宗教改革で、信仰が大事、イエス様が大事だからと儀式的なことを取っ払ってしまったのがプロテスタント。
そういう、儀式のようなもの、礼拝形式がほとんどない教会というのは、信仰の意味でおいて、ある意味で不自由な気がする、信仰にしがみついて、すごく保守的だったりする。そういう教会があっていいと思うし、批判するつもりはない。
でも、儀式をしっかり守って、礼拝も形式にのっとってやっている教会は、自由な気がする。形にさえ入っていれば、あとは自由。信仰は自由。私が歌っている大聖堂も、カトリックではないけど、聖公会だから、儀式はかっちり、でも、多様な人がいて、多様な信仰がある。自分の信仰にしがみつかなくてもいい。
作曲も、同じなんじゃないかなあ。フーガとか、ソナタとか、そういう形に添って書けば、形に入っていれば、あとは自由。何かにしがみついたり、自分で作らなくちゃいけないルールみたいなものはない。でも、そうじゃなくてなんでもありって言われると、反対に自分で自由を奪ってしまわないと、曲として成り立たないような気がする。自分がやりたいことにしがみつかなくちゃいけないし。ある意味で、頭が固くなってしまうのかも。
どっちが自由なんだろう?
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