 高村くんのことは、実は奈歩にもまだ内緒にしていたから、私は返答に困った。

「早苗には言おうと思ってたんだけど…」

「優は、同じ西の方出身で、一年の中では唯一話が通じる、かわいい弟のような存在なんよ。土曜、サークルの飲み会やったんけど、優が理美のこと聞いてきたんでびっくりして。いつから知り合いなん?知り合ったきっかけは?え?」

 私は、まずいことになったと思った。早苗に知られたということは池上くんに流れるのは時間の問題で、そこから松崎にバレるのは確実だ。

「高村くんは、近所のファミレスでよく顔を合わせてて、ある日話すきっかけがあって、それ以来友達になったの。でも早苗、誤解しないで。高村くんとは、単なる近所の友達で…」

 と自分に都合のいいような無難な返答をする。

「二人で会ったりしてるんじゃないの?」  早苗が詰問する。私は涙目になった。

「二人で会ったことはあるけれど、本当に友達としてよ。キスはもちろん、手を繋いだこともないのよ」

「松崎がいるのに、他の男と二人で会うっていうのは、もうそういうのは二股って言うんよ!」  早苗は容赦なく言い放った。

「じゃあ奈歩はどうなのよ。奈歩はキスまでする相手が五人もいるじゃない。それでも私は悪いのかな」

「奈歩は同罪やない。奈歩は特定の彼がいないから許されるんよ。そういうことができてるんやから。そやけど理美、あんたには松崎がいるんよ。松崎がもし知ったらどう思う?悲しむわよ」

 私は下を向くしかなかった。

「理美、うち池上にも松崎にも言わんどいてあげるから、自分でちゃんと解決するんよ」
 早苗は、厳しいのか優しいのか分からない。

 五時からデンマーク体操だった。部活の後、中村コーチに悩みを打ち明けた。

  「私、好きな人が二人いるんです。一人は一年からずっと付き合っている人で、この間の発表会にも友達連れて観に来てくれました。彼とはもうすっかり落ち着いていて、ちょっとマンネリ気味で…そんな時、もう一人、高村くんって言うんですけど、を最近すごく好きになってしまって、彼に内緒で会っているんです。彼、最近研究で忙しくてあまり会ってくれなくて…高村くんは彼と何もかもが正反対で、とても新鮮で。この間も近所の喫茶店に連れて行ってくれて、とても楽しくお話したんです。彼とは高村くんほど話が盛り上がったりしたことがなくて、今、正直高村くんとの時間の方がすごく楽しくてドキドキするんです」

 すると中村コーチはこう言った。

「恋愛って楽しいことばかりじゃないわ。時には辛くなる出来事もあるものよ。今理美さんは大事な時ね。高村さんは、理美さんに彼がいることを知らないからそういう振る舞いをしているのだと思うわよ。だから理美さんは、このままだと彼と高村さんの両方を失ってしまうかもしれないわよ。自分の気持ち、整理してみて。彼とのこれまでの軌跡を簡単に壊しちゃだめ。ダメージを受けるのは理美さんあなたなんだから…」

 その晩、私はアパートで、TVも音楽もつけず、部屋の電気もつけず、考えていた。そうか、高村くんは、私に彼氏がいることを知らないんだ。それなら高村くんは悪くないのか。でも美雪さんに対して後ろめたい思いはないのだろうか…。悪いのはすべて自分なんだろうか…。

 私は耐えられなくなって、アパートを飛び出した。向かったのは高村くんの家だった。  高村くんの部屋を外から眺める。明かりは点いていた。2~3分寒い中立ち尽くして、ずっと高村くんの部屋を見上げていると、犬を連れたおばさんが不審そうに私をじろじろ見て、そうして去って行った。それでも私はまだその場から立ち去ろうとはしなかった。 そのうち、明るいカーテンにちらちらっと人影が見えた。

 (あっ、高村くんだ)  と思ったら、すぐ後にもう一人の人影が見えた…。

 (美雪さんだ……)  知ってはいた。けれどショックだった。私は入れない高村くんの部屋に入れてもらってベッドで戯れている美雪さんに、私が嫉妬しないはずがなかった。私はもと来た道を小走りで引き返す。分かっていたはずなのに…。それなのに…。涙が出て来た。

 アパートに戻っても、まださっき見た光景が頭に焼き付いて離れない。涙がじんわり流れ出して、だんだん大粒になり、止まらなくなった。私は無意識にケイタイを取り出し、検索して通話ボタンを押す。

「理美、どうしたの?」  奈歩は心配そうに言う。こういう時に聞く親友の声って、なんて柔らかいんだろう。私は奈歩に今の出来事をありのままに話した。

 「うんうん、わかるわ。理美、辛いね」  奈歩は肯定も否定もせずに、私をただ、受け止めてくれた。




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