RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
今日も、一日お疲れさま。

連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.28後半

2009-01-25 00:25:28 | 連載小説
    
  次の日から私は毎日のように母の病室へ通った。春休みはフットサルもデンマーク体操も活動はお休みだし、松崎と離れているのは少し淋しいけれど、今は母との時間を何よりも大切にしたかったからしばらく滞在することにしたのだ。

 病気には美味しい空気も大切だと思い、晴れている日は先生に許可をとって、母と一緒に近くの『花見山』に散歩に行ったりもした。花見山は、春になると、ピンクや黄色のベールで包まれる素敵な場所だが、今はまだ全然咲いていない。  

 病室で母とさまざまな会話をした。

「…へぇー、インテリアコーディネーターの資格取ったのってお姉ちゃんが生まれた後だったんだ。どうしてインテリアコーディネーターになりたいと思ったの?」

 すると母は目を細めて、窓の外を見ながら、こんな話を始めた。

「そうねえ、理美ももう大人だし…。お母さんね、仙台の女子大だったでしょ。大学四年間はテニスサークルに入っていたの。お父さんに出会う前よ。理美と同じように一年に入って間もなく恋人が出来てね。東北大学で建築を学んでいた人よ。彼はただものではなかったわ。すごく深い知識があって、建築の歴史とか構造や設計のね…。ありとあらゆる話をしてくれて、将来の夢も語ってくれた。とにかく刺激的でね。インテリアコーディネーターを目指したのは彼の影響だったの。お父さんにはもちろんこんな話したことないけれど。大学四年間は彼一色、ずっと一緒だった、何をするにしてもどこへ行くにしてもね。でもね、彼は卒業と同時にスペインに留学してしまったの。お母さんは彼の探究心には勝てなかったのね。遠距離恋愛って今はメールとかあったりするけれど、当時はお手紙だけで。お母さんは沢山書いたけれど、返事はだんだん少なくなっていってね…。結局自然消滅っていう感じで終わってしまったの。そんな寂しい毎日を送っている時にあなたのお父さんに出会ったの。当時お母さんは東北大学の学生課で事務のお仕事をしていたんだけど、お父さんは大学院生だった。ある日仕事が終わって帰ろうと校門を出ようとしたらお父さんが待ち伏せしていて、それが知り合った始まりでね。お父さんはとても優しくてね。お父さんとの出会いで、彼との惜別の寂しさはだんだん薄れていった。お父さんは仙台郊外の温泉とか山とかいろんな所に私を連れて行ってくれたわ。そうしてお父さんと一緒になってあんたたちが生まれて…。こんな風になってから一人でいろんなこと考えちゃってね。死ぬ前に、もしも彼に会えたら…なんて、ね」

 私はその話を聞いて目を見開いた。高村くんは前にお父さんは建築をやっていて、東北大だって言ってなかったか?グレン・グールドのことにしてもおばあちゃんちが福島の双葉って言ってたのも偶然過ぎる気がした。

「お母さん、昔の恋人って何て言う人?」
 と私は真剣に聞く。

 すると母は、そんなこと言ってどうするの?的な笑いを浮かべながら、

「須藤さんって言う福島の双葉出身の人だったんだけどね」  と言う。

  「!?」

  須藤…?

