下記の記事はNEWSポストセブン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。
12月9日、58才のお誕生日を迎えられた雅子さま(12月、東京・千代田区・写真/JMPA)
皇室に入られてからの雅子さまの前には、いくつもの苦難が立ちはだかった。満足に公務を担うことができず、時にバッシングの嵐に晒された。心の支えとなったのは、屈託のない娘の笑顔。20才を迎え、成年皇族としての今後を歩まれる愛子さまに向けた、雅子さまからのメッセージ──。
「子供っていうのは、変な言い方ですけれども、本当に生きるために、そして、親に愛されるべくして生まれてくるんだということを強く感じました」
2002年4月、前年12月に愛子さまを出産してからはじめて臨まれた会見で、雅子さまは涙ぐみながらそう話された。それから約20年──12月9日、58才のお誕生日に寄せられた文書に、雅子さまは次のように綴られた。
《愛子が生まれてからの20年間は長かったようにも、あっという間だったようにも感じられますが、様々な思い出が思い起こされて感慨深く思います。同時に、あの幼かった愛子がもう成年かと思いますと、信じられないような気持ちもいたします。》
文書には、20年前と変わらない愛子さまへの深い愛情、そして期待がにじんでいた。
12月5日、愛子さまは成年行事へと臨まれた。控えめなメイクを施された愛子さまは、女性皇族にとって最上位の正装であるローブ・デコルテに身を包まれていた。
療養中の雅子さまへの配慮から、それまでほとんど経験のなかったはずの無数のフラッシュにも、物おじされることはない。背筋を伸ばして笑みをたたえられ、報道陣の「おめでとうございます」という問いかけに、「ありがとうございます」とはっきりとした口調で答えられた。実は、愛子さまはその日のために、両陛下と何度も所作や動線を確認されたという。
「愛子さまは重要なポイントをメモに取られることもあったそうです。ご一家で入念に準備を重ねられ、立派にまっとうされました。以前の愛子さまは、不登校や“激やせ”など心配事もおありでしたが、両陛下は、時に優しく時に厳しく、愛情とご覚悟をもって、愛子さまが成年皇族としてのご自覚を結実させるまで育てられました。その日を迎え、雅子さまとしても万感の思いだったことでしょう」(宮内庁関係者)
愛子さまから両陛下へご提案
堂々たる立ち居振る舞いとともに注目されたのが、愛子さまのお召し物だった。愛子さまは、成人した女性皇族の証であるティアラを新調されず、かつて黒田清子さん(紀宮さま)がお使いだったものをリメークして使用することを選ばれた。
「コロナ禍で苦難にさらされている国民の現状を心配される雅子さまを間近にご覧になっていたからでしょう。愛子さまから、両陛下に対してご提案があったそうです。新調するとなれば、3000万円はくだりません。3人で話し合われた結果、リメーク使用が決まったといいます」(別の宮内庁関係者)
ローブ・デコルテには、控えめで落ち着きのある薄白を選ばれた。ファッション評論家の石原裕子さんが解説する。
「白地に白糸の総刺繍で、清潔感にあふれ、派手さを極力抑えています。できるだけ質素にという思いがおありだったのではないでしょうか。国民とともに歩もうとされる雅子さまのお考えが反映されているように思えます。小室眞子さんや佳子さまは、クリーム色を帯びた生地に金糸を使って花を思わせる立体的な刺繍を施し、本来の華麗さを強調していました。
一方の愛子さまは、純白のシルクに、やはり純白の糸で唐草模様の控えめな刺繍を選ばれました。この模様はティアラのデザインとも見事にマッチしています。雅子さまもご相談にのられたのではないでしょうか」
愛子さまのテーラードカラーに込められた思いとは(写真/JMPA)
誇り高い人生を歩んでほしい
ドレスに合わせたジャケットも目を引いた。色みは同じ薄白ながら、襟部分にV字に切り込みの入ったテーラードカラー。テーラードは「紳士服仕立ての」、カラーは「襟」を表す。眞子さんのノーカラー(襟なし)や、佳子さまのショールカラー(肩掛けのような形の襟)と比べると違いは一目瞭然で、愛子さまならではの個性が表現されている。
「テーラードカラーは“働く女性”のユニフォームのようなものです。雅子さまもたびたび公務でお召しになっており、現在も定番ファッションの1つといえます。2019年、“雅子さまの外交力は日本の宝”と外務省を唸らせたという、トランプ前アメリカ大統領夫妻を迎えての歓迎式典でも、雅子さまはアイボリーのテーラードカラーのジャケット姿でした。
愛子さまがこのデザインを選ばれた背景には、そうした雅子さまへの尊敬と憧れが感じられます。また、これから成年皇族となり、しっかりと務めを果たしていきたいというご覚悟の表れでもあると思います」(前出・石原さん)
雅子さまは、ハーバード大学を卒業後、東大在学中に外交官試験に合格し、外務省でキャリアを積まれたという経歴をお持ちである。天皇陛下とのご結婚が決まった頃は「究極のキャリアウーマン」ともいわれていた。しかし、皇室入り後はさまざまな問題に直面されることになり、2004年には適応障害を発症される。
「雅子さまがテーラードカラーのジャケットを愛用されてきた背景には、キャリアを重ねてきた女性としての強い思いもあったのではないでしょうか。ローブ・デコルテと同じく、ジャケットデザインに関しても、おふたりで話し合われる機会があったでしょう。
愛子さまは、今後女性皇族としてさまざまなお務めを果たされていくと思います。雅子さまは、成年行事の際のジャケットを通して“自信につながるようなキャリアを積み重ねて、誇り高い人生を歩んでほしい”という願いを託したのかもしれません」(前出・石原さん)
御料牧場を散策されている雅子さまと愛子さま(2002年10月、栃木県塩谷郡。写真/JMPA)
愛子さまの将来は、女性皇族をめぐる議論次第で、いまだ不透明である。それでも不安は一切見受けられなかった。
「雅子さまは、どのような将来であっても、愛子さまには充足した人生を歩んでほしいと願われています。愛子さまも雅子さまの思いを、正面から受け止められている。天皇ご一家の3人の絆は固いでしょう」(前出・宮内庁関係者)
12月9日、雅子さまは天皇陛下とご一緒に、上皇ご夫妻のもとを訪ねられた。滞在時間は予定より10分ほど延びたうえ、帰り際、スタンバイする警察をよそにしばらく両陛下を乗せた車は出てこなかった。理由は、仙洞仮御所の玄関での上皇ご夫妻との会話が途切れなかったからだという。きっとそこでは、雅子さまの誕生日を祝うと同時に、“母としての役割”への感謝や労いもあったことだろう。雅子さまの20年が、いま、実を結んだのだ。
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