RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
今日も、一日お疲れさま。

連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.5後半

2008-10-31 11:28:46 | 連載小説
 
 霊山に戻った頃には、六時半を過ぎていた。

 日はとっくに沈んで、辺りには、カンタンやコオロギなどの虫の音が鳴り響いている。

 温泉に行っている間に父が来たらしく、玄関の脇に、大根、白菜、人参、牛蒡、葱、京菜、春菊が、きれいに洗って新聞の上に並べられていた。


 それを見て早苗が、

「理美のお父さんってまめだねぇー」

 と野菜に近付いて、しげしげと眺めている。

 買ったものは、すぐ使うものがほとんどだったから、飲み物と朝食の材料だけを冷蔵庫に入れた。

 早苗と奈歩が材料を切り、土鍋を火にかけ、だしを入れる。

 男性陣はカセットコンロを用意し、炬燵で寛いでいる。

 「こんな合宿みたいなのは、二年の夏の苗場以来だな」

 池上くんが大きな伸びをしながら、眼鏡を外し、目をこする。

 「あの時はもっと大人数だったけどね。バス貸し切りだったし」

 と修平が言って、無意識にTVをつける。チャンネルはNHKになっていて、ローカルニュースをやっていた。しばらくすると天気予報になった。松崎が珍しがってにこにこしながら観ている。

 私はコップや皿や箸を念のためもう一度洗って、布巾できれいに拭いて炬燵に並べる。気持ちは弾んでいた。親戚にしか会わないこの場所に友達がいるなんて、なんだか皆が一気に近くなったみたいな気分だったからだ。

 残りの材料を大きな皿に並べて、土鍋をカセットコンロに移し、鍋が始まった。松崎の隣に私、池上の隣に早苗、そして修平、奈歩が向かい合わせの席順だ。

 私はまずお玉で松崎に帆立や鱈、蛤、それに野菜などをきれいによそってあげる。

 大きな家で、天井も高いので、湯気はすぐ消え、換気もしなくてよかった。

 どんな時でも食事っていいものだ。ここに来る間、実は複雑な想いだった。今回の旅行は最初松崎と二人で来るつもりだった。だけど、二人だけの時間に自信がなくて、結局みんなを誘った。松崎がそのことについてどう思っているかも、まだ聞けずにいた。今、鍋を目の前にして、そう言ったことを取りあえず考えるのをやめることができて、食べる事に集中している自分にほっとしている。親しい友人との他愛もない時間……。松崎が近いようで遠かった。


 鍋奉行は早苗だ。

「鱈と帆立と海老は全員分あるんやけど、蛤は四つしかないんよねぇー。どうする?」

「じゃあさ、松崎以外の三人は、クイズに正解した人からもらうことにしようぜ。まずはオレから問題出すよ、誰も当てらんなかったら出題者の勝ちね。」

 修平がそう言って食べる手を止めて、ビールをゴクンと一口飲んだ後、問題を出した。

「オレのかけもちしてるバンドのサークルのやつらでさ、去年の冬、闇鍋やったんだよね。でさぁ、五人がそれぞれ変なの持ち寄って入れたんだけどさぁ、納豆、魚の頭、チョコレート、とうがらし、あと一つ何だったと思う?ヒントはナマズのヒゲみたいなの」

 修平はにやにやしながらみんなの顔を見渡している。

「さあ、スルメの細長く切ったのとか?」

 私が言った。

「いや、ちがう。ぜってい当たんない自信ある!」

 修平がにこにこしている。

「うーん、スパゲッティとか?」

 早苗が言う。
 
 「いや、違うね。」

 修平は得意気だ。

 「わかった!ハーブ系でしょう。ローズマリーとか。」

「げ…どんぴしゃ。奈歩ちゃんすごい…」

 修平は食べる手をぴたっと止めて、真っすぐ奈歩を見つめている。

「じゃあ蛤もーらいっ」

 こんなことをしながら次に池上くん、最後の一個は私が当てた。

「でもさぁ、この家、普段誰も住んでないなんてもったいないよな。オレのおばあちゃんちも、将来はこんな風になるのかなぁ」

 池上くんが、真面目な顔をして言う。

「日本ってさぁ、いい田舎いっぱいあるんよね。でもさ、うちらみたいに東京とかに集まっちゃってさ。過密状態で。かたや、こんなに空気もお水も美味しい田舎が空き家で…」

 早苗もしんみりとした表情。

「それにしてもこの鍋美味しいね。美味しいお水と、理美のお父さんの野菜のおかげだね」

 奈歩が、止めていた箸を、再び動かす。

「ぽん酢入れると美味しいよ」

 私はぽん酢派だ。

「鍋を囲むとさぁ、なんか『家族』って感じしない?」

 と修平。

「うちもな、ちょうど今そう思っとったとこや」

  早苗が同調した。

 私も、うんうん、と頷いた。

 切った材料は、ほとんど残さず、皆お腹いっぱい食べた。

「これで終わりやないねん」

 と、早苗は席を立ち、台所からご飯と卵と葉葱の刻んだのを持ってきた。

「じゃじゃ~ん、雑炊だよー」

 早苗は少し残っていた鍋の中の具をすくって、汁だけにした後、ご飯を豪快に入れ、汁に馴染ませて、煮立ったところに卵を回し入れ、葉葱を加え、すばやく火を止める。

「できたよ。さあさ、どんどん食べて」

 早苗がみんなに取り分けてくれた。卵が半熟ですっごく美味しかったが、お腹がはちきれそうだった。

 ご飯の後、お酒はワインや日本酒に変わり、おつまみなどを出して、皆で寛いだ。  そこへ修平が、新宿ルミネの吉本グッズ売り場で買ってきた、というトランプを出してきた。それで、二年の夏、苗場合宿で皆がマスターしたセブンブリッジをすることになった。

 松崎はあんまり乗り気じゃなさそうだったが、取りあえず参戦する。

「じゃあ、親は四月生まれの理美ちゃんで」

 と修平が言ったのであきれて私が、

「私は四月っていっても一日よ。だから一番若いのよ!」

 「あっ、そうだっけ…」

 結局親は、六人の中で唯一浪人組の早苗になった。

 五回戦で、意外にも松崎が一位になった。三回目の時なんて、最初からいいカードだったらしく、一周する前に松崎が、

「オレ、勝っちゃうけどいい?」

 とかわいく笑って、ジャンジャ~ンとポンとチーを一組ずつ、それにハートの7を並べて上がってしまった。この時ばかりはもう皆びっくりし、無念さをかくしきれず、それぞれ、

「えーもう?」

「あちゃー」

「ぐおー」

 などと口々に不平をもらした。

 意外に楽しいトランプ大会だった。


 明日は午前中、紅葉ドライブ、午後からは父の実家のりんご園でりんご狩りをして帰ることにしていたので、もう寝ようということになり、部屋割りを決めた。部屋数はたくさんあったが、シンプルに下の階だけを使い、男女三人ずつに分かれることにした。

 時計を見ると11時少し前だった。さっきトランプ中にTVでやっていた天気予報では、明日もまた晴れるらしい。誰か晴れ運の強い人がいるんだろう。松崎かな…とふと思った。彼は真夏の8月2日生まれだからだ。それに、いつもどこかにデートに出かける時は、雨に降られたことがほとんどなかったように思う。

 顔を洗いコンタクトを取り、布団を敷き、男三人におやすみを言って戸を閉めた。

 今日は、松崎と居ながらにして松崎と居ないような一日だった。昨日の、久しぶりに一緒に寝た、手をつないだ感触が、まだ体に残っていた。


 「電気消していい?」

 と早苗が言ったので、

「一番暗い電気はつけといてくれる?」

 と私が言って、三人は寝床に就いた。

 男女を分ける戸は簡単なふすまだったけれど、音が漏れるほどではなかったので、私たち三人は、横になりながら、小声で色々と語り合った。


 「奈歩さあ、修平のこと、どう思う?」

 早苗が露骨に聞き出した。

「ただのサークル仲間よ。それ以上でも以下でもないわ。ただね、好きか嫌いかって言われれば、好きな方かな。私にはあんなユーモアないし、そういうとこけっこう尊敬してる、実は」

 三人でクスクス笑った。

「早苗こそ、池上くんのどういう所が好き?」

 奈歩が尋ねる。

「あのオタクっぽいとこ。知的な感じが私にはセクシーに映るんよ。彼、眼鏡を取ると、驚くほどハンサムなんよ。精悍な眼差しで…。それとな、精神年齢が高いとこ。池上んちは母子家庭やからな、池上はお母さんをしっかり支えとる、自活しとるとこがかっこええなと思うんや」

 早苗が、池上くんを素直にほめている、そのことが、奈歩と私に距離を感じさせず、同じ女の子としての早苗を見た気がした。

「理美は、松崎のどこが好きなん?」

 早苗は私に話題を移した。私は、しばらく考えた。少しの沈黙があった。


  「ピュアなところ、かなぁ…。松崎ってね、人を素直にさせる力があるの。彼の前では、どんな仮面もたちどころにはがされちゃうの。心が裸になるの。その感じが、好きなんだ。彼と対面してると、細かい煩わしいこと、悩み、なんかが一気に解決しちゃうの。なんていうのかな、彼と会うと、ニュートラルに戻るっていうのかな。私、そういう彼が好きなんだと思う」

 松崎の良いところを、こんな風に具体的に口に出して言ったのは、初めてだった。三年になって研究に没頭する彼に、もの足りなさを感じ、心が離れていく、そのことが寂しかったけれど、本質的な部分では、今でも彼が好きなんだと言うことが、早苗と奈歩に話したことで、自分の中で再確認できたような気がした。

「恋愛ってさ、当人以外には到底わかんないような『秘密の絆』があるんよね。それをさ、二人だけがわかっていることをさ、外のわかんない人があれこれ言える権利はないんやと思う」

 早苗は、今日はすごく優しかった。

 頭の中には、冬ソナの軽快な挿入歌が流れていた。

「三年になってから、実は松崎に距離を感じていたんだ。彼、専門の研究に没頭しててあんまり会えなくなって。でもね、なんか今、解決した感じ。今度、研究のことも、もっと聞いてみようかな。それと、寂しいことをちゃんと言って、無理にものわかりのいいフリはしないかなって」