 「今はどこで何をしているのかしらね。きっと腕のいい設計士として働いているんじゃないかしら」

 「……。」

  売店に行ってくるとうそをついて病室を抜け出し、即座にケイタイを取り出し、ためらわずに高村くんにメールを打つ。

  「ちょっと変なこと聞くけど、高村くんのお父さんって福島出身?双葉におばあちゃんいるって言ってたよね?」

 今まで高村くんにメールを打つ時はいつも考えて出していたけれど、あまりにも急いでいたし、興奮していたので、文面を整理したりなどする暇はなかった。  

 二~三分して返事が来た。思いきって受信箱を開く。

「夏木さんお久しぶりです。そうですよ。オレの母が高村建設の一人娘で、父が婿養子として入ったんです。どうしてですか?」

「お父さんの旧姓のお名前は?」

  「須藤といいます」 

 頭を一発ガーンと殴られたようなすごい衝撃だった。

「それじゃもしかして高村くんの親戚に須藤裕昭っていない?」

「あれ?どうして裕昭のことをご存知?いとこですよ。福島のおばあちゃんちで小さい頃よく遊んでました。夏木さんもしかして同級生?」

 私は、偶然が立て続けに起こって頭がグラグラする。お母さんの昔の恋人が高村くんのお父さんで、高村くんと須藤がいとこ同士…。


 その日は床に入っても眠れなかった。ずっとずっとその事実を考えていた。被爆したおじいちゃんっていうのは母方のおじいちゃんだったのか…。須藤と似ていたのは他人の空似ではなかったのか。 高村くんと私が出会ったことは、もしかしたら必然だったのではないか。母が高村くんのお父さんと会えるように、神様がお膳立てをしてくれたんじゃないか。

 
 あてどもなく考えていたら、いつのまにか空が白んできた。牛乳配達のバイクの音が小さく聞こえた。


 翌日は土曜日だったので私は父を映画に誘った。母の話を聞いて、なんとなく父が可哀想になったのだ。

 観た映画は話題作の『たそがれ清兵衛』だった。福島フォーラムではなかなかいい映画を上映する。父と映画を観に行くなんて本当に久しぶりだったから、隣の席に座るだけで、なんだか妙な気分になった。

 幕末に生きた名もない下級武士とその家族の物語。しんみりする映画だった。


 映画館を出て、須藤との最後のデート場所だった喫茶店に父を連れて行くと、喫茶店は美容院に変わっていた。



連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.28

2009-01-16 11:13:24 | 連載小説

    

       §  


1月も終わりに近づき、ホームセンターにも水仙やチューリップの鉢植えが並ぶようになった。

 1月31日の金曜日、最後の試験を終え、東京駅へ直行した。  新幹線の中で、特に読書にも集中できずに、ディスクマンでCDを聞きながら、車窓からの風景をただぼんやりと眺めていた。この間東中野の新星堂で買った『ヴォカリーズ』が収録してあるクラシックのCDだ。病室で聴くといいかなと思って、母に同じものを買って持ってきた。
 高校の時に母が乳ガンと分かった時のショックとは、また別な、もっとこう、すごく重たくて暗い感情が自分の中にあって、やるせない思いでいっぱいだった。ヴォカリーズの切ないメロディーが私の心の中とオーバーラップし、小さい頃の母の元気な姿が走馬灯のように頭の中に映し出される。

  見渡す限りの真っ白い荒野。太陽は厚い雲に隠れて見えない。生き物の気配が全く感じられず、木々も無言でじっと寒さを耐えるようにして立っている。母は数か月間誰にも言わずに、痛みに耐えていたのだろうか。

 福島駅に着いて、新幹線のドアが開くと、お正月の時よりもっと冷たい風がビューっと舞い込んで来た。私はマフラーをぎゅっと握りしめ、改札へ向かう。  改札には父と姉が迎えに来てくれていた。二人共、その表情に笑みはない。ただ、姉の美香はかなりしっかりした表情をしていて、私を見つけると、手を振ってくれた。

  「今日は面会時間過ぎてるから、お母さんには明日会いに行きましょう」
 と姉が言って、車に乗り実家に向かう。

  「お兄ちゃんにはまだ伝えてないの。国際電話何回もしてんだけど繋がらなくて」
 兄の厚太は、ここ数年帰国していない。

 姉は家庭科の先生をしているだけあって料理が上手い。実家に着くと、早速鍋やフライパンに火を点ける。夕飯の下ごしらえをしていてくれたらしい。

「すぐできるから、理美ご飯分けといてくれる?」

 母のいない食卓。考えてみたらすごく珍しいことだ。父や私たち兄妹が欠けるとしても、母が欠けることは滅多にない食卓だった。姉が帰ってきてくれて父は助かったようだ。父は野菜を作るのはうまいが、料理の方はさっぱりだからだ。  父が重い口を開けた。

「美香には少ししゃべったが、お母さんはだいぶ悪いそうだ。検査結果はひどいもので、肺や首のリンパ節、骨にまで転移していて、手術はしたが本当はもう手遅れだそうだ。お父さんが悪かった。一番傍にいたのに気付いてやれなかった。お母さんは我慢屋だからなぁ。医者の話では、最低半年前にはもう再発していたと言うんだ。夏に、よく疲れていたのは、今にして思えばあの頃にもう再発してたんだな」
 父は無念そうだった。

