RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
今日も、一日お疲れさま。

ある出来事から、あることを想う、と言うこと。

2017-06-07 14:32:44 | 私の想い

 

 今日、母から、連絡があった。

 

 親戚の、訃報であった。

 

 その方は、もう94にもなる、知っている方でした。

 

 なんだか、神妙な気持ちになりました。

 

 生きていること、って、当たり前?のことじゃない。。

 それを、思い出させてくれる、出来事でした。

 

 

 私は、だから、40そこそこですが、今を生きなきゃ、って思いました。

 

 今からの時間、今日の放課後の時間、夕食の時間、お風呂の時間・・・

 明日の朝の時間・・・

 

 いずれは、訪れなくなる、そんな時間たちを・・・

 

 もう少し、見つめ直して、いとおしく、過ごさねば、と・・・。

 

 大好きな音楽を聴く時間。

 大好きな主人がいる時間。

 子供たちが笑顔でいれる時間。

 

 何気ない、そのときそのときを、幸せを、噛みしめながら☆

 

 自分が、誰に、影響を与えてるか、そして、自分が死ぬ時に、

 誰が、悲しんでくれるか、そんなことも、少し考えてみたい。

 

 自分が、死んでも、自分は、どれだけの人の心に残れるのかなぁ。

 

 今まで、付き合って来た、全ての人のうち、

 どれだけの人に、知られて、死んでゆくのかなぁ?

 

 いいんです、少しの人でも。

 少しの人で。一握りの人で!

 

 極論で言ったら、家族プラスαだけでも。

 

 いや・・・やっぱり、もう少し、広く、悲しんでもらいたいな・・・

 欲、かもしれません。

 こういう欲って、でも、誰しも、あるのではないでしょうか。

 

 お葬式に、自分のお葬式を覗けないけれど、

 もしも、今までのおつきあいの、自分が好きだった人たちが、みんな参列してくれて、悲しんでくれていたら・・・

 

 感無量になるでしょう。

 

 

 そんなために、いま、生きてるわけじゃない。

 

 でも、如何に死ぬか、は、如何に生きるか、にも、通ずる、こと、なのかもしれないな、と

 

 今日、改めて、考えさせられました。

 

 

 この場をお借りして・・・

 心より、ご冥福をお祈り申し上げます。☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自分を、下げない、と言うことについて。

2017-06-01 20:16:14 | 日頃感じていること。

 

  日本人は、謙遜が、美徳だったり、しますよね。

 確かに、あまり自慢する人は、疲れますし、なんだか、ぐったりします。。

 

 ただ、自然な形で、結果的に自慢になっていても、それをそう感じさせない爽やかな方って、中にはいらっしゃいます。

 そういう方は、本当に、明るくて、素敵だなって、思います。

 そう、自分の実力以上に見せる必要はありませんが、卑下したり謙遜しすぎも、かえって、よくないなって思うのです。

 

 だから、100歩譲って、良い場面、いや、そこは譲れない場面、それはちゃんと見極めなきゃって、思います。

 もし、例え、お相手が目上の方だったとしても、それは同じで、自分を低く見せることが、よいとは限らないと思うのです。

 

 毅然とした態度、それこそが、自分を守る、そして自分を高める姿、だと。

 

 威圧的、と言うのとは、全然違って、

 その、毅然とした態度は、すごく、大切だと。

 

 だから、例えば、雇用される側であっても、自分を亡くしてまで、組織に尽くすことはない、なかなか、難しいところではあるけれども・・・

 部長と部下の関係とか、私はあまり社会人経験がないので、想像でしかありませんが、

 大人なのですから、自分を低くしちゃう必要なんてなくて、ちゃんと、言いたいことは言える環境にしておきたいですよね。

 

 もちろん、それはNGじゃないか、ってコトはあるでしょう。マナーや最低限の人権とか・・・。

 

 でも、そういう部分ではなく、対等にやっていくには、毅然とした態度って本当に大切だなって、そう思うのです。

 

 なんか、今日は、そんなことを思った日でした。