「そうや、理美。うちなんて、池上とは何でも話しとるよ。無理すると長続きしない、嫌なとこははっきり言うし、それでも譲れない部分ってあるから、そういうところは歩み寄ったりしてな」

 早苗は遠くを見るときのように目を細めて、そして微笑んだ。

「松崎はね、あんまり話し好きじゃないんだ。自分から何でも話すんなら、そんなに悩まずに済むのかもしれないけれど…」

「そこは理美の力量で、うまく話しを引き出してみるんよ。案外松崎も色々話したいのかもしれんよ」

「そっか。話しを引き出す…のね。なるほどね、ちょっと今度試してみるよ。ありがとう」

 早苗にアドバイスしてもらい、絡まっていた糸がほどけたように、気持がスッキリした。

 朝が早かったせいもあり、私たちは12時前にはもう夢の中だった。




 翌日も秋晴れのよい天気だった。朝食を済ませ、家の中をきれいにして、九時過ぎ霊山を後にする。

 今日も私がナビをするということで運転手は松崎だ。私たちは、磐梯吾妻スカイラインを目指して出発した。

 霊山から県道をしばらく走り国道115号線に出て阿武隈川の橋を渡り、国道四号線を南下し、福島市街を横切って高湯街道に入る。高湯街道はさすがに連休中の行楽日和だけあって混んでいた。

「まだ十時前なのにね」

 やっとスカイラインの料金所に着いたのはそれから一時間が経過した11時過ぎだった。

 それにしても、道中素晴らしい眺めだった。真っ青な空に、紅や黄色や緑や、それらの中間色が贅沢なほどにちりばめられていて、(おそらく錦色とはこういう色を言うんだろう)、山々はただ目で見ているだけではもったいないような見事な紅葉で、私たちは車の中から身を乗り出し、無我夢中でシャッターを押しまくった。写真を撮るにはのろのろ運転でちょうどよかった。

 松崎もオートマ車なので運転も楽みたいで、ぱっちりした目で嬉しそうにその爽快な眺めを味わっているようだ。

 スカイラインをしばらく行き、浄土平で車を停めて木道を散策した。家族連れや老夫婦や、犬を連れた若いカップルやシニアの団体客など、がいる。私たちは興奮しながらシャターを押す。デジカメなので無駄にたくさん撮れる。便利な世の中になったものだ。

 木道の周りには、高山植物と思われる、白い小さな花やブルーベリーのような木の実がなっている。それから、びっくりしたのは、水が湧いているところがあったことだ。  木道の行き止まりの所に、こぢんまりとした湖があり、ものすごく深い青色をしていて、その群青色と、周囲の錦色とのコントラストが絶妙で、私たちはそこで記念撮影をした。修平が近くにいた年配の女の人に、シャッター押してもらうようにお願いしてくれたのだ。

 お昼は、ドライブインで、地元の人たちが振る舞っていた豚汁といそべもちを食べ、それからスカイラインを反対方向に下り、土湯峠を抜けて父の実家の『夏木りんご園』へ向かった。

 りんご園は、父の兄、誠一おじちゃんが継いでいて、到着すると笑顔で迎えてくれた。なんとそこには家の両親もいた。母には話しだけはよくしていたけれど、松崎と両親が会うのはこれが初めてだったのだが、松崎が、背筋をピンと伸ばし丁寧にお辞儀をしてくれたのにはびっくりした。そこにはいつもの、のほほんとした松崎の姿は全く見受けられず、育ちの良さが全面に現れていて、私は誇らしかった。

 到着して早速、かごを片手にりんご畑に向かう。試食用にナイフと剥いた皮を入れるナイロン袋を持っていく。

 池上くんも松崎も東京出身だし、修平は神奈川だし、早苗は関西だし、奈歩は埼玉だと言うことで、りんごがなっている木というのが珍しいらしく、皆、目がりんごに釘付けになっていた。

 私の実家にはほぼ一年中りんごがある。中学の友人には、

「理美の家はりんごの匂いがするよね」

 とまで言われたこともある。そのくらいりんごは日常的な代物で、私は正直食べ飽きていた。りんごがこんなに皆を喜ばせられるものとは、全く予想していなかった。

 畑を周りながら誠一おじちゃんは、りんごの品種や味、育てる上で心がけていることなどについて講釈を始めた。

「この甘酸っぱいパリパリした食感のがジョナゴール。これはゴールデンと紅玉をかけ合わせたもので、酸味があり実が硬く、若い世代の人に好まれる品種だ。こちらの木は世界一。サクサクして味も淡白だ。こっちの木は清明と言って、上品な甘味が特徴の、男性に人気のりんごだ。今の時期だとこのあたりが食べ頃で、あとは一般的なのが富士。富士はもう少し後に収穫するので、今は葉つみや玉まわしをしていい商品にしている。この、一見酸っぱそうな青りんごは、王林と言って、香りが良いのが特長だ。ゴールデンデリシャスと印度をかけ合わせたもので、食べてみると分かると思うが、見た目と違って甘いんだ……」

 私も知らないようなこともあった。皆にとってりんごとはりんごであって、りんごにこれだけの種類と味の違いがあるっていうこと に、カルチャーショックを受けたようだった。

 松崎はどうやら清明が気に入った様子だ。修平は、

「…マジっすか!」  完全におじちゃんの話にのせられている。

 
  皆がりんごに夢中になっていると、いつのまにか、そばにリリーがスクッと立っていた。リリーはりんご園で飼っているシャム系の猫だ。その走り方は野性的で、サバンナのジャガーのようにかっこいい。リリーは必要以上に人なつっこくもなく、かと言って臆病な訳でもなく、近頃は夏木りんご園のちょっとした人気者になっているらしい。

 松崎はリリーに気付くと、中腰になって口笛を吹きながら手招きをしている。

 お昼が少なめだったので、りんごの試食は、皆ほぼ全種類制覇した。

 皆、思い思いに気に入ったりんごを木からもいでかごに入れる。一人暮らしの早苗はその手を少しセーブしている。

 畑を一通り廻った後、倉庫に戻り、誠一おじちゃんがみんなのりんごを量って値段を付けてくれた。かなりサービスしてくれたようだった。奈歩は親から頼まれたということで、倉庫に置いてあったりんごを足して箱で買って、郵送する手配をしてもらっている。

 家の両親は、終止笑顔だった。久しぶりで会えたことに加え、私の仲間が皆いい学生だったからではないだろうか。誠一おじちゃんもすごく満ち足りた表情をしている。若い衆に講釈をするというのは気持のいいものなのだろう。

 帰り道は、池上くんと修平が交替で運転してくれた。松崎と私は一番後ろに乗った。

 松崎が眠ってしまうと、私は右手をそっと松崎の左手の上にのせた。車の中から紫色と橙色の交じった素敵な夕焼けが見える。両親が松崎と会った瞬間を反芻した。そこにはやわらかな空気があった。松崎は、あの大きな目でめいいっぱい親しみのある表情をしてくれた。そしてあんなにも礼儀正しかった。それに昨日の夜は早苗とも親密な話しができたし、結果的には今回の旅行は成功だったかな、そう思った。

 私も那須インターを過ぎた辺りから急に睡魔が襲ってきて、ミスチルのバラードを子守唄にしながら、目を閉じた。

                                 (END)









連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.5

2008-10-30 21:41:39 | 連載小説

 
   今日から、すっかり寒くなりました。

  お知らせ:この回をもち、連載を終わらせていただきます。
 
  誰からクレームがきたわけでもありません、自分で、そう判断しました。

  ご愛顧してくださった方々に、お礼申し上げます。


 

  
  
  11月3日の文化の日は、今年は月曜日だったので、三連休になった。

  それで、前からこの連休には、サークルの皆で母の実家に泊まりに行くことにしていた。

 母の実家は福島県伊達市霊山町、という所にある。祖父母は既に他界しており、この家は、七年前から空き家状態になっていた。それで、母の兄弟が交替で掃除をして、家を守っている。

 霊山では、父が野菜を作っている。今の季節だと、大根、牛蒡、人参、白菜、京菜、葱…などがあるとのことだったので、皆で鍋を囲もうと考えていた。

 メンバーは、池上、早苗、修平、奈歩、そして松崎と私の六人だ。

 車はレンタルにした。池上はお父さんが不在で、お母さんも車は運転しないし、修平のお父さんは小型の普通車だし、松崎のお父さんはトヨタのクラウン。

 レンタカーは七人乗りのにした。
 運転は男性陣が交代でしてくれることになった。私は今年の夏二か月実家に戻り、やっとの思いでマニュアル免許を取得していたが、できることなら運転はしたくなかった。


 前日の金曜日、松崎は私のアパートに泊まった。終電ギリギリまで研究をし、東西線に乗って、落合駅まで来てくれたのだ。久しぶりだ。

 普通は直接家に来てもらうのだが、今日はお気に入りの赤いPコートを着て、駅まで迎えに行った。目白祭のデンマーク体操の発表会を見に来てくれて以来だから、実に二週間ぶりだ。

 早稲田通りは七割かたタクシーだった。テールランプの赤い光がずっと先まで続いている。

 0時40分、松崎が現れた。いつもの着慣れたラルフ・ローレンの紺のダッフルコートに、グレーのマフラーをしている。髪は軽い天然パーマで、やわらかい髪質だ。染めたことは一度もない。染めなくてもいい自然な栗毛なのだ。まゆはわりとしっかりしたヘの字で、目はお人形さんのようにパッチリしている。表情は常に穏やか。松崎のことを私は『大ちゃん』と呼んでいる。


「大ちゃんお疲れさま。明日の朝食、トヨクニで買ってくね」

 私は松崎に付き合ってもらい、駅とアパートの間にある深夜までやっているスーパートヨクニでパンと牛乳とヨーグルトを買った。普段は一番安い食パンにするのだが、松崎に食べさせるから、ちょっと高めの美味しそうなのにした。