「助からないのに手術したの?何それ?体をただ切り刻んだだけなの、ひどいじゃない」
 私が激怒すると、父は静かに、

 「中を開けてみて、予想以上の広がりだと分かったそうだ。結果的には無駄な手術だったとは言っても、治そうとしてのことだったのだから、責めてもしょうがないだろう」
 と一語一語噛み締めて言った。

 夕食の後片付けは私がした。茶わんを温かいお湯で洗いながら、

(お母さんはこうやって家事をしながら痛みをまぎらしていたのだろうか…)

 と、ぼーっと皿を洗う手を止める。

 温かいお湯が流れ続ける。母は毎日ここに立って、何を考えていたのだろう。自覚症状があったのなら、何故すぐ父に言わなかったのだろう。

 洗い物を終え、ケイタイを碓認すると、メールが来ていた。珍しく松崎からだった。松崎は自分から打ってくることはほとんどないのだ。

「理美ちゃん、今日だったよね、実家帰ったの。明日は、お母さんに明るい笑顔を見せてあげてね」
 松崎にしては長い文面だった。松崎なりに一生懸命考えて出してくれた、そんな気がした。すぐに返事を家打つ。

「ありがとう大ちゃん。そうするわ。でも、さっき父に聞いたんだけど、お母さん、もう手遅れなんだって。大ちゃんにせっかく励ましてもらったけど、私、本当は笑顔で会える自信ないよ」
 すると松崎がまた返事をよこした。

「そうなんだ…。理美ちゃん元気出して。しばらくはずっとお母さんに付いててあげて。オレもお見舞いに行くからね」

 次の日、父と姉と三人で母に会いに病院へ行った。

 病室は母一人だった。白い壁で、窓からは明るい陽の入る落ち着く部屋。  母は本を読んでいた。普段は仕事と家事で、好きな読書もできなかったのだろう。母にとってはしばしのやすらぎの時間になっているのかもしれない。けれども、治る見込みがあってそうなら嬉しい話だけれど、母は…。

 病室に入って、はじめにかけた言葉は、

「お母さん、大丈夫?」
 だった。なんでこんなことしか言えなかったのだろう。でも他に何と言えばいいのだろう。

  「あら、理美も来てくれたの?学校の方は大丈夫なの?お母さん、みんなに迷惑かけちゃってね…」
 母はこれ以上ないほど暗い表情をしていた。女の勲章である胸がなくなった悲しみに違いなかった。大変な手術だったから、傷口だってまだ回復してはいないだろう。母の表情を見て、思わず目頭が熱くなった。涙が溢れて止まらなかった。母も独りでは泣くことさえ忘れていたとみえて、私が泣き出すと大粒の涙をぼろぼろこぼして泣いた。

 母の身に、こんなことが起きるなんて誰が考えただろう。二十余年間三人の子供を育てながら、夢中で働いてきた母。心配症だけれど寛大だった母。大学で東京に来てからも、いつも心の中にいて頼りにしていた母。

 しばらく泣いた後、私は家から持って来たりんごを剥いて母に食べさせた。

 「病院の食事はね、味気ないわ。乳ガンには動物性タンパク質がよくないから、豆とか根菜類とかが多いの」

 母はそう言って、美味しそうにりんごを食べた。

 何も用意する間もなく即入院したからか、母は病院で支給された寝巻きを着ていて、それは薄い水色で、胸のところが肌けていてあまり母には似合っていなかった。

 午後、父と姉と、中合に買い物に行った。中合は福島のローカルなデパートで、高島屋ほどではないが、良い品を数多く取り揃えている。小さい頃は休日になるとよく家族で買い物に来たものだった。

 まず、お母さんの寝巻きを買った。肌着のコーナーは結構充実していて、数ある中から選ぶことができた。毎日着替えられるように三着、赤やピンクの細かい花柄のフリル付きの可愛いのと、落ち着いたベージュ色で胸の所にバラの花のプリントがされてあるのと、水色にラベンダーの模様がちりばめられているもの、を買った。

