長年一緒に歌っていると、通じ合うものがあるのかもしれません。
今朝の聖餐式の最中に、ポリフォニーを歌っていたのですが、途中から、何かおかしいということに気が付いて、何か、苦しいような感覚があって、私も音を間違えそうになったりしたのだけど、なんとか集中。そしたら、隣の隣で歌っていた同僚の声が急に聞こえなくなったので、「私が歌わなくちゃ。」みたいな感じで歌に集中。その同僚は、曲が終わるとすぐに、出て行きました。血糖値が下がって、もうちょっとで気を失ってしまう所だったみたいです。歌はエネルギーが必要だから、ちゃんと朝食を食べないと、そういうこともあるんです。生配信だったので、しっかり映ってました(汗)。
その後、Scottish VoicesのDirectorとお話。私が書いた曲のリハーサルの話。女声のソロ4パートとピアノの曲なんだけど、トップのソプラノは、結局スコットランドのオペラ座の、夜の女王を歌う人に頼むことになった。Director曰く、「他に歌える人がいない。」。プロが歌うことを想定して書いてるから、簡単じゃありません。しかも、私自身が第一ソプラノだから、「プロならもっとできるはず。」って思っちゃうんですよね。
ピアノのパートも、「なんでトーン・クラスターなの?」って。だって、和音、考える方が難しいでしょ?冗談はさておき、ただ単に、特定の音が聞こえて欲しくなかっただけです。どろどろとした部分だから。
今は、こんなふうに書かないと思います。もう、あんなふうに、思い切ったことはできないんじゃないかな。知らない方が、思い切ったことができるんですよね。たぶん、今は、当時よりは知識がついてるから、それが良いことなのか悪いことなのか、私にはわからない。ただ、あんなふうに、表現したいことを真っ直ぐに書くことができなくなってるのは確か。真っ直ぐというのは、そこには、Theoryも何もなくて、ただ、「こう表現したい。」って言うことだけで書いてる。
最近、思うことは、「私なんて」って思ってしまっているところ、良くないのはわかってるんだけど、それがだんだん変わって来てる。
作曲も、「私が書く曲なんて」って思ってしまうし、歌も、私はみんなの足を引っ張ってると思ってたんだけど。
昨日みたいに、他の教会で歌う機会が与えられると、「私って、そんなに悪くないじゃん。」って、少しは自信がついてくる。指揮者の指示通りに歌えることって、みんなができるわけじゃないんですよね。私の声は、特徴がないから他の声とブレンドできるから。
作曲も、私が書いた曲を、こんなに一生懸命演奏しようとしてくれてる人がいるんだから。パンデミックで大変だったのに。
なんだか、「自分探し」をしている若者のようなことを書いてるかもしれないけど。あ、私は自分探しはしてませんよ。だって、自分探しって、矛盾してる。「あんた誰?」って思わない(笑)?
いわゆる「精神疾患」があるから、自分と向き合ってるだけです。自分を愛することができないと、他の人からの愛も受け取ることができないから。自分を大切にできないと、他の人も大切にできない。
明日も仕事です。週に7日間働くことになっちゃった。仕方がないですね。自営業の人はみんなそうだろうから。
レッスン準備しなくちゃ。身体が動くうちは、働かなくちゃ。生徒さんはみんなかわいいから。恵まれてます。
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