「理美ちゃん、最近会えなくてゴメンね」

 肩を並べて歩きながら、松崎が謝った。

「ううん、ほら、私だって夏ずっと免許取るのに実家帰ってたじゃん。でも、大ちゃん、待っててくれたもん」

 心とは裏腹なことを口走っていた。本当はこの二週間、松崎がいなくて寂しかったし、もともと、夏実家に戻ったのも、少し距離を置いてみよう、としてのことだったのだ。

 それからしばらく無言で歩く。

 今日久しぶりに松崎が来てくれるということで、いつになく早めに帰り、家じゅうをピカピカにしていた。玄関の派手なサンダルは靴箱にしまい、ロフトのベッドスペースには、ベッドメーキングした後ラベンダーの香りをスプレーした。近くの花屋で小ぶりのピンクのバラとかすみ草を買ってきて、テーブルに飾った。トイレもきれいにして、お気に入りのサボテンの位置を直し、トイレットペーパーの端を三角に折った。

 料理は、カボチャのポタージュスープと、トマトソースのスパゲッティと、スモークサーモンのカルパッチョにした。

 もしも、松崎も一人暮らしだったら、そして彼がおぼっちゃまでなければ、もう三年目でこんなに気を遣うことはないのかもしれなかったが、一年の時からお泊まりは多くて月一、松崎の実家に初めてお邪魔したのは二年の秋で、それ以来2~3か月に一回ほどお邪魔しているが、未だに泊めてもらったことはない。


「あっ、大ちゃん、ねこいるよ」

 早稲田通りを右にまがりアパートへ続く細道に入ると、猫が二匹いた。この辺りでよく見かける猫で、一匹は茶トラ、もう一匹は乳牛のような白に黒ぶちの模様だ。その二匹はまるで立ち話しているみたいに見えた。
 私たちに気付いても逃げる様子もない。

  「そうだ、ルルは元気にしてる?」

 その猫を見ながら私は尋ねた。

「バリバリ元気だよ。最近寒くなったからよくオレの寝床に上ってくるんだ」

 松崎はルルの話になると、いつも目を輝かせる。

 アパートに着いた。四月の誕生日に松崎からもらった、コーチの花の形をしたキーホルダーで、鍵を開ける。

 私は4月1日生まれだ。だから誕生日を聞かれるのは好きではない。理由は、ややこしいから。4月1日生まれっていうのが、学年の最初なのかそれとも最後なのかわかっていない人が多い。そもそもたった一日違いで一学年上になるなんていう制度自体おかしくないか?本人の希望で選べるべきだ。因に4月1日生まれは、その学年で一番最年少だ。


「先入って。私ブーツだから」

 松崎は、かがんで、履き慣れたこげ茶色の革靴のひもを、外す。私は韓国で買った黒い革のロングブーツを脱いで、手を洗い、早速パスタを茹でる鍋とポタージュスープに火を点ける。


 私の部屋は1LDKのロフト付きだ。天井が高い。キッチンから松崎の様子が見える。松崎は見慣れているはずの私の部屋をキョロキョロ眺めまわし、テーブルの花を見て、にっこりしている。

 松崎には、特に指図をしないことにしている。松崎が誰よりも束縛を好まない自然児だということを、付き合い三年目で充分知っているからだ。

 松崎は、あまり話し好きではない。頭がいい人というのは、必要以上にあまり話さないものなのだろう。しかも松崎は、いたってトゲがなく、めったに怒ったりすることもない。

「パスタ茹でるまでちょっと待っててね」

 私が言うと、松崎は「うん」と言ってマフラーを外し、ダッフルコートを脱いで、自分でハンガーにかける。コートの下には、おじいちゃんからもらったという、お気に入りの、紺と茶の千鳥格子のシャツを着ていた。


 松崎はTVを付けてゆったりソファに凭れかかっている。

 食事は美味しくてほめられた。松崎はいつも残さず食べてくれる。私がスパゲッティを少し残したら、

「理美ちゃん、残しちゃだめだよ」  と言った。

「どうして?自分の作ったものだもの、残したっていいじゃん」

 私は大笑いした。松崎のそういう生真面目さもすごく好きだ。きっと、お母さんの教育が行き届いているんだろう。

「明日早いから、もう寝ようね」

 小学生の子どもに話しかけるように、松崎に言う。松崎は何も言わずにお風呂場に行く。


「あっ、バスタオル置いておいたから」

 私は松崎が、まるで自分の家のように私のアパートを使ってくれるのが好きだ。



 ロフトに二人が落ち着いた時には、既に二時を回っていた。私はいつものように枕元のCDラジカセで、バッハの無伴奏シャコンヌをかける。明日の朝早いし松崎も疲れている様子だったので、手をつなぐだけにして、目を閉じた。

 それでも、ちょっとして、松崎の方にぴったりとくっついて、右手はにぎったまま、左手を松崎の心臓にあて、鼓動を確かめてみる。松崎の心臓は世界中の誰よりも正確なリズムだ。こうして、松崎のぬくもりを感じながら眠りに就くことは、どんな精神安定剤よりも効き目がある。私は握った手に力を込めた。

 翌朝は、西早稲田で池上くんがまず車を借り、早苗と修平を拾い、その後七時に、私のアパートの前まで来てくれることになっていた。池上くんは西早稲田が実家、早苗は兵庫の姫路出身で、西早稲田に一人暮らしをしている。宮前平が実家の修平は、前日に西早稲田の友達のアパートへ泊まっていた。



 私は、はりきって五時半に起きた。松崎を起こさないようにして、梯子を下り、朝食を作る。フライパンを熱して、オリーブオイルをさっと引き、ベーコンを敷いて卵を落とす。松崎は半熟が好きだ。

 6時10分に、松崎を起こして朝食を食べる。カーテンを開けると、快晴だった。いい日になりそうだ。

 朝食の後片付けを手早く済まし、いつもより少し丁寧に、お化粧をする。ベージュのVネックのニットに、ブルージーンズを履き、松崎からクリスマスにもらったハートのネックレスをつけた。6時50分にはスタンバイOKだった。

 七時十分頃、下で車の音がしたので、行ってみると池上くんたちだった。みんな上機嫌だ。

 私は、松崎と一緒に、後部座席に乗り込んだ。 「それじゃあ出発」

 助手席に乗った早苗がそう言って、オーディオを操作する。修平オリジナルセレクトのJポップが流れ出した。この日の為にパソコンで編集したようだ。最初の曲はゆずの『いつか』だった。

 車は奈歩の住む羽生へ向かって、山手通りを北上する。奈歩とは八時半に羽生インターで待ち合わせだ。そこから高速に入ることにしていた。

 連休の初日だからか、さすがに道は混んでいたが、渋滞するほどではなく、順調に流れている。

 本当に清々しい日だった。空には一点の雲もなく、どこまでも突き抜ける青さだ。

 途中、コンビニに寄り、飲み物とガムとお菓子を買った。松崎はKOOLで一服している。


 風景は次第に郊外っぽくなっていく。ドン・キホーテや安楽亭といったファミレス系が目につく。

 私は早苗に、高村優くんのことを聞きたかったのだけれど、松崎が隣にいるのでやめておいた。それに、しばらくの間は、早苗にも内緒にしておいた方がいいかもしれない。
 

 羽生インターに着いた。奈歩はここまでお母さんに送ってもらったそうで、ちゃんと時間通り待っていた。お母さんもまだ帰らずにいて、

「いつも奈歩がお世話になっております。よろしくお願いしますね。運転くれぐれも気をつけていってらっしゃい」

 奈歩に似て小柄な、明るいお母さんだ。

 修平がやけに上機嫌だ。それもそうだろう。六人のうち池上と早苗、松崎と私が付き合っているわけだから、必然的に奈歩は、修平の隣に座ることになったからだ。

 奈歩は、黒いコートに真っ白のマフラーをして、ヴィトンのボストンバッグを持っていた。肩からは赤い小さなショルダーバッグをさげている。よく見ると、爪はきれいなローズ色だ。


 車は高速へ入った。スピーカーからはスピッツの『ローテク・ロマンティカ』が流れ出した。修平はかなりご機嫌で、

  「おい池上、あの車のろくねぇー。抜かしちゃえよ」

 と身を乗り出して言っている。修平はスピード狂だ。

 奈歩はそれを聞いてすかさず、

「ちょっと修平やめてよ、事故ったらどうするの?」

 修平は、ごめんごめんと言って、機嫌を直してよ、的な目線を奈歩に送る。それを後ろから見て、松崎と顔を見合わせて肩をすくめ、声を立てずに笑った。



 車が一定のスピードで、単調に果てしなく北上して行く間、車窓の景色をぼんやり眺めながら、一年前の夏、松崎と那須に行った時のことを思い出していた。紺のヴィッツを借りて、松崎はその頃免許取ったばかりで…。初めてのドライブだったから、隣で運転する松崎の姿がとてもかっこよくて、写真もバシバシ撮った。松崎は、その性格そのままの運転の仕方だった。いたって安全運転、無理は一切しない。

 那須ではコテージに一泊した。前から行きたかったニキ美術館や、銀河高原ビール、ステンドグラス館、世界の絵本館、南ヶ丘牧場、ボルケーノハイウェイ、殺生石などに行った。二人の仲がいっそう深まった素敵なお泊まりデートだった。


「そろそろ運転交代しようか?」  SAに車を停め、トイレ休憩をし、ここからは修平の運転になった。修平は一気に二台、三台と抜かし、恐ろしい運転だったが、みんなスリル満点で楽しんだ。

 紅葉がちょうど最盛期を迎えていて、車窓からも、赤や黄色の木々が見える。

 東京に住み始めて、何か違和感があった。それは山がないってことだった。私は今、久しぶりに山々を眺め、言いようもない安心感に浸っていた。

 あっという間に、本宮インターまで来る。安達良SAで、今度は松崎がバトンタッチをする。私は助手席へ移動した。

 福島西インターで高速を下り、国道115号線を走り、フルーツラインに入り、しばらく行ったところに、ひろしおじちゃんの経営するそば屋「麺善」がある。

 ひろしおじちゃんは父の末の弟で、おじちゃんにはあらかじめ、今日12時半頃六人でお邪魔すると伝えておいた。時間もちょうどいい。


 「麺善」は実は去年の秋にオープンしたばかりで、ひろしおじちゃんは、それまでは電気屋を営んでいた。小さい会社だったので、不況の影響で、経営が苦しくなっていた。そんな時、趣味で始めたそば打ちが功を奏し、まずは電気屋を続けながら土・日・祝日だけで営業を始めた。それが思わぬヒットをし、今では電気屋をたたみ、ほぼ毎日休みなしで営業している。