 それから、下着を数枚、…ブラジャーは買わなかった。母はきれいな胸をしていた。温泉に行く度に、お母さんのような胸になりたいと思ったものだった。  

 それからドラッグストアに行き、ティッシュボックスや綿棒、歯ブラシや櫛などの洗面用具、化粧水と乳液、手鏡、ペットボトルのお茶、ホッカイロなどを買う。

 最後に本屋に寄って、母に頼まれた本を探した。山崎豊子の『大地の子』上・中・下だ。  ガン闘病記の本にも目がいったが、買わなかった。

 病院に戻って、買った物を母に見せると、母は一つ一つ愛おしそうに手に取って眺めて、

  「お金使わせちゃったわね、ありがとう」
 と言った。

 早速買って来た寝巻きに着替えると、病人らしさはなくなり、とても明るい感じになった。

 父は、母がクラシック好きなのを知っていてか、家にあったCDを数枚持って来た。ブーニンのピアノ曲集と、モーツァルトの交響曲、グレン・グールドのバッハ小品集、それに芹洋子、さだまさしの歌集だった。私も持って来たヴォカリーズのCDを渡した。
 母は嬉しそうに、枕元のCDラジカセに、まずさだまさしの『帰郷』を入れて、スイッチオンした。

 窓の外を見ると、雪が降ってきた。私は雪を眺めながら、東中野のオシャレな喫茶店で高村くんと見た初雪を思い出した。あれから確かまだ二か月ぐらいしか経っていないはずだけれども、随分遠い昔のことのように思える。そう言えば高村くんには母の病気について話したことはなかった。なんとなく、身内のことを話す空気が彼との間にはなかった。高村くんの前では、いつもどこかで無理をしている自分がいた。無理と言うか、かっこわるい部分は見せたくないと思っていたんだろう。  母がこんなことになって、頼れるのはやはり松崎だった。松崎にはいくらかっこ悪いことでもさらっと言うことができる。泣き崩れることだってできる。松崎はどっしりと構えていてくれる、受け止めてくれる。

 その後、父が先生に呼ばれて出て行った。きっと手術後の経過や今後のことを話されるのだろう。

「理美は最近ピアノがんばってるわね」  と母が言うので、

「うん、目白の教室で習っているよ。月三回のレッスンで練習室使い放題で一万円なんだ。今井先生って言う盛岡出身のすごくいい先生だよ。今はベートーヴェンのソナタ『テンペスト』の第三楽章を練習中なの。悲壮感の漂う素敵なメロディーでね。松崎くんのお母さんがピアノの先生だから、上手くなって誉められたくて」
 母に自分の好きな人の話をするようになったのは松崎が初めてだ。

 母は、小さい頃からピアノを習わせてくれた。私がピアノができることを誇りに思ってくれていて、最近、自分も町のヤマハに習いに行き始めていたそうだ。そんなことは離れて住んでいたから全然知らなかった。

「へぇーそうなの?お母さんすごいじゃん」
 私は、母が余生の楽しみに始めたピアノを、

(これからもっと練習してどんどん色々弾けるようになったら楽しいね)
 と言いたかったが、どうしても言えなかった。母の体を蝕んでいくガン細胞が憎らしくてたまらなかった。

  こんなに豊かで平和で、最新技術が次々と生み出されているこの世の中で、なぜガン細胞をやっつける薬は開発されないのか不思議でたまらない。そんな薬があるなら借金してでも手に入れるのに…。
 お父さんはどこの本で読んだのか調べたのか医者に了解をもらい、ビワの葉の煎じたお茶や、アガリクスというきのこを乾燥させて粉末にしたお茶などを与え、母はそれを素直に飲んでいる。
 手術後しばらくして始めた抗ガン剤は副作用があった。口に三つも口内炎ができたり、髪の毛が抜け落ちたり、吐き気がしたりするという。そんな薬本当に大丈夫なんだろうか。  母はそれでも、驚く程の集中力で『大地の子』上・中・下を、なんと十日間で読了することになる。

 家に帰り、松崎に電話した。

「お母さんの手術は無事終わったよ。でもこの手術ですべてのガンを取り除くことは出来なかったみたいなの。ガンは相当進んでいて、もう助からないんじゃないかって…。まさか、こんなことになるなんて…」

