おたまじゃくしを眺めながら。

おそらく、音楽の話が中心になると思います。思っていることを、綴っていきたいと思います。

教える側と習う側

2021-09-01 22:07:07 | 音楽

 良い先生が、必ずしも、良い生徒になれるとは限らない。

 良い生徒が必ずしも良い先生になれるとは限らない。>たぶん。

 自分で書くのも変だけど、私は、ピアノの先生としては、そこそこ良い先生だと思っていた。こんなコロナの大変な中でも、レッスンを再開すれば、あっという間に順番待ちリストができるくらい、私に習いたい生徒、あるいは、私に自分の子どもを習わせたい親がいてくれるということだ。とてもありがたいと思う。私の元を離れて、音大へ行った生徒が、音大の先生と上手くいかなくて、戻ってくることもある。

 8月に2回ほど、リコーダーのレッスンを受けた。つまり、生徒の立場になった。どれだけ習うかは、自分次第だと思っている。どんなにいい先生についても、レッスン中にボーっとしていれば、当然のことながら何も学べない。

 一回目のレッスンから、すごく衝撃を受けた。まず最初に、私が自分の生徒にいつも言っていることと同じことを言われたのだ。「ちゃんと考えて~!」

 確かに、何にも考えてなかった!どうして?とか、そういう理由はなくて、ただ吹いていたというのは確か。理論を考えずに吹いていた。

 でも、先生は私よりも、もっともっと深く踏み込んで「考える」ということをおっしゃっている。

 私は、楽理とピアノを別に教えている。でも、ピアノを教えている時に、どこまでちゃんと、習った楽理を演奏に生かしていくのかを教えていただろうか。ゼロとは言わない。でも、ちゃんと教えて来たかというと、自信がなくなってしまう。特に、音大へ行くような子には、きちんと教えて行かなければ。ものすごく反省した。

 演奏に対する姿勢も、私はどこまで生徒に教えて来ただろうか。

 違う教え方があって、違う意見もあって当然なのだけど、自分の教え方を見直す、良い機会になったと思う。

 私に足りないところを補ってくれる、素晴らしい先生に出会えたと思う。

 ここまで書くと、肝心のリコーダーは(笑)!? たぶん、若い頃のように、スポンジのように吸収して上達していくことは無理だと思うけど、少しでも上達できれば。。。。

 

 もしも私の年齢の人が、私の所に、「これからピアノを始めて、ディプロマ試験を受けたいのですが。」って来たら、「それは難しいと思いますよ。良い音が出るようになるとは、限らないですから。」って言うと思う。身体も固くなって、指を動かすのも一苦労だろう。

 つまり、私は無謀なことをやろうとしているのかもしれない。しかも、私は関節炎持ちだ。私は無理なことを先生に頼んでしまっているのだろうか。

 でも、関節炎をできない理由にはしたくない。私は、障害を持つ子どもをたくさん教えてきた。必ずできる方法を考えてきた。耳が聞こえない子が聞こえる音楽、目の見えない子が読める楽譜。できないことはなかった。

 今のレベルで立ち止まっていたくない。試験も最終目的ではない。私はその先に進みたい。

 どうして若い頃に、リコーダーと出会わなかったのかな?きっと、何か理由があるんだろうな~。神様しか知らない理由が。


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