 麺善のそばは、十割そばと言って、そば粉を100%使用した本格的なそばだ。そば粉にもこだわって、北海道の農家から特注しているそうだ。

 店に入ると、一階は全部席が埋まっていたけれど、ひろしおじちゃんは、普段は使っていない二階の座敷に私たちを通してくれた。座敷には長テーブルが二つ置かれていて、その上に、六人分の割り箸やコップ、小鉢などが既にきれいに並べられていた。

(ひろしおじちゃん……)  私は、親戚っていいもんだなあ~と身にしみて感じた。
 VIP扱いをされて、みんなの表情にも、疲れは見当たらない。

 しばらく待って、六人分のそばと天ぷらが揃ったのは一時を過ぎていたけれど、待った分だけさらに美味しく、みんな大満足の様子だった。お代は、シコシコのそばに、天ぷらと、山菜の小鉢と、サラダなどが付いて、たった千円だった。東京では考えられない値段だ。

 そこから、母の実家までは引き続き松崎の運転で、私がナビをしながら向かった。  霊山は、そば屋から車でさらに40分ほど北東に行ったところにある。

 福島にいた頃は、何回も通った道だったけれど、実際にナビをすると意外に難しく、何度か曲がるはずのところで通りすぎてしまったりしたが、なんとか辿り着くことができた。

 周りは紅葉した山々に囲まれ、近くには広瀬川という阿武隈川の支流が流れている。

 母は1947年、終戦の二年後に、この地に生まれた。広瀬川で昔よく遊んだそうだ。雄大な自然があり、美味しい川カニもたくさん取れたという。昔の方が、そういう意味では贅沢な暮らしだったんじゃないだろうか。昔は笹薮だった両岸は今ではコンクリートで固められ整然としてしまった。それによって生態系にもかなり影響があって、川カニはもちろんいなくなったし、魚も種類が激減してしまったそうだ。
 母は六人兄弟の三番目だ。女女女男男女という構成だ。小さい頃は、アンゴラうさぎを飼っていて、そのエサをあげるのが仕事だったこと、秋になると栗を拾いに裏山へ行き、いくつ拾えるか兄弟で競い合ったことなどを、母は前に話してくれたことがあった。

 「すごーい、広いねー。うちのおばあちゃんちに似てるわ。」

 早苗が珍しくはしゃいでいる。早苗は兵庫県姫路出身でご両親も確か関西か九州の人のはずだが、日本全国、田舎の家というのはどこも似ているのかもしれない。

 霊山では、夏はスイッチを入れないだけで、炬燵が一年中出ている。大きな炬燵なので、スイッチを付け、六人であたる。私は、裏の戸から外に出てガスの元栓をひねり、お湯を沸かしお茶を淹れる。

 この家には、皿もコップも箸も、何でも20~30人分揃っている。母は六人兄弟で大家族だったからだ。

 松崎は早速、各部屋を探険し始める。こういうところは、まるで小学生の坊やみたいだ。  池上くんは、奥の部屋にあった「霊山町史」という分厚い本に興味を示し、ペラペラめくっている。

 床の間に、生け花が生けてあるのを見つけた。おそらく母が生けてくれたんだろう。紫色の清楚な菊を中心として、すすきや野の花をあしらってあった。布団もちゃんと六人分きれいにたたんで重ねられていた。

「お布団、この間の日曜日干しておいたから、押し入れに入れずに手前に置いておいたからね」

 電話で母がそう言っていたのを思い出した。


 時刻は四時を回ろうとしていた。明るいうちに温泉に行こうと思っていたのでみんなに伝えると、各自準備を始める。

 温泉は、ここから車で三十分ぐらいのところにある両親がお得意さんの穴原温泉『元岩荘』にした。そこは、今どき珍しく商売っ気のないところで、しかしお湯は源泉100%、私の母は、ここに通って更年期のアトピーがすっかり良くなったという。きっと乳ガンの再発防止にもなっているんじゃないだろうか。

 玄関は木枠の硝子戸で、右端に、『郡山 安斎 様』と言うように、今日の泊まり客のお所とお名前が、ご主人の毛筆で書かれてある。今日は連休初日とあって、いつもより多い、五組のお客さんのお所とお名前が書かれてあった。
 お客さんが多くても、ここの温泉は客室にそれぞれ温泉が付いているので、ご主人は快く六人を迎えてくれた。母が事前に頼んでくれていたようで、400円で入れてもらえたのもありがたかった。

 内風呂で、まず髪や体を洗う。化粧は取らないでおく。
 ゆっくりあったまってから、今度は階段を下りて、露天風呂へ。ここも商売っ気がないからか、本当に天然という感じで、落葉が水面を埋め尽くしていた。

「なんか私たち、サルやタヌキみたいね」

 奈歩がタオルを全身にあてて苦笑している。

 男湯がすぐ隣で、少なからず意識しながら、早苗と奈歩と私は、まず洗面器で落葉をすくい、夕焼けに染まる晩秋の山を眺めながらゆっくりとお湯に浸かる。空気は冷たいが、お湯が熱めなのでかえって気持がいい。虫の音がリンリーンと涼し気に聞こえる。男湯からは修平の笑い声が聞こえてくる。どうやらわざと大きい声を出しているらしい、困ったやつだ。

 昨日あまり寝ていなかったので、ふーっ、と眠くなって、しばらく目を閉じ、じんわりと温まる。

 それから内風呂に戻り、体を拭き、脱衣所で着替えて、ロビーに行くと、男三人は既に上がって待っていてくれた。めいめいスポーツドリンクやお茶など冷たい飲み物を飲んでいる。

 松崎が私に、

「どれがいい?」  と言って飲み物を買ってくれた。

 早苗は池上くんの飲んでいたお茶を横取りして、飲む。

 修平は、ちょっと考えて、

 「奈歩ちゃん何か飲む?」  と聞いたが、

「いいよ、自分で買うから、ありがとう」  爽やかに断られて、ちょっとがっかりしている様子。

「昨日も、ご両親お見えになりましたよ」  とご主人が言う。

 私たちはご主人にお礼を言って、車に乗り込んだ。

 霊山に帰る途中のスーパーで、鍋に入れる材料を買うことにした。海鮮鍋にしようということになって、海老、鱈、帆立などがセットになっているものを二セット、それにきのこや豆腐などを買う。

 松崎が、

「これもいいかな?」  と言ってかごに入れたのは蛤だった。

「んじゃこれもいい?」  と言って修平は白子をかごに入れそうになったので、

「何それ!気持悪いからやめて」  と奈歩にピシャリと言われて傷付いた様子。

 お酒とおつまみも買った。買い物袋三つ分になったので男性陣が持ってくれた。松崎は普段も、私の荷物を持ってくれる。







連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.4

2008-10-28 21:23:37 | 連載小説

 
   日曜日の新宿というのが、私は好きだ。

 サラリーマンも、OLも、学生も、みんなその日は自分の身分を解放して、ただの男や女になって買い物をし、遊ぶ。そんな雰囲気が、街全体にあふれているからだ。

 そして姉も、今日は一人の女になってやってきた。普段仕事の時はいつも一つに束ねているという髪の毛をおろし、学校には絶対に履いて行けないジーンズを履き、結構明るめの口紅をしている。

 サザンテラスにあるアフタヌーンティーに行った。

 二時過ぎだったが、店内はとても混んでいて、待ち合いの椅子にしばらく座って、20分ぐらいしてようやく通された。

 姉の美香は、埼玉の川越で、長澤さんという人と同棲している。長澤さんは今日、大学時代の友人とサッカーの試合を観に神宮に行ったのだそうだ。来るとき一緒で、試合が終わるまで新宿で過ごすことにしたとのこと。試合は14時キックオフ。

 一番奥の窓側の席に通され、思わず二人ニッコリ顔を見合わせる。

 メニューを見ると、前から知ってはいたがやはり値段は高めで、迷っていると、姉が、

「理美、今日はおごりだから。好きなの頼んでいいわよ」

 と言ってくれたので、遠慮なくケーキセットを頼むことにする。

 店内は圧倒的に女の人が多かった。すぐ右隣には、私ぐらいの大学生風の女の子二人組がいて、ランチからずっと長居しているらしく、テーブルにはパスタが少し残った大皿があり、小声で話し込んでいる。
 大きな高島屋の紙袋を隣に置いて、話に花を咲かせている左隣の四人は、成城学園あたりに住んでいるに違いないマダムたちだ。

 姉と私は、一通り近況報告をし合い、それから実家の話になった。

「お母さん、今は元気だけど、油断はできない状態だと思うの。いつ再発してもおかしくはないわ。再発したら万が一、ね…わからないでしょ。だからね、お姉ちゃん来年早々結婚式をしようと思ってるの。長澤とは学生時代からの長い付き合いだし、同棲して半年経つけれど、これと言って問題もないし、お姉ちゃんも今年で26だしね。お互い仕事も落ち着いてきたし、長澤は栃木の人だけど、母のことを話したら、結婚式は福島で挙げようって言ってくれたの」

 姉の結婚の話を聞いて、羨ましくもあり、また少し淋しくもあった。松崎とのことは、結局話さずじまいだった。



 

連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.3

2008-10-28 12:47:36 | 連載小説
 


 次の日は冴えない土曜日だった。

 誰からの遊びの誘いもなく、ブランチの後、昼間からジュリア・フォーダムの『哀しみの色彩』をかけながら、趣味のビーズをやっていた。今は、12月10日が誕生日の緑の為に、とびっきり難しいネックレスに挑戦していた。

「そうだ、緑に電話するんだった」

 ケイタイは八回呼び出し音が鳴った後、留守電に切り変わった。
 その後、緑の目白のアパートにかけたが、こちらも留守電だった。

  緑は島根から上京し、二年までは大学の寮にいたが、今は目白のアパートで一人暮らしをしている。
 まさか、と私は思った。まさか、島根にいるのでは……。そう思い、普段はあまり開かないクラスの名簿を取り出し、緑の実家の番号を調べる。午後二時だ。自宅にかけるには悪くない時間帯だろう。緑の実家にかけるなんて初めてだな、と思いながら、CDのボリュームをおとし受話器を手に取った。