 私は電話口でワッと泣き出した。

「だから、前から約束してたスノボーも行けないわ。ごめんね」

「そんなこと全然気にしないくっていいよ。スノボーはオレの友達誰か誘って行ってくるからさ。心配しないでお母さんに付いていてあげて」

 松崎の言葉は温かかった。




連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.26,27

2009-01-04 21:30:42 | 連載小説
   

       §


   最近は東京でも、たまにまとまった雪が降るようになった。

 その週の土曜日、二時に松崎と西早稲田の本屋で待ち合わせをした。

 ありがたいことに松崎がテスト勉強に付き合ってくれるのだ。量子力学や熱統計力学や物性論は持ち込み可なので何とかなるにしても、流体力学だけは超辛い先生に当たってしまった上、遅刻欠席が多かったから、実力を付けて臨まなければならないのだ。
 
 店内には心地よいムード音楽がかかっている。テスト前だと言うのに雑誌を二冊も衝動買いしてしまう。バッグにそれを閉まったところでちょうど入り口に松崎の姿が見えたのでセーフだった。

「なんか買ったの?」
 と聞かれて、苦笑いする。

 夏目坂を少し登るとそのファミレスはある。いつも早稲田生で繁盛していて、今日は特に混んでいたけれど、五分程待つと通してもらえた。松崎は私とレストランや喫茶店などに入る時には、いつも合わせて禁煙席にしてくれる。

 分からないところは、まるでパン工場の機械のような軽快さで次々と解決していった。松崎はもしかしたら教師にも向いているかもしれない。

「粘性のある液体の出題はまずないから安心していいよ。ベルヌーイの定理は簡単に言うとエネルギー保存則の一種でね、例えば水が容器から流れ出す時に、他にエネルギーを失うことがないとすれば、位置、圧力、流れる速度が、途中それぞれ形を変えるとしてもエネルギー保存の法則によってその和は常に一定になる、っていうことを表した式なんだ。結局は力学なんだよね。理美ちゃん力学は結構得意だから、それとつなげて覚えると覚えやすいんじゃないかな…」

 松崎だって自分の試験範囲の勉強が気になっているだろうに、私の質問にみんな丁寧に答えてくれて、14時10分に店に入ってから、出たのはなんと夜の10時過ぎだった。

 店を出るとビュッと冷たい風が吹いた。松崎は去年プレゼントした手袋をして来てくれた。駅までの短い間がっちりと手を繋いで身を寄せ合って歩いた。

「今日よかったら泊まって行かない?」
 馬場に近付いてきたので言うと、松崎がいいよ、と言うのでそのまま乗り続け、落合駅で降りる。

 テストのことでむしゃくしゃしていた気持ちが、松崎の柔らかな肌に触れ何度も口づけしていたら、ストレスはいつの間にかふっ飛んで、気持ち良くセックスした後、ぐっすり眠った。  

    


      §

 テストまであと一週間と迫り、色々慌ただしくなってきた。

 そんなある日、二限の授業が終わって奈歩と学食へ移動していた時、珍しく父のケイタイから電話がかかってきた。

「理美、驚かずに聞いてくれ。お母さんが入院することになった。昨日、検査結果が出てそのまま緊急入院になった。悦ちゃんのいる福島千寿病院だ。手術は来週の水曜日に決まった。理美は授業いつまでだ?」

 悦ちゃんというのは叔母にあたる母の末の妹で、看護婦をしている。お父さんは冷静だったが、その声には張りがなく乾ききっている。
 嫌な予感が的中した。

「…わかった。でも私来週から二週間テストなんだ。1月31日金曜のテスト終わり次第帰るから。転移してるの?」

「…とにかく、試験が終わったらすぐに帰って来るように」

 私はただ、「分かった」と言って電話を切った。

  お母さんが乳ガン再発……。

 学食でのお昼にものどが通らず、半分以上残す。

「乳ガンってさ、患部を取ってしまえば20年だって生きられるって言うじゃない?きっと理美のお母さんも大丈夫だって。元気出して」

 奈歩はそんな風に励ましてくれたが、私は、お正月の姉の話や、夏に免許を取りに戻っていた頃の母を思い出していた。そう言えば母は夏の時点で何度か、食事も作れず疲れて寝たりしていた。その時は単に仕事がハードで疲れているのだとばかり思っていたけれども、あの頃既に再発していたんじゃないだろうか…。  私は奈歩を待たせ、姉に電話した。

