お知らせの通り、今月25日に倫勝寺の大施食会(だいせじきえ 夏の合同供養)が開催されました。
午前11時からのさんぜの法要、午後1時半からの法話、そして2時半からの大施食会法要。
参列された皆様には、酷暑のなかのお参り、まことにおつかれさまでした。
特に11時からのさんぜ法要、今回は風無し雲なし炎天下の屋外法要ですから、参列の方も大変だったと思います。
暑さが厳しいのでお参りの方は少ないかも、と予想していたのですが、それでも30人余の参列をいただきました。
で、参列者の体調・健康面に留意して、お経を早めにお唱えしたりお話を短めにしたりしたのですが・・・ワタシのほうは始まる前から汗が噴き出して、袈裟も法衣もグショグショ。
薄物とはいえ、法衣やお袈裟など沢山着込んでますので、まるでお風呂でのぼせたような、頭ぼんやりになってしまいました。
かえって参列の方の方が暑さに負けず、しっかりお参りしておられます。Tシャツで法要というわけにはいかないからなあ・・・(+_+)
後継者がなくともお寺が責任もってご供養を続けます、墓参の都合がつかなくても大丈夫ですよ、と申し上げているのですが、年三回の墓前法要参詣の方は少しずつですが増えています。
扇風機だけでなく、来年はミストマシン?を設置するなど暑さ対策を考えないといけませんね。
ウチに限ったことではなく、この20年余の間に合祀墓にたいしてのイメージはだいぶ変わってきたように思えます。
「無縁墓」という悲しくなるようなイメージは薄れ、「みんなで眠るみんなのお墓」というふうに、合祀墓に入る方の意識は替わってきたように思えます。
家族をさんぜに埋葬し、近い将来自分もさんぜに入るという方々もお参りに来ていますが、そんな方々が法要の場で知り合いになって、和気あいあいのお参りをしているのを見ることがあります。
そんな様子をみると、後継者がいないかたのお骨の受け皿を作っただけでなく、亡くなった後の大きな安心を紡ぐことができたのかも、とうれしい気持ちになります。
さて、午後1時半からは山形県松林寺ご住職・三部義道老師に法話をいただきました。
亡き師匠やお母様の介護の経験を通して得た気づきや想いを交えながらの法話でしたが、
その温かな、また真摯な語り口から、お釈迦さまが弟子や信者に対して語ったお話はこういうスタイルで語られたのではなかったか、という思いが胸に浮かびました。
控室では「仏道や仏法の難しい話はできないからねえ」とニコニコしながらお茶を飲んでおられましたが、その内容は一言一言が身に染みるおはなしであります。
「母親に座薬を入れるなんて到底考えられないことであったが、辛い痛い思いをしている母から懇願されて座薬をいれてあげたら、案外戸惑うことなく入れてあげることができた。
あ、こんな簡単な事なんだ、とその時思ったのです。何でできないなんて思っていたんだろう。その時から母の介護に向き合うハードルが下がりました。」
「介護する側の意識も変わるので、迷惑をかけたらいけないなんて思わず、皆さんもその時になったら遠慮なく介護してもらったら良いのです。」(ニュアンスが違ってたらすみません)
また、父親との長年の確執をお話しされた後、
「自分を本当の僧侶にするために、師匠は住職になったのかもしれないと最近思うのです。亡くなった親から教えてもらうことは、いまもたくさんあります」
と、親不孝を詫びながら折々に感謝の気持ちを捧げているとのお話もありました。
同じ時代に生きることができてよかった、と思わせる方のひとりですね。
2時半からの法要も無事に終わりました。気分が悪くなった方もなく、ホッとしています。
これから8月のお盆までは毎日、近隣のお寺さまにウチと同じ大施食会の法要をお手伝いに廻ります。
それぞれのお寺さまの暑さ対策を参考にさせていただきながら、お勤めをさせていただきましょう。
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近所の草むらにアザミが咲いています。
立ち寄って写真を撮っていると、あちこちでバッタの跳ぶ音がします。
ワタシの足音に驚いて逃げ出したのはトノサマバッタやショウリョウバッタ。中には数十メートル飛んで墓地の林の中に逃げ込むものも。
写真は撮れませんでしたが、バッタ採りに夢中になった子供の日々を思い出しました。
今度は近寄ってバッタの写真を撮ろう。
今日はここまで。
さんぜのまなざし goo別院 1707