「はい、永井でございます」  お母さんが出た。

 私はちょっと緊張してとりあえず名乗る。

「あの、私、緑さんの大学のクラスメートの夏木と申します。あの、緑さんは…」

「ああ、夏木理美さんね。いつも緑がお世話になっております。緑は、今、ちょっと体調を崩して戻ってきてるんです。ご心配おかけして申し訳ございませんねぇ」

「…そうですか。少しかわっていただけませんか?」

「それがね、実は入院していまして…。お電話あったこと伝えておきますね。本当にどうもありがとうございます」

「わかりました。緑さんによろしくお伝え下さい」

 緑…。電話を切った後、色々な思いが頭をよぎった。三年後期のテストは、学部学科を問わず盛り沢山だ。一月のテストまでに、なんとか元気になって戻ってきてくれるだろうか。

 奈歩にメールを打った。デート中なのか返事はすぐには来なかった。

 私はその日、ネックレス作りもほどほどに、ロフトで音楽もかけずにボーっと横になって過ごした。


 気がつくと七時を回っていた。どうりでお腹が空いたわけだ。
 外は寒そうだったが、土曜日に一人分の夕食を作る気がしなかったので、ギンザ通りのドトールに行くことにした。
 ちょうど母に葉書も書こうと思っていたので、絵葉書とペンケースをバッグに入れて、普段着にメガネのまま、フリースを着込み、家を出た。

 豆腐屋のおばちゃんが、近所の人と立ち話をしていた。みすぼらしい格好で出てきて、まずった、と思ったが、笑顔を作り軽く挨拶をする。

 日はとっくに落ちて、どこからともなくカレーのいい匂いがしてくる。

 早稲田通りに出て、2~3分高田馬場方面に歩いて行くと、ギンザ商店街はある。東中野駅まで150mくらい続く商店街だ。ドトールは、その真ん中よりも駅側にある。

 店内に入り、まず二階の窓側の一人用の席を確保する。そしてまた下に降り、ジャーマンドッグとブレンドコーヒーを注文し、ジャーマンドッグの出来上がるのを待つ間、ちょっと店内を見回した。

 学生風の男の子、若いカップル、60を過ぎていそうな新聞を読んでいるおじさん、土曜なのに紺のスーツを着ている20代後半の女性…。私以外は、土曜のディナータイムということを気にしている人は、誰もいないようだ。

 急な狭い螺旋階段を、用心して上り、席に着き、フリースは着たまま、まずコーヒーに砂糖を入れかき混ぜ、そこにミルクを落とし、一口飲む。


 窓の下の八百屋さんをぼんやり眺めた。
 近くに大きなスーパーがあるとは言え、その八百屋さんにはひっきりなしにお客さんが入っていて、品物とお金の交換が忙しく行われている。お金を天井から吊るしたざるの中に入れているのは、結構合理的だ。

 ケイタイをいじる。松崎に、何度もメールしそうになった。

(今日は何してた?)
(研究忙しいのは分かるけど、土曜ぐらい連絡くれたっていいんじゃない?)
(明日どこか行かない?)

 色々な言葉が頭に浮かんだし、実際文面にしてみたりもした。でも、結局出さなかった。返事が来なかったらどうしよう、と思うと出せなかったのだ。迷惑女にだけはなりたくなかった。こういう時は、相手の立場にならないと。ひょっとして土曜日も研究室行っているのかもしれない。

 とにかく松崎にメールを送るのは諦めて、立ち上がり、フリースを脱いだ。

 活気のある八百屋さんを眺めながら、ジャーマンドッグを食べる。声は聞こえないけれど、きっと威勢のよいかけ声や挨拶を交わしているんだろう。お客さんも店の人も笑顔だ。ちょっとだけ元気をもらったような気がした。

 食べ終わると、コーヒーをまた一口飲み、母に葉書を書いた。



 拝啓  

  萩も咲き終わって、そろそろ庭の木も色付いて来た頃でしょうか。
 その後お変わりありませんか?食事療法やマッサージもちゃんと続けていますか?
 私の方は相変わらずで、授業も難しいですが、なんとか頑張っています。
 先日はデンマーク体操の発表会に来て頂きありがとうございました。頑張って練習していたのでとても嬉しかったです。あれからお姉ちゃんの所には寄ったのですか?
 前から話していた通り、今度の連休に友達を連れて福島に行きます。よろしくお願いします。
 それではまた。お体くれぐれも大切に。 
                           かしこ      理美


   私の母は乳ガンを患って丸五年になる。忘れもしない、私が高校一年生の秋に、検査で右のおっぱいに小さなガンが見つかり手術をしたのだった。
 母は、運良く早期に発見されたので、乳房は残し、ガンとその周囲だけを取り除く、いわゆる温存手術というのをしたので、おっぱいは今も健在だ。
 その後、二年ぐらいホルモンの注射とかを受けに定期的に病院へ行っていた他は、仕事にも復帰したし、まだ一度も再発はしていない。
 けれどもガンにかかってから、食事は玄米中心に変え、動物性のタンパク質を極力とらないようにしているし、最近は健康茶などを意識的に飲んでいる、とこの間の葉書には書いてあった。

 母は、福島市にある設計デザイン事務所に勤めている。インテリアコーディネーターだ。ショートカットでシックな色の服を好んで着るので、女優の樋口可南子に雰囲気が似ているし、今脚光を浴びているかっこいい職業をしているお母さんはパイオニアだなぁ、と誇りに思っている。

 おっぱいを全部切らなくて良かった、と母は振り返る。全部取ってしまうと、取ってしまった側の腕がむくんでしまったり、力が入らなくなったりするのだという。

 母は昔から、穏やかだけれども辛抱強い、というところがあって、それは言い換えるならば、真の女の強さみたいなのを持っている人だな、と子どもながらに感じていた。物腰が柔らかく、どっしりしているのだ。母は、兄や姉にはどうかわからないが、少なくとも私には、とても寛容だった。基本的にやりたいことをやりたいようにさせてくれた。
 もしかしたら母は、兄や姉の子育てに一段落して、母親として成長したのかもしれない。私はすぐ上の姉と五才も離れているから。今の私なら、遠くからそんな分析もできるようになった。

 平日は多忙だけれど、週末になると、よく一緒にお菓子を作ったり、天気が良ければ、家族でドライブに出掛けたりした。
 父も母も農家出身だからか、自然が大好きだ。母は本や新聞も大好きだ。

 仕事に行く時はおしゃれをほとんどしない。おそらくインテリアを扱っているから、自分自身は極力シンプルにしていよう、というポリシーがあるのだろう。ちょっと明るめの服を着るのは、私たちの入学式や卒業式、それと年に1~2回お友達と温泉にお泊まりの時くらいだ。

 両親は演劇が好きで、演劇鑑賞会なるものに入っている。熟年カップルになっても、そうやって二か月に一度夜二人で出かけ、食事などをする両親は、とてもオシャレだなと思う。それから母は、とても筆まめだ。私も負けないくらい筆まめなので、こうやってよく葉書の交換をしているのだ。


 兄の厚太はロンドンでロックミュージシャンをしている。昔から独自のワールドを持った人で、中学ぐらいからエレキギターを四六時中かき鳴らしていた。そんな兄を見て育ったからか、すぐ下の姉は模範的な人間に成長した。私は小さい頃、てっきり姉の方が年上だと思っていたほどだ。姉は地元の中学ではもちろんのこと、高校でも常にトップだった。マンガやTVを観ている姿はほとんど記憶にない。


 メールが立て続けに二通来た。受信箱を開けると、奈歩と姉からだった。
 奈歩は、緑のことの返事、姉は明日新宿に出るから少し会わないか、ということだったので、明日も何も用事がなかったから、姉と会う約束をした。

 明日の予定が入ったので急に嬉しくなって、まだ閉店までは時間があったが、いそいそと片付けてアパートに戻った。



連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.2

2008-10-24 15:57:13 | 連載小説


  その日の夕方、私は東中野のファミレスにいた。

東中野は、私が福島から東京に出てきて初めて一人暮らしを始めた町だ。ここには五歳年上の姉がはじめに借りて住んでいたが、姉が就職で埼玉に引っ越しが決まったのと、私がこちらの大学に受かったのがちょうど同じ時期だった為、そのまま私が更新を続けて住んでいる。姉の美香は、ストレートで教員採用試験に合格し、晴れて家庭科の教師となって、今年で三年目だ。

 東中野は新宿に二駅と便利なわりに、近所には、昔ながらの豆腐屋さんやお肉屋さん、それに銭湯やお寺がいくつかあり、駅から続くギンザ商店街には、大きいスーパーからいつも負けてくれる八百屋さん、電気屋さん文具屋さんお茶屋さんまで、何でも揃っているので結構気に入っている。

 私は先程からドリンクバーだけを注文して、週明けに提出予定の応用物理学実験のレポートと、関数電卓をたたきながら格闘していた。

 このファミレスは山手通りと早稲田通りの交差点の一角にあり、すぐそばには地下鉄東西線の落合駅もある。日中は洋楽ポップ、夜はジャズが流れるのが好きで、よく利用しているのだ。

 店内は、夕食にはまだ少し早い時間だからか、空席がまばらにあって、しばらくは店員の目を気にせずレポートに打ち込めそうだ。

 今回の三週間に渡って行われた実験テーマは「ホログラフィー」だった。真っ暗い部屋で、レーザー光を物体に当て、その回折と干渉の性質を利用して虚像を浮かび上がらす、といった内容だ。

 私は懐かしく思い出していた。一年の夏休みに松崎とディズニーランドに行ったとき、「ホーンテッドマンション」を見終わった後、松崎が私に熱心に説明してくれたことを…。

「これはホログラフィーとは違うかな、ハーフミラーのトリックだね。ホログラフィーってのがあってね、それは、こんな風に虚像を浮かび上がらせる技術なんだけど、仕組みは全然違ってね。周波数や波長が微妙に異なる二つの光を同時に入射して、その干渉縞を記録してね、それにまたレーザー光を当てて、干渉縞による回折光を観察するんだ。そうすると、干渉縞には物体光の強度と位相の両方が記録されるから、立体になって見えるんだ。宇宙ってね、明在系と暗在系の二つからなる『二重構造』にあるんだよ」