「お姉ちゃん聞いた?うん、お母さんが…。わかった。私はテスト期間に入っちゃうから帰るの1月末になっちゃうんだ。うん…」

 姉は既に知っていて、もう実家に向かっているところだという。

「理美、乳ガンを患っても、何十年も生きている人っていっぱいいるって聞くわよ。きっと理美のお母さんも大丈夫だって」
 奈歩がまた励ます。

 私は、母が、夏にはもう再発していたのだと碓信し、いても立ってもいられなくなった。自覚症状はきっとあったはずだ。自分のこととなると誰よりも我慢強い母のことを思い、眉間に皺を寄せる。

「夏に帰ってたじゃん、私。その時、お母さん、よく疲れた疲れたって言ってたんだ。あの頃から既に乳ガン再発していたんじゃないかって思うの。ということはかなり進行しているんじゃないかって…」

 その週は、勉強にも身が入らず、早めにアパートに戻って、普段好きな音楽もかけずロフトで過ごした。夕食を食べるのも忘れていた。

 松崎にメールしたら、平日なのに東中野に来てくれた。

「理美ちゃん、元気出して。そんな顔で実家に帰ったらお母さんをがっかりさせてしまうよ」
 松崎は優しかった。肩を叩いて後ろから抱き締めてくれた。それだけで不安は随分とれた。

「オレの親戚のおばちゃんで、乳ガンになって手術した人いるけど、手術から10年ぐらい経つけどピンピン元気だよ。理美ちゃんのお母さんもきっと大丈夫だよ」
 みんなそう言うんだ。乳ガンは大丈夫だって。でも母は再発なんだ。だからもう、手遅れなんじゃないか…。

 あんなにバリバリ元気に働いていた母が…。まだ50前半だと言うのに…あんまりじゃないか。

「前にも言ったけど、お母さんはもう五年前に一度乳ガンの手術をしてて…」

 「うん、分かってるよ理美ちゃん。とくかく理美ちゃんは疲れてるから休んだ方がいいよ。夕ご飯は食べたの?」
 食べていないと言うと、松崎はコンビニにお弁当を買いに行ってくれた。私が好きなコーンスープも買って来てくれた。お湯を沸かし、コーンスープを作ってくれて、私が食べるのをゆっくり見守って、食べ終わると、

「オレもテストだから、今日は帰らないといけないんだ。ごめんね。とにかく理美ちゃん、また何か心配なことあったらいつでも連絡しないと駄目だよ。な」

 そう言って、部屋の戸締まりを碓認して、おやすみのキスをしてくれて帰って行った。

 松崎はどんなことにも一喜一憂しない。あるがままを受け入れる。松崎の冷静で優しい言葉と心遣いで、だいぶ心が落ち着いた気がした。


  母がこんな風になって、今自分にできることはとにかく試験に全力投球することだと思っていた。母が病気と闘っていることを思えばこんぐらいの努力ができないでどうする?

 毎日寒かったけれど、早起きして東中野のファミレスに四日間通い、朝から晩まで猛勉強した。  

 試験初日、1月21日の朝は大雪だった。電車が停まっているんじゃないかと心配だったが、早めに用意して駅に向かうと電車は遅れてはいたものの動いていて、間に合う。

 トップバッターはLLの英語だったけれど、この単位はそれほど重要ではない。それから二週間のバトルが始まった。

 猛勉強した甲斐あって、心配していた流体力学も予想以上の出来で、なんとか必要単位は確保できそうだ。

 夕方、お父さんのケイタイに電話した。今日はお母さんの手術の日だ。手術は無事終わったということだった。七時間にもおよぶ大手術だったそうだ。両胸を切断し、卵巣を取り除き、肺、首のリンパ腺の腫瘍をできうる限り切除したのだそうだ。痛々しい母の体を想像し、家に帰っても何もできずにロフトで目を瞑った。



連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.25

2009-01-04 21:24:39 | 連載小説


     §

 冬休みはホントに短い。1月6日、再び大学が始まった。
 まず応用物理学実験のレポートを提出する。年末に片付けておいて正解だった。

 この日、なんと緑が島根から戻り元気な姿を見せてくれた。三人で喜び合い、学食のドリンクで乾杯した。緑は拒食症もすっかり良くなって、かえって少し丸くなったぐらいで健康そう。