 話しの内容はさっぱり分からなかった。ただ分かったことは、松崎は純粋に物理を愛しているということだった。

 ドリンクバーを取りに席を立った。引き出しから新しい温かいカップをとる。さすがに十月末ともなると冷たい飲み物には手が出ない。

 このファミレスは、聞くところによると、もともとはコーヒーショップから始まったということで、コーヒーにはこだわりがあるらしく、確かに香りも良く味わいがある。

 さっきから煎茶ばかりだったので、今度はカフェラテにしようと思い、並ぶ。

すると、前の人…大学生らしい…が何やら悪戦苦闘している。どうやらボタンを押しても出てこないらしい。
五回ぐらい押しても出てこなくて、その人はちらっと私の方を気にして、

「なんか、出てこないんですよね…」

 と苦笑する。

 私はハッとした。その人の横顔は、私が高校時代三年間片思いだった須藤にそっくりだったのだ。
白いシャツのボタンを上二つ外し、茶色の細身のズボンを履いている。首には女性的な細い銀のアクセサリーをつけている。

「すみません、カフェラテが出てこないんですが…」

 その人は通りがかったウエイトレス呼び止める。

 ウエイトレスはしばらく機械を確かめた後、

「これで大丈夫だと思います」

 と言い、ボタンを押すと、勢いよくカフェラテが出てきた。

 私はウエイトレスが作業をしている間、ずっとその人の横顔から目が放せなかった。もしかして須藤本人かもしれないと、くるっとふりむいたところを正面からぬすみ見ると、やはり須藤ではなかった。それどころか、切れ長の二重まぶたの目、整った鼻と口、身長は175センチぐらいだろうか、須藤より二枚目だ。私は席へ戻るその人の後ろ姿を思わず目で追っていた。スラッとした長い足、小さいお尻、なんとも優雅な歩き方だ。

 私は無意識に煎茶のティーパックを破り、そこへカフェラテを注いでしまった。慌てて煎茶を取り出し捨てる。

 席へ戻り、しばらくぼうっと辺りを見渡した。すると、右斜め前方にさっきの彼が…。ほおづえをつき、片手にもった本に目を走らせている。表紙には「ランボー詩集」と書いてある。その表情は、涼し気で、まるで周りの空気がミント色に染まって見えるようだった。明らかにファミレスにはふさわしくない、まるで静寂な湖のほとりにいる少年のような表情であった。

  私は、少し距離があることをいいことにして、しばらくの間その人を観察した。レポートはうわの空だった。カフェラテを飲むしぐさも、これ以上ないほど優雅だ。その人の飲むカフェラテだけ、本当に、イタリア仕込みなんじゃないかとさえ思えた。


 20分程経っただろうか、その人は腕時計をちらっと見て、おもむろに本を閉じ、黒いショルダーバッグにそれをしまい、席を立った。

 私は、私は…後を追いたい衝動にかられた。本当に、もし机の上がこんなにいっぱいじゃなかったら、そうしたかもしれなかった。でも当然のことながら、席を立つ勇気はでなかった。

 窓の外に視線を移す。会計を済ませたその人が、交差点で信号待ちをしている。私は、その人が視界から消えるまで、ずっと、ずっと、見つめていた。


 家に着いたらちょうど七時のニュースが始まったところだった。あれから結局レポートは手につかず、すぐ帰ってきてしまったのだ。

「今日、午後1時43分頃関東地方で強い地震がありました。そのため交通機関に大幅な乱れが生じました。現在も一部の路線で運転を見合わせています……」

 大隈庭園を出てラウンジへ向かう途中、グラッと揺れたように感じたのは気のせいではなかったのだ。

(山手線も総武線も動いてたけどなぁ…)

 さっき、近所で帰り道に買った豆腐と豚肉で、手早く炒め物をして、冷凍していたご飯をチンして、ニュースを見ながら夕食を食べる。

 ニュースをぼんやりと眺めながら、頭の中はカフェラテの彼でいっぱいだった。それと同時に、須藤を好きになった時の、言いようもない切なさが甦ってきた。

 高校のアルバムを取り出す。何回も開いて跡がついた三年F組のページ。須藤とは一年だけ一緒で、あとは別のクラスになってしまった。こちらを正面から見て微笑んでいるその大好きだった人に、あんなに似た人がいるなんて…。

 皿を流しに置いて、お茶も淹れずに私は、高校一年の時須藤から薦められて買った、ミスチルの『花』を久しぶりに出して、ロフトに持っていって聴いた。

 音量を大きくして布団をかぶって電気を消して、聴いた。涙が出てきた。心の隅っこに確かに封印したはずの、あの感情…。

 何回もリピートして聴いているうちに、心も体も高校一年の教室にワープしていた。



 どれくらい眠っただろう。気がつくと、11時を回っていた。藤の湯は0時半までだ。私は週に1~2回、近所にある銭湯藤の湯を利用している。と言っても銭湯に通い出したのはごくごく最近、今年の九月ぐらいからだ。

 松崎とのデートが減って、無意識に自分の楽しみを探していたからかもしれない。銭湯に行けば、少なくとも寂しさは紛れるから…。

 藤の湯は最近リニューアルして、浴室はもちろん、脱衣所やお手洗いもきれいになって、待合室にも大画面のTVが入った。今日は、大きなお風呂につかって、色々なことをゆっくり考えたい気分だった。

 L.L.Beanの濃紺のフリースを着込み黒いマフラーをして、いつもの銭湯セットを持って家を出る。

 アパートの端に植えられている金木犀は、いつのまにか花が散ってしまった。

 私のアパートから藤の湯までは、ものの2~3分だ。ゆるやかな坂を上りきったT字路の奥がお寺、左角がコンビニ、右角が藤の湯になっている。歯磨き粉をきらしていたのを思い出し、まずコンビニに寄った。週刊誌も読みかじる。

 ここは、家族経営で、いつも受付には40代過ぎの、おせじにもダンディとは言えないが見るからに人のよさそうなおじさんが座っている。

 私がささやかながら気を遣っていることがある。それは、おつりの出ないように、必ず400円玉4枚を用意して行くことである。何故そんなことにこだわるかは、たぶん田舎の母の影響かもしれない。

 福島に帰省すると決まって行く温泉がある。そこでは、両親はもうお得意さんになっていて、通常500円のところをいつも400円で入れてもらっている。

「だからおつりをもらったら申し訳ないでしょう」

 と言って、母は必ず小さなお金を用意して行くのだ。

 藤の湯では、安くしてもらう訳ではないが、その母の習慣を私もまねているのだ。

 夜も11時を回ると、さすがに学生の時間帯になる。

 私は、自分と同年代の女の子が、どういう普段着を着て、どういう下着を身に付け、どういうシャンプー、洗顔フォーム、化粧水を使っているのか、といった事が、ここに来ると良く分かって、とても安心するのだ。それから、同年代の子の裸を見るのが、知らない人だからか、好きだった。プロポーションのいい子は、密かにチェックしたりしている。そういう子の使っているボディーソープをまねして購入したこともある。

 浴室には全部で四人いた。いずれも私ぐらいの歳の子だ。

『本日の湯』のコーナーは、今日は『コーヒー風呂』だった。

 髪を洗い、化粧を落とし、体を洗い、浴槽につかった。ゆっくりと目を閉じ、泡のボコボコという音に身を委ねる。

 夕方の出来事が脳裏に浮かんだ。あの人もやはりこの辺りに住んでいるんだろうか。大学何年生かな。ランボーの詩集読んでたから文学部かな……。

 それにしても明日は土曜日だというのに松崎からは何の連絡もない。彼とは、親も公認の仲だし、いずれは結婚も…とぼんやり考え始まっていたけれど、研究に没頭する彼を、手放しで応援もできず、末っ子根性かもしれないが、もっと構ってもらいたくて寂しかった。

 1・2年の頃はよく大学の周辺でも、空き時間などに暇さえあれば、ちっちゃなデートをしていた。公園とか、川沿いとか…どうってことのない小道を、二人でただ歩くだけで、とても楽しく感じられたものだった。それが今では…。

 たぶん、恋愛に対する温度差が違うのかも知れない。


 ずいぶん長い間入っていたのだろう。気がつくと、他の四人の姿はなく、大きな浴室に私だけになっていた。時計を見ると0時を回っている。

「まだ大丈夫じゃん」

 入場は0時半までだが、閉まるのは1時だ。

 誰もいないことを分かって、少しかえる泳ぎをしたり、ラッコみたいにくるくる体を回してみたりした。とは言っても、手や足の指もふやけてきたので、上がることにした。

 脱衣所にはまだ一人いて、その子は初めて見る顔だったが、キュートな人だった。濃紺に銀の縁取りのしてあるブラジャーをして、腰から下にはイヴ・サン・ローランの大きなロゴのバスタオルを捲いて、ドライヤーで髪を乾かしていた。髪には軽くウェーブがかかっている。

 私はその子を横目で見ながら、さっと服を着て、髪はタオルドライだけにして一つに束ねて、その子より先に脱衣所を出た。

 待合室の大画面には、今日のプロ野球のハイライトが映し出されていた。

 人は2~3人いた。いずれも学生風の男の子だ。

 私は横に揃えて置いてある新聞を取り、第一面に目を通す。

 90円で瓶のコーヒー牛乳を買って飲む。

 新聞を返しに席を立った、その時だ。前に座っている男の子に目が止まった。そうだ、間違いない、夕方の彼だ。

「あれ?さっきファミレスで、あのカフェラテの…」

 私はとっさに話しかけた。あの人だった。

「ああ、先程はどうも」

 彼は真っ白い歯をみせて、恥ずかしそうに笑った。

 よりによってこんなところで再会するなんて…。こんなことならもっと入念にドライヤーして、まゆぐらい描いてくればよかった。さっきの子のように…。

「この辺りに住んでるんですか?」

 私は会話をとぎれさせたくなくて質問した。

「ええ、コンビニの裏手です。今日、地震ありましたよね」

 言葉には、少し訛りがあるようだったが、その声はきわめて爽やかで、上品な響きだった。

「あ、そうそう、千葉県沖が震源だったらしいですよ」

 私は七時のニュースを反復して言った。
 コンビニの裏手ということはすごく近所ということになる。

 私はまたも質問した。

「あの…学生さんですよね?」

「はい、早稲田の一年です。失礼ですが…」

「ああ、私は、近くの女子大の三年です。早稲田のサークル入ってるから早稲田にはよく行きますよ。今日もお昼いました」

「何て言うサークルですか?」

「ベジェッサ西早稲田っていうフットサルのサークルなんだけど…」

「あれっ、そしたら小林早苗さん知ってますか?」

「え?知り合いなの?もちろん知ってるわよ」

 小林早苗。池上雄一郎の彼女で、大柄で関西弁の、頭がキレる豪傑だ。基本的には同じマネージャーで仲はいいが、有名進学塾で講師のバイトをしたり、マスコミ系サークル活動に勤しんだりと、彼女の行動エリアは広く、とても同じ三年生と思えない、別世界の人間という印象がある。彼女の前だと、どうしても卑屈になってしまうのだ。

「それならあなたは早苗と記者クラブで一緒なんですね」

 早苗は、一年の時から「記者クラブ」というサークルをかけもちしていた。

 ショックだった。早苗は、この美少年と四月から知り合いだったとは……。

「お名前教えてもらってもいいですか?」

 私は丁寧にお願いした。

「高村優っていいます」

 私も自己紹介しようとした、その時、先程脱衣所で一緒だった子が、高村くんの方へ向かってきた。

「ごめん、遅くなって」

 浜崎あゆみみたいな、ハスキーな声だった。

 え?知り合い?

  「…」

 高村くんは下を向いて、また恥ずかしそうに笑った。

「それじゃあ、おやすみなさい」

 はぎれのいい声で、高村くんが礼儀正しくお辞儀をした。私もぺこんと頭を下げ、

「おやすみなさい」

 と言った。それがやっとだった。

 後ろでハスキーボイスの彼女が、私が知り合いかを詰問している声が小さく聞こえた。


 あの子は、高村優くんの彼女さんに違いない。

 残っていたコーヒー牛乳を、水道にジャっと流して、ため息をつきながら、ゆっくりとかがんで瓶を置く。

 よりによってあんな美人さんが彼女だなんて。絵に描いたようなスーパーカップルじゃないか。
 
 私はバッグから木の鍵を取り出し、夏にバーゲンで買った派手なサンダルを履いて、ズルズルと歩き出した。

 ぬれ髪が風にあたって、すごく寒かった。


                                  (つづく)




連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.1

2008-10-22 17:54:06 | 連載小説

  

  11月も、あと一週間となった。
 
  わたしは、3年前、この季節から始まる小説を書きました。

  あまり、人に見せたことがなかったけれど、今回、少しずつ連載させてもらいたいと思います。

  大学時代、社会人になってから、出会った人がモチーフになっているところもあります。ただ、事実とは無縁のもので、あくまで架空のお話です。が、もしも、心外に思う方がいらっしゃいましたら、直ちに中止しますので、メッセージ頂きたく、はじめにお断り致します。


 それでは、秋の夜長に、もしお時間ありましたら、ぜひ読んで下さいね。




  小説 「冬枯れのヴォカリーズ」 Vol.1      (全vol.32)


 つんとした青空に黄色の葉が映える、私が一年中で最も好きな季節がやってきた。
 教室の窓から見えるその欅の大木に、よく見ると、先程から三羽のシジュウカラが枝に止まって、くちばしをつつき合っている。

「一羽はヒナかな?今の季節にしては珍しいな…」

 などと、ぼんやり思いながら黒板に目を移すと、教科書は既に二ページ進んでおり、慌ててシャープペンを走らせる。

「P141 7.2.1 シュレディンガー方程式の不変性…」

 正直言うと、量子力学2の授業は、もはや私の頭では考えられない、それこそ雲をつかむような内容になっていた。

 今に始まったことではない。大学一年の頃は、まだ高校の延長のようで、力学にしろ、物理学概論にしろ、微・積分にしろ、なんとかくいついていくことができた。いや、物理学概論ではA+までもらったし、自分は数学・物理の分野で一角の人間になれるんじゃないか、など大それた考えもしたものだった。

 それが二年になると電磁気学でつまずき、今、三年の後期となって、この量子力学2の授業は、退屈以外の何ものでもなくなっていた。
  しかし、こうして、内容は分からずとも、とりあえず出席して、窓の景色を眺めている、こんな時間が実は嫌いでもなかったりする。
                            

  「理美、お昼どうする?」

 授業が終わり、ザワついた廊下で奈歩が聞いてきた。

「うん、三限空きだから坂下って食べてくるわ。奈歩も行く?」

「もち!」

 高木奈歩とは大学一年からの大親友で、時間割もほとんど一緒なのでこういうことができる。それに対して緑…永井緑は、数学を専攻したので、三年になってめっきり時間が合わなくなってしまっていた。

 私の大学は東京の文京区、目白台という所に建っている。私のいる理学部は、数学・物理系と化学・生物系、二つの学科があり、私たち三人はいずれも前者だ。

 この周辺には学校が多い。坂を下ると早稲田大学があり、奈歩と緑と私は、インカレの『ベジェッサ西早稲田』というフットサルのサークルに、一年の時から所属している。

 だから、松崎大志のことも、奈歩と緑は、私たちが付き合い始めた頃からよく知っている。

 松崎とは、一年の四月に新歓コンパで知り合って以来、その夏ぐらいからは、もうサークル公認の仲になっていた。同じ三年生だ。

 松崎は、東京のど真ん中で生まれ育ったのに、すれたところがひとつもなかった。彼ほどにピュアな人間を、私は今まで見たことがない。自宅は白金台にある。南仏を思わせる白い壁とオレンジ色の屋根のマンションで、黒ねこがいる。名前は「ルル」という。

 松崎のお父さんは、山梨のぶどう農家の長男だそうだ。東大出で、なんでも半導体技術の開発で成功したということだ。
 お母さんは、浜松出身で、お父さんがヤマハの重役だったらしい。自宅で、ピアノの先生をしている。リビングに置いてあるグランドピアノは、結婚する時に親に買ってもらった、いわば嫁入り道具だ。

「ルルはいつもはりきって、近所をパトロールしているんだ」

 そんなことを松崎は、目をきらきらさせて、私に話す。


 私は、自分の大学から坂を下りて早稲田大学へ行く、そのほんの十分ぐらいのコースがとても好きだ。学校を『束縛』と例えるならば、ベジェッサ西早稲田は『解放』だ。

 奈歩との他愛もない会話も、この爽やかな秋空の下では、最高に気分がいい。

 坂の上から見えるマンションの中庭には、遅咲きのコスモスが一斉に咲き誇り、松の木には、大きな松ぽっくりがなっている。ほんとにここは東京の中心地だろうか、と疑いたくなる、そんな景色だ。

 坂を下りてすぐのところにドラックストアがあり、奈歩と私はよくそこでドリンクを買う。今日も立ち寄って、奈歩はお茶、私はスポーツドリンクを買い、店を出る。

 二分程歩くと、神田川にさしかかる。神田川沿いの桜の木も、一様に紅葉していて、早くもその葉を落とし始めているが、歩道にも道路にも落葉がほとんど見当たらない。きっと、この辺に住む人たちが、早朝に竹ぼうきで落葉整理をしているに違いない。

 ラウンジに着くと、池上雄一郎と小川修平が、私たちを迎えた。

「待ってました!」

 と、おどけた調子で修平が手を振る。

 修平は、中肉中背で、目は細いが愛嬌があり、髪型は坊主を少し長くした感じで、毛先を立たせているのがトレードマークだ。カラオケ屋でバイトしていて、彼のスマイルでお客さんも増えたとか。
 池上くんは、髪の毛は真っ黒で、耳が隠れるぐらいの長さで、目つきが鋭い。背丈も180近くあり、神楽坂でバーテンダーをしていて、学費も自分で稼いでいるしっかり者だ。

 口に出してこそ言わないが、奈歩は、このサークルでは指折りのマドンナだと思う。男なら、誰しも夢中にならずにはいられない、そんなオーラが奈歩にはあるのだ。身長は152センチしかなく、ぱっちりした二重まぶたで、色白で華奢な体つきだ。相手を自分の領域に踏み込ませない、そこんところに男は病みつきになるらしい。修平は可哀想に、すでに一年の時、振られていた。

 私は奈歩とは対照的で、身長は164センチあり、目は一重で、肌はけして白くはなく、太ってはいないと思うが、痩せているわけでもない。

 松崎はいなかった。少しホッとした。三年になってから彼は、専門の液晶ディスプレーの研究に日夜明け暮れていて、会えるのは多くても週一くらいになっていた。


「なあ、今日は天気いいから大隈庭園で食わねぇ?」

 と修平が提案したので、皆それに乗って、近くのコンビニでサンドウィッチやおにぎりを買って、庭へ向かった。

 大隈庭園は、今日も大繁盛だった。無料で入れる割に、上品に手入れのされているこの庭は、早大生はもちろんのこと、近隣の主婦やシニア層などにも人気がある。

 私たちは庭の中央付近に陣取った。芝生は、もう黄はだ色になっているが…。
 隣には主婦が二人、いずれも一歳か二歳ぐらいの子どもを連れて、立派なお弁当を広げて談笑している。
 前方には、つば付き帽子をかぶったおじいさんがいて、子犬を…あれはマルチーズだろうか…愛おしそうになでている。


「今日さ、オレ大失敗したんだよね。昨日夜遅くまで飲んでてさぁ、二限出席重視なのに遅刻してさぁ、ちょうどオレが教室入った時にオレの次のやつの名前呼ばれてて。なんかついてねえよぉ~」

 修平はいつもこんな調子だ。

「昨日の時点で誰かに代返頼むべきだったね」

 奈歩の意見はもっともだ。

 それからしばらくの間、皆秋晴れの空の下、自分の買ったものをほうばった。

 ふと、池上雄一郎が顔をあげた。

「そういや、永井は元気か?」

「それがねぇ、目白祭終わってからデンマにも来なくなっちゃって。ほら、彼女数学専攻だから授業でも会わなくなっちゃったし…」

 目白祭とは私たちの大学の文化祭の呼び名だ。
 デンマとは、奈歩と緑と私が所属しているデンマーク体操のこと。バレエや新体操やジャズダンスの基礎となったもので、NHKラジオ体操も、実はデンマーク体操が基となっている。