「しばらくの間、目白のアパートにお母さんが滞在してくれることになったの。ほら、うちのお母さん早期退職して家でただいるから」

「それは安心だね」
 私は心からそう言った。

 大学は、テストを二週間後に控え、学生があちこちでテストの話をし、ノートをコピーしたり、プリントを渡し合ったりしていた。生協に4台あるコピー機は皆長蛇の列で、私も奈歩とコピーし合うものがあったけれど、一旦大学を出てどこかコンビニでしよう、と言うことになり、学バスを使わずに目白通り沿いを歩き、コンビニに寄った。その後目白駅前の喫茶店でお茶をした。

 二人共カフェラテを注文し、奈歩が席を取りに二階へ上がる。
 席について、一息ついたところで私が口を開いた。

「奈歩、私の危ない恋は終わったわ。私、ときめいていた。不安だった。こんなにも人を震える程好きになったのは、きっと後にも先にもこれが初めて。すごく、哀しい程嬉しい気持ち、そして純粋な気持ちを知ることができたように思う。だけどね、奈歩が言ってくれたように、松崎に言わなくて正解だったわ。って言うのは、彼に付き合う事は出来ないって言われた直後に松崎の実家にお邪魔して、初めて泊めてもらって、松崎とのこれまでのことを思い出して…。もっと大切にしなきゃ、彼だけを見ててあげなくちゃって強く感じたの。奈歩には感謝してる」

 一気に話して、カフェラテをぐいっと飲んだ。

「そうなるって分かってたよ。理美はいずれ松崎に戻るって。だって私、一年ん時から二人を見てるわけじゃん。二人には、見えないけど、その赤い糸っていうの?がちゃんとあって、しっかり結ばれているもの。私にはその糸がちゃんと見えるわよ」

 私は、奈歩とずっと友達で良かったと心の底からそう思った。
「奈歩、ホントありがとね」

 私は、自分の心が浄化されていくのを感じた。店内はとても明るく、隣にいた赤ちゃんの笑顔がめちゃくちゃ可愛かった。

「ところで奈歩は、井上くんとのクリスマスデートはどうだった?カウントダウン・ライヴも楽しかったよね」
 すると奈歩は嬉しそうに答えた。
「クリスマス・イヴを一緒に過ごしたの。彼がデートの内容を考えてくれて…。うまくやっていけそうな気がしたわ。カナダでの色々な珍しい話をしてくれた。例えば世界的な団体が経営しているファームに1か月滞在して、にわとりや馬のお世話をした話とか、マイナス40度の中で、まゆげを凍らせながら空一面のオーロラを見た話とかね。向こうの人は近所付き合いも盛んで、バーベキューとかホームパーティとかもしょっちゅうやってたんですって。もともと移民の多い国ってこともあって、外国人に対してとても理解があるのだそうよ」

 奈歩たちのこれからを応援したい気持ちでいっぱいだった。松崎と私もずっと続いていくとしたら、この四人はずっと離れないんだなと思う。大学生になる時に掲げた夢の一つに「生涯の友人を作る」っていうのもあったことを思い出していた。

 その日の夜アパートで爪のケアをしていると、メールが来た。なんと高村くんからだった。

「冬休み香港に行って来たんですが、夏木さんにちょっとしたお土産があるんですが、受け取ってもらえませんか?」
 もう会わないって言ったのに…。すごく迷った。しばらく考えた。

 無視できるほど、私は心が強くなかった。
「ありがとう。じゃあ今からあそこのコンビニに行くね。十分後くらいでいいかな?」
 私はマシな普段着に着替え、顔と髪を整え、赤いPコートを着てプーマのスポーツシューズを履いて家を出た。

 コンビニに着くと、高村くんは既に着いていて雑誌コーナーにいた。すぐ私に気付き、雑誌を戻し近付いて来た。

「お久しぶりです」
 やはり綺麗な笑顔で、そう言った。微かに、あの懐かしいエキゾチックな香水の匂いがした。その匂いをかいだら、いろんな思い出が甦って涙が出そうになった。でも、コンビニの外で5分ぐらい立ち話してお土産をもらったら、後ろ髪を引かれる思いですぐに帰ってきた。

 向かいの家の犬に吠えられた。

 アパートに入り、大事に抱えてきた包みを丁寧に開ける。

 それはジャスミンティーだった。