「でも、メールぐらいしてんだろう?」

「出してもさ、返事来ないんだよね…」

 と言って、私はため息をついた。

 「それはやばくないか?いつぐらいからだ?」

 いつもは平静を保っている池上が、珍しく目を見開いている。

「もう一週間経つかなぁ…」

 私たちの間では、ケイタイメールに一週間返事が来ないというのは、相手がかなり忙しいか、単に忘れているか、それでなければのっぴきならない事情があるか、のどれかだ。

「今日、夜電話してみるよ」

 私は、目白祭の発表会の為に、毎日のように練習していた八月、九月頃の緑を思い出していた。その時は忙しかったこともあって、あまり気にはしていなかったけれど、そう言えば緑は八月に彼氏に振られていた。
 それ以来、元気がなかったのは確かだ。緑に限って、メールの返事を忘れるということはまずあり得ないのだ。

 緑の彼氏というのは、緑が大人っぽいせいもあってか、15歳も年上の工藤勇哉と言うやつだった。

 工藤勇哉と緑との出会いの場には、私と奈歩も居合わせていた。

 一年の春休み、三人でフィリピンのセブ島に旅行へ行った時、旅先で知り合ったのだ。
 
 日本でなら、単なるナンパだったのだろうが、ビーチにいた時、ジェットスキーに誘われたのだ。南国の解放感も手伝って、私たちはすんなりと仲良くなった。
 夜もホテルのバーベキューに入れてもらったり、ショーパブなんかにも連れていってもらったりした。
 今にして思えば工藤は、始めから緑ねらいだったのだろう。それなのに最終日、私たち三人全員に、ティファニーのネックレスを買ってくれたのだ。


 急に風が吹き出した。主婦の一人が帽子を飛ばされている。
  私たちは急いで庭を後にして、ラウンジに戻った。  

                                                   (つづく)






 

最近の作品

2008-10-21 13:54:56 | Weblog

 ここのところ、約一ヶ月、二次会の幹事を任され、ずっとそれに付きっきりでした。

 とても、燃えました。自分に結構力があるなってのも分かって、嬉しかった。


 今日から、また平穏な日常です。

 今は、冬までに完成しようと思っている「ABCの本」のパーツを作っています。

 今日は、かめ、カギ、もも、りんご、さかな を作成しました。

 他のは、少し前に作ってあったものです。

 正直、下手だなぁとがっかりしますが、でも、
 いまの段階で、できるものを、とにかく作りたいなと思います。

 アクリル絵の具が、足りなくなってきたなぁ。。


結婚式二次会。

2008-10-19 23:44:19 | Weblog


  今日、代官山で、結婚式二次会があった。

 少し前のブログでも書いたが、今日は幹事だった。

 結果から言うと、大成功でした!!!

 ホント、でも、下準備は前提の上で、生身のものだなぁと実感。

 相方の司会者に、かな~り助けられました。

 今は、チャルメラ塩を啜り、ほっと安堵感に包まれています。

 明日からは、乱れた家整理&自分の時間を充実させたいです。

 小説の推敲を終わらせるのと、絵本の続きを…。

 それに、たまった日記も書きたいなぁ。

 あとは、衣替え、ですね。

 家事は、つい後回しにしてるのは、よくないと思う。

 やっぱり、主婦のプライドと言うのかな、
 誉められなくても、帰ったらきれいにして待ってる、そういう奥さんでありたい。

 今からでも、改善したいと思う。

 無理しなくても、少しずつでいい。
 理想の自分に、近づいていこう。

 

たのしいこと

2008-10-10 21:13:52 | Weblog


  最近、19日の二次会の幹事準備で楽しい毎日を過ごしている。

  企画が、昔から好きだった。

  小学校のときも、新聞係や広報など、中学でも生徒会などやっていた…

  夏休みの理科の実験とかも、すごい凝ったことを、凝り過ぎぐらいしていた。

  くも(生き物)の研究とか、野鳥の鳴き声の研究とか。
  何かで、賞ももらったり。


  こういう性分が、今に始まったことじゃないんだったなぁ、
 と振り返る。



  今回、景品抽選会を一手に引き受け、またまた凝り癖が出てしまい。


  例えば、今日はスタバカードと、お酒の全国共通ギフト券をGETしてきたのだが、

  スタバカードはかっこよくラッピングもしてもらえてよかった。

  が、次行ったお酒屋さんで、

  どうも、意にそわない(券のガラも包装も)されたので、
  一旦お金払ったのに、直後に断り、別な店に行き、買いなおした。

  あの店には悪かったが、

  思い切って断って、よかった。本当に。

  せっかく高額な買い物なのに、不満を残したらホント損だもの。


  2軒目のところは、券も可愛い冬っぽい水色で、ちゃんと箱に入れてくれて、包装紙もビリジアン系のカッコイイ色だった。

  やっぱ、妥協は嫌だし、よかったとつくづく思った。

  強く望めば、たいていのものは、ホントは手に入るのかもしれない。

  そうじゃないこと、それは、

  人の心だ。

  心の中には、いくら出したって踏み込めない領域がある。

  もっと、言えば、好きだと言う気持ちとか。
  好きなこと、嫌いなこと、苦手なこと。

  強く望むことが、自分の方向ともマッチしてて、はじめてそれは、
  自分に、引き寄せられてくる、そんな気がする。



所感

2008-10-05 20:32:37 | Weblog
 
  夜になって、雨が降り出した。

 今日までの2~3日の秋晴れを、カラ元気を、癒したくて
 空も、明るいときばかりじゃいられない。

  そう、人間も一緒で…。


  毎日が、淡々と過ぎてゆく。それでも、たまにはいい日もあったり。

  今日は、ある意味、そんな日だった。

  
  具体的に書くつもりはない。内輪の話だし、ややこしいし、聞いてもらってもつまらないかもしれないから。

  これだけは言っておこう。そう、人間関係だ。


  今日、わたしは、危機一髪でいいことができた。

  その結果を作れたのは、話す前に、一呼吸置いて、
  相手の立場、相手なら何を一番望んでいるのか を、
  相手になったつもりで 考えたからだ。

  それまでは、ただ一方的にまくし立てていた。
  自分がさも正しいように、すごいエゴ、傲慢さも顔に出ていたように思う。

  自分が嫌いだった、その時の。

  15分ぐらいして、なんとか打開策を考えたいと、真剣に

  そう、相手の立場になってみたんだ。

  それも、3人の。3人それぞれが別々に思い、別々な策を考えていたかもしれない。そう、わたしの1本の電話の前までは。

  わたしは、その電話をするのに、かなりの勇気が入った。

  もしかしたら、事態はさらに悪くなる可能性も十分あったし、丸く収まるかの自信は少ししかなかった。

 それでも、わたしは、電話をした。

 その電話の前の1分間が、とても大切だった。


 フタを開けてみると(電話が終わったときには)見事に、問題は解決されていた。



  相手優先で、すべて うまくいく。


  どこかで聞いた言葉を 思い出す。

  これでよかったんだ。自分の欲すべきことは、何も変わっていないのだから…

  その上、3人が 楽になった。


   けれど、逆に言えば、わたしが意地を張っていたおかげで そのうちの2人が嫌な思いをしたこと。もう1人も無理をしていたこと。

 無理と言うか、もしかしたら、本当にそうしたくて言ってくれたのかもしれない。

 けれど、現実には無理があったのは確かだった。



  誰が正しいか なんて ホントは 誰も 言えやしない。

  けれど、みんな 自分を正当化したい。
  そうだ、当たり前だ。


  なのに、わたしは、電話の前までのわたしは、

  みんなの正当化を、覆そうとしていたのだ。

  いや、そのうちの一人には、常にいい状態だったかもしれないが…


  それでも、本当のところは、やっぱり 分からないのかも。


  今日は、相手の立場になって物事を考えた方がいいし、スムーズだし、よく思われるし、うまくいく、

  と言うことを、肌で学んだ。

  そんな気がした。



  今日から、やっとオーディオが使えるようになった。

  旦那がスピーカーの位置をこだわりたくて、少し配線保留になっていた。

  結局 宮前平時代と同じ置き方になったけれど、

  いま聴いてるけど、すごくいい音。
  十分だ。

  まだまだ人生は長い。これからよくなっていく猶予があった方が楽しい、そう思えばいいじゃない?

  人生を 振り返る時間も 未来を見据える時間も

  あまりに 少ない。


  ほんとは、時間は 作ろうと思えば いくらでも作れるのに…

  少しは、自分の命の限界を知って、焦ったりする時を作ってもいいかもしれない。

  最近、まったく 漫然と過ごしていたから…。

  無理をせずに、無事に一日一日クリアすること、それは

  最善ではあるが、最良 では ない。

  少し、見直す必要はある。


  気持ちいいこと、楽しいこと、自分にいいこと。

  それだけじゃ、やっぱり、存在意義が問われる。

  主婦で、社会に貢献できてない、そう思うことはないけれど、

  やはり、自分が 何か影響を 誰かしらに 与えられて
  自分が、それによって元気になって…

  そういうもの、探していきたい。

  わたしは、人のために何かをすることが、とても好きなのが、
  少し前から知っている。


  だから、やはり、それは、実行すべきだと…

  まずは、足元の 家族 から…☆


  そう、今日のことみたいなことを、

  少しずつ…。



  そして、笑顔で 2009年を迎えたい。


雨は、小降りになったが、今夜いっぱい続きそうだ。

 いっぱい、泣いて、スッキリしたみたいな、

 明日の天気、期待しよう。












  




 
 

小さなことでも

2008-10-01 23:22:17 | Weblog


 嬉しいことが、多いと、楽しい日々が送れる。

 今日は、10月分の生活費が入って、景気よく、

 前から欲しかった「赤味噌」を買った。

 今日のメニューはまぐろ丼。自分で言うのもアレだけど…



 赤味噌の、大根と油揚げのお味噌汁、すごく美味しかった!


 あとは、キッチンバサミも購入。

 ホントは自分の創作用に買ったんだけど、
 のりを切るときに出して、そのままキッチンバサミにしようと決意。
 
 まさ、300円程度だし、また同じの買ってもいいだろう。
 300円そこそこでも、いいはさみだった。

 値段は、必ずしも、満足度に比例しない、時もある。